第25話:テトリスみたい
昨晩の「仕事終わりの一杯」の余韻は、とても心地の良いものだった。
マルグリットさんの宿屋の食堂で、冷たいエールと果実水を片手に、私たちは新米冒険者たちの成長と自分たちの見事な連携を語り合った。前世では味わえなかった純度百パーセントの達成感と、仲間との笑い声。
さらに、フィナさんが寝る前に淹れてくれた特製の「二日酔い防止ハーブティー」のおかげで、今朝の私の頭は驚くほどクリアだった。
口の中にほんのりと残る爽やかなミントの香りが、足取りを軽くしてくれる。
「おはようございます、アオイさん!」
「アオイ、おはよう! 今日もいい天気だね!」
私が事務所の中に入ると、すでにリナさんとフィナさんが元気な笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます、お二人とも。今日も一日、頑張りましょうね」
私がいつものように事務用ブラウスの袖をまくり、仕事のスイッチを入れようとした、まさにその時だった。
「噂の『なんでも屋』のお嬢さんたち! 頼む、俺の商売を救ってくれ!!」
バンッ! とドアが勢いよく開き、派手な原色の南国風の服を着た浅黒い肌の男性が、半泣きの顔で駆け込んできた。
首には太い金のネックレス、指にはいくつもの宝石の指輪。どこからどう見ても羽振りの良さそうな商人だが、今の彼は髪を振り乱し、すっかり疲労困憊している様子だった。
「落ち着いてください。私はなんでも屋のアオイです。ご依頼ですね?」
「おおっ、あんたがあの『恐ろしい事務員』か! 俺は南の交易都市から来た商人、ケイ・マルディーノだ! 実は、俺の馬車の積荷と帳簿の計算が全く合わなくて……商取引のフローがぐちゃぐちゃなんだ! このままじゃ王都の顧客に大損害を出しちまう!」
「積荷と帳簿の計算が合わない、ですか」
私はピクリと眉を動かした。在庫管理と帳簿のズレ。それは前世の総務・経理時代、決算期に私の胃を最もキリキリさせた憎きエラーの一つだ。
「わかりました。百聞は一見に如かずです。まずは現場(荷馬車)を見せてください」
*
ケイさんに案内されてやってきたのは、王都の外壁近くにある巨大な荷下ろし場(物流拠点)だった。
そこは、朝から凄まじい活気と熱気に包まれていた。土埃と獣の汗の匂い、そして様々なスパイスや果物の香りが混ざり合っている。
人間の労働者だけでなく、二足歩行で重い木箱を軽々と運ぶ熊の獣人や、空から荷物を投下する大きな鳥など、ファンタジー世界ならではの配達員たちが所狭しと動き回っていた。
「おうっす! 右オーライッス!」
「そこ、道空けてくださーい!」
飛び交う怒号は、どことなく体育会系の下町感が漂っている。
人も獣も忙しなく動き回っている。
異世界でも物流業界のノリは万国共通らしい。
特に獣人や鳥は「べらんめえ」口調の癖が強すぎる。
「ここだ。これが俺の荷馬車なんだが……」
ケイさんが指差した先にあるのは、四頭立ての立派で巨大な幌馬車だった。
しかし、その幌の中を覗き込んで、私は言葉を失った。
「……なんですか、この地獄絵図は」
馬車の中は、絶望的な有様だった。
南の交易都市から運んできた色鮮やかで柔らかい果物の箱の上に、なぜかずっしりと重い鉱石の入った麻袋が無造作に積まれている。
重みで下の木箱がひしゃげ、甘ったるい果汁がポタポタと床に漏れ出していた。
さらに、高価な絹織物の束が泥のついた樽の横に押し込まれており、どこに何があるのか全くわからない状態だ。
「道中で崩れたりしたんですかねえ」
「王都に着いてから、あちこちの店に納品して回ろうとしたんだが……。一番最初に降ろすはずの果物が一番奥にあって、どうやっても取り出せないんだ! だから納品に何時間もかかって、しかも商品がダメになってる!」
ケイさんが頭を抱えてしゃがみ込む。
理由を聞いて原因は明白だ。「適当に空いている隙間に、手当たり次第に押し込んだ」からだ。空間認識能力とルート計算が完全に欠落した、最悪の積み込みである。
「とりあえず、これ以上果物が潰れないように、この手前の重い鉱石の袋からどかしましょう!」
私はたまらず馬車に足をかけ、一番手前で今にも崩れそうになっている鉱石の袋を、力任せに引っ張り出そうとした。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、猛烈なサイレンを鳴らして起動した。
「……まさか」
鉱石の袋に伸ばしかけた私の手が、空中でピタリと止まる。
そして、私の意志とは無関係に、体がくるりと後ろを振り向いた。
両手に架空の赤い誘導灯を握りしめ、頭上で大きく交差させる。さらに、口元でピピーッ! ピッ、ピッ! と笛を吹くふりをしながら、その場でリズミカルに足踏みを始めた。
それは「オーライ、オーライ! はいストップゥー!」とでも言い出しそうな、やたらと元気でキュートな『交通整理の警備員さん』のポーズだった。
(ぎゃあああああ!? 朝からなんですかこのテンションの高い恥ずかしいポーズは!? ここ物流現場のど真ん中ですよ!? 屈強な獣人たちがこっち見てるじゃないですか!!)
