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第21話:経理の悪魔

 王城の地下書庫で歴史的な『断捨離』を敢行してから数日後の、のどかな午後。

 なんでも屋の事務所には、カリカリという羽ペンの音と、パチパチとそろばん(に似た計算用の魔導具)を弾く音だけが響いていた。


「アオイさん、こちらの『ポーション代』と『木材の仕入れ費』の領収書ですが、日付と品目がしっかり記載されています。経費として計上して問題ありません」


「ありがとうございます、フィナさん。では、今月の売上総額から経費を差し引いて、純利益を算出しますね」


 月末。それは、このリュミエール王国で商売を営むすべての者にとって、避けては通れない『納税』と『経理』の季節である。


 いくら魔法が存在するファンタジー世界とはいえ、国家が機能している以上、税制のシステムは現実世界と大差ない。「なんでも屋」も、毎月の売上から必要経費(事務所の家賃、依頼で使う道具代、魔石の燃料費など)を差し引き、残った利益に対して一定の税率を掛けた額を王国に納めなければならないのだ。


 これを怠れば、王国の徴税局から恐ろしいペナルティが課される。

 異世界でも脱税は重罪である。そこは良いと思うんだ。


 しかし、今の私には心強い味方がいた。


「フィナさん、計算が早くて本当に助かります。さすがは王国の医学校出身ですね」

「えへへ。医学校では、薬草のグラム単位の処方箋や、難解な古代語のカルテを毎日書いていましたから。こういう細かな書類仕事や仕分けは、得意なんです!」


 フィナさんはミルクティー色の髪を揺らし、フリルのついた袖をまくって、嬉しそうに書類の束を整理してくれている。彼女の『お片付け』の弱点は、事前のインデックス化という環境整備によって完全に克服され、今では持ち前の几帳面さをフルに発揮する優秀な経理アシスタントになっていた。


「アオイ〜、私、ギルドに行って今月の魔物討伐の報酬、換金してきたよー!」


 そこへ、カランコロンとドアベルを鳴らしてリナさんが帰ってきた。

 手には、ズッシリと重い麻袋が握られている。


「お疲れ様です、リナさん。売上の計上、助かります」

「うんっ! でもさ、ギルドの冒険者もフリーランスみたいなものだから、経理って本当に大事だよね。討伐の時に自腹で買ったポーションとか、武器の修理費の領収書をちゃんとギルドに提出しないと、経費として認められなくて大赤字になっちゃうから」


 リナさんがしみじみと呟く。彼女も以前、領収書を無くして泣きを見たことがあるらしい。想像していたファンタジーな世界のギルドは、依頼を達成して報酬をもらう。という分かりやすいものだと思っていたが、この世界は意外と前世とそう大差がないっぽい。助かった、こんなところで前世の経験と知識に感謝する日が来るとは。


「その通りです。領収書は現金と同じ。そして、帳簿の数字が銅貨一枚の狂いもなくピッタリと合った瞬間のカタルシスこそ、経理の至福……!」


 私が帳簿の最後の数字を書き込み、完璧な貸借一致バランスに悦浸ろうとした、その時だった。


「……た、頼む。助けてくれ……」


 ドアの隙間から、地獄の底から這い出してきた亡者のような、ひどく掠れた声が響いた。


「ひぃっ!? アンデッド!?」


 フィナさんが悲鳴を上げて私に抱きつく。

 しかし、フラフラと事務所に入ってきたのはアンデッドなどではなく、王国の誇る『銀麗の騎士団長』こと、ラインハルト様だった。


 いつもは美しく整えられているはずの金髪はボサボサに乱れ、目の下には、フィナさんのカバンの中にあったブラックホールよりも深いクマができている。


「ラ、ラインハルト様!? 一体どうされたんですか!? 魔物でも攻めてきたんですか!?」

「魔王より、タチが悪い……」

「え!まさか戦争!??」


 ラインハルト様はそう言って、ドサァッ! と、抱えていた巨大な麻袋を私のデスクにぶちまけた。


「……なんですか、これは。ゴミ、ですか?」


 私は、デスクに広がった惨状を見て、ため息をつく。

 それは、泥や魔物の血(?)のようなものがべっとりと付着した羊皮紙の切れ端、クシャクシャに丸められた酒場のナプキン、さらには『剣の修理代。いくらか忘れた』とだけ殴り書きされた謎の木片の山だった。


