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第22話:水際で阻止するお母さん

 なんでも屋の事務所には、いつものように平和な朝の陽光と、淹れたてのカモミールティーの香りが満ちていた。


 私は、汚れを弾く『水精霊の加護』付きの黒と青の神秘的なローブ(通称:大魔導士スタイル)に身を包み、デスクで依頼書の整理をしていた。

 昨日のうちに明日の仕事リストを整理して、今日は外仕事になるかもしれないと思い、動きやすいこの仕事着を選んだのだ。


 リナさんもいつもの青い装甲と白い布地の軽やかな装備で、フィナさんも医療コートとショートブーツという現場用の出で立ちで、それぞれ準備を整えている。


「えーっと、本日の依頼は……」


 私が一枚の羊皮紙を手に取ると、そこには冒険者ギルドの正式な印章が押されていた。


「ギルドからの、外注依頼?」

「あ、それ! 昨日、私がギルドで報酬の換金をした時に、受付のお姉さんから直接渡されたやつです!」


 リナさんがひょっこりと顔を出した。


「内容を見ましたが……『新米冒険者パーティ“若葉の剣”の引率および現場監督』。……現場監督、ですか」


 私は眉をひそめた。


「なぜ、ギルドの新人教育をうちのような『なんでも屋』に外注するんでしょうか? 普通はベテランの冒険者がやるべきでは?」


「それがね」


 リナさんが少し困ったように笑う。


「その新米たち、実力はそれなりにあるらしいんですけど、致命的に『初歩的なミス』が多くて、依頼失敗ばかりしているみたいなんです。しかも、ベテラン冒険者が指導しても『感覚』でしか教えられないから、全然改善されなくて……。そこで、最近『どんな問題も理路整然と直してしまう《《恐ろしい事務員》》がいる』って噂の、うちのなんでも屋に白羽の矢が立ったみたいで」


(恐ろしい事務員って。もしかして、ラインハルト様が経理の件で妙な噂を流したのでは……)


 私は頭を抱えたくなった。前世で、右も左もわからない新入社員のOJTオン・ザ・ジョブ・トレーニングを丸投げされ、彼らの尻拭いで連日終電を逃した地獄の記憶が蘇る。記憶の私、何回終電逃がしてんねん。


「……却下、と言いたいところですが」


 私が『保留スタンプ』に手を伸ばしかけた時、ふと隣を見ると、リナさんが依頼書を食い入るように見つめていた。


 その瞳には、かつて自分が『足手まとい』と罵られた時の自分と、その新米たちを重ね合わせているような、放っておけないという色が浮かんでいる。


「……リナさん。受けますか?」

「えっ! いいの!?」


 リナさんが顔を赤らめて、嬉しそうにこくりと頷く。


(うっ……可愛い。美しい。このヒロインの頼みなら、断れない)

「わかりました。可愛い相棒のためです。新入社員のOJT、私がバッチリ引き受けましょう」


 *


 王都の南門。そこが、今回の依頼主である新米パーティ『若葉の剣』との待ち合わせ場所だった。


「おっ、あんたたちがギルドが手配してくれた引率か! 俺は剣士でリーダーのレオ・バルドー! こっちが斥候のカイト・シーア、で、魔法使いのミャー・リリィだ! よろしくな!」


 元気よく挨拶してきたのは、燃えるような赤い髪をした少年剣士・レオだった。

 その隣には、身軽な革鎧を着た少し目つきの鋭い少年カイトと、大きな杖を持ったおっとりした雰囲気の少女ミャーが立っている。三人とも、まだ十代半ばといったところだろうか。


「アオイ・フォルスターです。なんでも屋を営んでいます。今日はあなたたちの引率……現場監督を務めさせていただきます」


 私が大人の営業スマイルで挨拶すると、レオは不思議そうに私を上から下までジロジロと見た。


「なんでも屋ぁ? ギルドのおっさんたちは『すっげぇ厳しい教官が来る』って脅かしてたけど、ただの綺麗なお姉さんじゃん。しかも、なんかそのローブ、すごい魔法使いっぽいけど、冒険者じゃないんだろ? 足手まといにならないでくれよな!」


(……カチン)