「あの女、きっとこちらの世界に居たに違いねえ」
「ああ、だが顔が引きつってやがる。動きにキレも足りねえ。だが磨けば光るぞ」
顔面から業火が出そうなほどの羞恥心に襲われながら、私はスキルの警告を正確に読み取った。
目についたものから力任せに引っ張り出し、その場しのぎの解決を図ろうとする。
それはバランスを崩して荷崩れを起こし、後で余計にツケが回る『前世と同じ失敗ルート』なのだ。
「ア、アオイさん……? なんだか、とっても楽しそうです……」
フィナさんが目を丸くしている。違うの、これ私の意志じゃないの。
スキルの拘束が解けると同時に、私は咳払いをして、乱れたブラウスの襟元をビシッと正した。恥ずかしさを誤魔化すためにも、私は冷酷な『物流管理モード』へと切り替わった。
「ケイさん。これは力仕事でどうにかなる問題じゃありません。『先入れ先出し(FIFO)』と『後入れ先出し(LIFO)』の概念が完全に欠落しているんです!」
「ふぁいふぉ……? らいふぉ……?」
「簡単に言えば、積み込みの論理です。一番最初に納品するものは、一番最後に馬車に積み込まなければならない。当たり前のことでしょう!」
私は地面の土を生活魔法(風)で平らにならすと、工具袋からチョークを取り出し、馬車の荷台と同じ比率の「大きな格子状の線」を描き出した。
「いいですか。馬車の荷台を『空間』ではなく、縦横の『住所』として可視化します。ここはA列の1、あっちはB列の2です」
私はケイさんの納品書をひったくり、王都の地図と照らし合わせて瞬時に「納品先の最短ルート」を逆算した。
「リナさん! 重くて硬い鉱石と樽は、一番奥の下段、セルA列に詰め込んでください!」
「了解! 任せて!」
「フィナさんは、果物の鮮度と匂いを確認して、状態の良いものから順に上部、セルB列へ! 少しでも傷んでいるものは弾いてください!」
「はいっ! お薬の仕分けと同じですね!」
私のディレクションに基づき、二人のアシスタントが完璧な連携で動き出す。
リナさんが持ち前の身軽さと筋力で重い荷物を次々と運び出し、フィナさんが繊細な手つきで果物や絹織物を仕分けていく。そして私が、納品ルートの逆順で「どのセルに何を配置するか」をリアルタイムで指示し続ける。
上から下へ、奥から手前へ。
隙間なく、かつ取り出しやすいように荷物が組み上がっていく様は、まるで完璧に計算された『リアルなテトリス』だった。
*
少し離れた場所から、その光景を見つめている影があった。
冒険者パーティ『赤銅の牙』のリーダー、ガストンとその仲間たちだった。
彼らも別の依頼で荷下ろし場に来ていたのだ。
「おいガストン、あれ……。お前が追い出した、あのお荷物のリナじゃねえか?」
仲間の言葉に、ガストンは黙って頷いた。
彼の視線の先には、かつて「空振りばかりで足手まといだ」と切り捨てた少女の姿がある。しかし、今そこで汗水流して重い木箱を運んでいるリナには、一切の無駄な動きがなかった。
重いものを持ち上げる時の重心の置き方、仲間に荷物を渡す時の絶妙なタイミング。そして何より、彼女の横顔は、かつて彼のパーティにいた頃の自信なげな顔ではなく、活き活きとした生命力に満ち溢れていた。
「……あいつ、あんな風に動けたのか」
「どうした? ガストン」
「……いや、なんでもない」
ガストンは、眩しいものを見るように小さく目を細めると、仲間を促してその場を立ち去っていった。
*
「完成です!」
私が声を上げると、ケイさんは馬車の荷台を見て感嘆の声を上げた。
ひしゃげていた果物の箱は安全な上部に配置され、王都で最初に納品する荷物は一番手前に、そして明日別の街へ運ぶ鉱石は一番奥の底に、見事なまでに理路整然と収まっている。
荷台の空間が整理されたことで、「どこに」「何が」「いくつ」あるかが一目でわかるようになり、合わなかった帳簿の数字も一瞬でピッタリと一致した。
「す、すげえ……! なんという魔法だ! これなら荷物の出し入れがこれまでの半分の時間で済むぞ!」
「魔法ではありません。ただのロジックです」
私は、羊皮紙に書き記した『積み込み・荷下ろしマニュアル(納品先ルート逆算表)』をケイさんに手渡した。
「次回からは、この表の順番通りに荷物を積み込んでください。そうすれば、二度と果物が潰れることも、帳簿の計算が狂うこともありませんよ」
「おおおっ! あんたたち、本当に命の恩人だ! ありがとう!」
ケイさんは大歓喜し、マニュアルを大切そうに懐にしまうと、お礼として潰れていない瑞々しい南国の高級果物(甘い香りのするマンゴーやメロンのようなもの)を、私たちの腕いっぱいに抱えさせてくれた。
「わあぁ……! すっごくいい匂い!」
「アオイ、これ絶対美味しいやつだよ!」
南国の果物を抱えたリナさんとフィナさんが、太陽のように明るく笑う。
「ええ。事務所に帰ったら、三人で冷たいフルーツパフェでも作りましょうか」
私がそう提案すると、二人は「やったー!」と声を揃えて飛び跳ねた。
痛恨の恥ずかしい交通整理ポーズを取らされた代償としては、十分すぎるほどの甘い報酬だ。
王都の活気ある喧騒を背に、私たちは南国の甘い香りを漂わせながら、足取り軽く事務所への帰路についた。
エクセルがピタッとはまった時の快感と、これから食べるパフェの味を想像しながら、私は限界事務員としての確かな充実感を噛み締めていた。