「我が騎士団の連中が持ってきた……今月の、経費精算の領収書だ」


 ラインハルト様は、両手で顔を覆って天を仰いだ。


「あいつら、剣の腕は立つのだが、事務仕事となると絶望的でな。これを王国の経理局に提出したところ、『日付がない』『店舗名が不明』『そもそもこれ葉っぱじゃないか』と、すべて突き返されてしまったのだ……」


「……でしょうね。経理局を舐めないでいただきたい」


「このままでは経費が下りず、私が団長として自腹を切って立て替えるしかない。しかし、それでは私の財布が破産してしまう! 君たちのその素晴らしい事務処理能力で、なんとかこれを『通る書類』に整理してくれないだろうか……!」


 泣き落としにかかる騎士団長。

 その悲痛な姿を見て、私の脳裏に、前世の営業部の連中の顔がフラッシュバックした。


 月末の締め日ギリギリになってから、ポケットの底でクシャクシャになった正体不明の領収書を「後藤ちゃん、これテキトーに処理しといて〜」と押し付けてきた、あの憎き営業部員たち。そのせいで私は何度、サービス残業の末に終電を逃したことか。


「……はぁ。なんて可哀想なラインハルト様。今回だけですよ。私がなんとか計算して、経理局に通るようにまとめて――」


 私が慈悲の心を出し、そのゴミ……いや、領収書の山に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。


 ――ビシィッ!!


 私の中に備わったスキル『反復拒否リフューザル』が、猛烈なサイレンを鳴らして起動した。


「……えっ?」


 書類に伸びかけた私の手が、空中でピタリと止まる。

 そして、私の意志とは全く無関係に、体がスッと立ち上がった。


 左手を腰に当て、右手をラインハルト様の前に突き出す。そのまま右手の人差し指を立てて、チッチッチッ、と左右に振りながら、片目をパチリとウインクする。

 それは、一昔前の洋画に出てくるキザなプレイボーイがやるような、『ノー・ノー。出直してきな、子猫ちゃん』と言わんばかりの、無駄にあざとくて恥ずかしいポーズだった。


(ぎゃああああああ!? なにこの昭和のトレンディ俳優みたいなポーズ!! なんで私、騎士団長に向かってドヤ顔でウインクしてるの!?)


 顔面から火が出るほどの羞恥心に襲われながら、私はスキルの明確な意思を理解した。


 他人のずさんな経費精算を、情にほだされて肩代わりしてやる。

 それは、現場の甘えを助長し、ひたすら私の仕事(残業)が増えていくだけの、前世と同じ最悪の『無限残業ルート』なのだ。


「ア、アオイさん……? なんだか、すごく……キマってます……?」


 フィナさんが戸惑いながら拍手をしている。やめて、褒めないで。

 スキルの拘束がフッと解け、私は咳払いをして乱れたワンピースの裾を直した。


「……ラインハルト様」


 私の声は、先ほどまでの「優しいなんでも屋」のものではなく、修羅場をくぐり抜けてきた「経理の鬼」のそれに変わっていた。


「ひっ。は、はい」


 ラインハルト様が、私の放つ冷酷なオーラに気圧されて背筋を伸ばす。


「私がこれを、今回だけ綺麗に処理してあげることは簡単です。ですが、それでは来月も再来月も、彼らは同じゴミをあなたの元へ持ってくるでしょう。現場の意識を根本から改革しない限り、あなたの破産は免れません」


「お、おっしゃる通りだ。しかし、どうすれば……」


「私と協力して、彼らが『正しく提出せざるを得ないシステム』を作ります。いいですね?」


 私は紙と羽ペンを取り出し、誰でも書ける、極めてシンプルな『経費精算統一フォーマット』を作成した。


「【日付】【店舗名】【購入した品目】【金額】【何のために使ったか】。この五項目です。これを現場に徹底させてください。この項目が一つでも抜けていたり、文字が読めなかったりした場合、絶対に受理してはいけません。自腹を切らせてください」