 前世の事務員魂に、火がついた音がした。

 この手の『根拠のない自信に満ち溢れ、マニュアルを読まずに突っ走る感覚派のポンコツ営業タイプ』、私は腐る程見てきている。

 いや、相手は10代だ。何を熱くなっているのアオイ。

 大丈夫、この少年たちも気付く日が来る。若気の至り。ってね。


「さあ、さっそく森へゴブリン討伐に行こうぜ!」


 レオが勢いよく門の外へ歩き出そうとしたので、私はすかさず声をかけた。


「お待ちください。出発前のヒアリングを行います。……ミャーさん。回復薬の残量と、触媒の数は確認しましたか?」


「えっ? あ、えっと……たぶん、前回の残りが少しあると、思います……」


 ミャーが鞄をゴソゴソと漁り始める。


「カイトさん。今回の目的地の森の地図は持っていますか?」


「地図? そんなもん、適当に歩けばわかるだろ。俺の鼻を信じろよ」


 カイトが鼻で笑う。


「レオさん。誰がどの陣形に立つか、緊急時の逃走ルートは決めていますか?」


「陣形? 見つけたら全員でタコ殴りにすればいいだろ! 逃げるなんてダサいこと考えるなよ!」


 ……絶望的だ。

「地図を持たない」

「回復薬の残量を確認していない」

「陣形も逃走ルートも決めていない」。


 これはもう、冒険以前の問題。前世で例えるなら、「提案書も作らず、アポも取らず、ノートパソコンのバッテリー残量も確認せずに営業先へ飛び出す新入社員」に等しい。大炎上確定のデスマーチである。


「アオイ、この子たち、私よりひどいかも……」

「お薬の確認をしないなんて、命に関わりますよぅ……」


 リナとフィナが、ドン引きした顔でヒソヒソと囁き合っている。


「ほら、お姉さんたちも早くしろよ! 置いてくぜ!」


 レオが再び門の外へ足を踏み出そうとした。

 このまま、何の準備もなしに彼らを危険な現場に向かわせるわけにはいかない。

 最悪命に関わる任務だ。

 私が止めに入ろうとした、その瞬間だった。


 ――ビシィッ!!


 私の中に備わったスキル『反復拒否リフューザル』が、猛烈な勢いで起動した。


「……あっ?」


 私の体が、私の意志を完全に無視して勝手に動き出す。

 右手をピシッと前に突き出し、手のひらをパーにして「ストップ」の合図。そして左手は、架空の書類を受け取るようにスッと差し出された。


 それは、空港のゲートでパスポートを要求する、極めて厳格で冷徹な『出国審査官』のポーズだった。


(ぎゃああああああ!? なにこれ!? また変なポーズ! 異世界に出国審査なんてないでしょ!! でも激しく同意! 準備不足のまま現場に向かうのは、ただの自殺行為です!)


 内心で絶叫しながらも、私はポーズをキメたまま、冷たい声で言い放った。


「ストップ。……許可パスできません」

「はあ? なんだよその変なポーズ」


 レオが不満そうに顔をしかめる。


「このまま森に入ることは、現場監督の権限において許可しません。……ただいまより、出発前チェックを行います」


 スキルの拘束が解けた私は、鞄から羊皮紙と羽ペンを取り出し、即座にフォーマットを書き上げた。


「【回復薬の残量確認】【装備の耐久値チェック】【地図の所持】【陣形・役割分担の確認】【緊急時の合流地点の設定】。この五項目です。これをすべて埋めない限り、王都からの出発は認めません」


「はぁ!? なんだよその面倒くせえ紙! 俺たちは冒険者だぜ!? そんな事務仕事やってられるかよ!」


 レオが噛みついてくる。カイトも「くだらねえ」とそっぽを向き、ミャーはおどおどとしている。

 なんでも屋のお姉さんに言われても、彼らにはピンとこないらしい。


「あのね、レオくん」


 そこに、スッと前に出たのはリナさんだった。

 彼女は腰に帯びた長剣の柄に手を当て、かつて『足手まとい』と呼ばれていた頃とは違う、歴戦の冒険者としての凛としたオーラを放った。


「アオイの言う通りにしないと、本当に死ぬよ」

「えっ……」


 レオが、リナさんの放つ静かな迫力に気圧されて一歩後ずさる。


「準備不足で森に入るってことは、自分の命だけじゃなくて、仲間の命も捨てるってこと。……アオイのチェックリストは、そういう無駄な死をなくすための、最強の魔法なんだから」


「そ、そうです! アオイさんの『お片付け』と『確認』のおかげで、私も魔法の失敗がなくなったんですから!」


 フィナさんも、胸を張って力強く頷く。


「……う、うっす……」


 二人の先輩冒険者(?)からの真剣な説得に、さすがのレオたちも渋々といった様子で羊皮紙を受け取った。


「はぁ。なんだか、お母さんに怒られてる気分だぜ……。ほら、ミャー、薬の数数えろよ。カイト、地図買いに行くぞ」

「お母さん……っ!?」


 レオの何気ない一言が、私の胸にグサリと突き刺さった。


(がっっ!! お母さん!? 私まだ二十六歳なのに!? リナさんやフィナさんより少し年上なだけなのに、すでに母親ポジションなの!? 異世界での女子力向上計画はどこへ消えたの!?てか、この世界での私って何歳なの!!??)


 内心で血の涙を流しながらも、私は「……チェックリストが埋まるまで、一歩も動かせませんからね」と、冷酷な事務員の仮面を必死に保つのだった。


 こうして、新米冒険者たちの初めてのOJTは、一本の剣を振るうこともなく、泥臭い「出発前チェック」から幕を開けたのである。

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