「じ、自腹……。しかし、部下たちにそこまで厳しくするのは……」


「心を鬼にするのです、騎士団長! 経理の不備は魔物よりタチが悪いですよ!」


「アオイがいつにも増して怖い……これが経理モード……」


 リナさんが後ろで震え上がっている。


「とはいえ、多忙なラインハルト様がいちいち全ての書類をチェックして差し戻すのは、非効率の極みですね。……少しお待ちください」


 私は事務所の奥へ行き、先日、道具屋のローガンさんから「面白いものができた」と買わされていた、ヘンテコな魔導具を引っ張り出してきた。


 それは、ずんぐりとしたカエルのような形をした、大きな木製の箱だった。正面には、手紙を入れるような横長の「口」がついている。


「これは、ローガンさん特製の『意思持つ集金箱(喋るポスト)』です。これを、騎士団の詰所の入り口に設置してください」


「喋るポスト、だと?」


「はい。このポストの魔力回路に、先ほどの『五項目が揃っているか』という判定条件ルールを付与します。フィナさん、ちょっと協力をお願いできますか」

「はいっ!」


 私たちはポストを調整し、テストとして、ラインハルト様が持ってきたゴミの中から「日付も品目もないただの紙切れ」をポストの口に突っ込んだ。


 すると、ポストがブルブルと震え出し、正面の口が大きく開いた。


『ごっつぁんです! ……いや、物言いがついたでごわす! 日付と品目がないでごわす! こんな不味い書類は食えんでごわす! ペッ!!』


 ポストは、お相撲さんのような野太い声で叫ぶと、突っ込まれた紙切れを勢いよくラインハルト様の顔面へと吐き出した。


「うわっ!?」

「このように、完璧なフォーマットの書類だけを『ごっつぁんです!』と食べて収納し、不備がある書類は容赦なく吐き出して突き返す、最強の経理アシスタント魔導具です」


 私はふふん、と胸を張った。


「これなら、ラインハルト様の手を煩わせることなく、騎士の皆様に『正しいフォーマットで出す』という躾を強制的に行うことができます」


 *


 数日後。

 再び事務所を訪れたラインハルト様は、まるで憑き物が落ちたようにスッキリとした顔をしていた。


「アオイ殿……いや、アオイ様。君は本当に素晴らしい」


 彼は深く頭を下げた。


「あの『喋るポスト』を詰所に設置したところ、最初は書類を吐き出されて文句を言っていた部下たちも、自腹を切る恐怖から、次第に綺麗にフォーマットを埋めて提出するようになったのだ。経理局からも一発で決済が下りた。これで私は、月末の徹夜仕事と破産の危機から解放されたよ!」


「それは良かったです。経理の基本は、入り口でのエラーチェックですからね」


 私が涼しい顔でハーブティーをすすると、ラインハルト様は少しだけ顔を引きつらせた。


「しかし……我が騎士団の荒くれ者たちが、『あのポストの後ろには、剣も魔法も通じない恐ろしい“経理の悪魔(アオイ悪魔)”がついているらしい』と恐れ慄いているのだが……」


「あら、心外ですね。私はただの、しがない『なんでも屋』の事務員ですよ?」


 私がミントグリーンのワンピース姿で、ふふっと最高の(そして一切の妥協を許さない経理の)笑顔を向けると、騎士団長は「ヒッ」と小さな悲鳴を上げて後ずさった。


 こうして、私の前世のトラウマを刺激した経費精算問題は、ファンタジーの魔導具と事務員のロジックによって見事に解決された。


 私の変なポーズのレパートリーに『昭和のプレイボーイ』が追加されてしまったことは納得がいかないが、王国の騎士団にまで「なんでも屋の事務処理能力」の恐ろしさ……もとい、素晴らしさが轟き始めたのだった。

 いつの日か、悪魔だけは訂正させに伺おうかしら。

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