第20話:切り・捨て御免
休日の余韻がまだ微かに残る、月曜日の朝。
なんでも屋の事務所は、朝陽の暖かさと、フィナさんが淹れてくれた甘いアプリコットティーの香りに包まれていた。
普段なら、仕事のスイッチを入れるために白いブラウスと濃紺のスカートという「戦闘服(事務服)」に身を包むところだが、今日の私は少しだけ落ち着かない気持ちでデスクに座っていた。
「やっぱりアオイさん、すっごく可愛いです! その服にして大正解でした!」
「うんうん! 事務所がパァッと明るくなったみたい!」
二人のアシスタントに絶賛されているのは、こないだお買い物で購入したミントグリーンのワンピースだ。
今朝、いつもの事務服を着ようとした私を二人が全力で阻止し、「せっかく可愛い服を買ったんですから、着ないともったいないです!」と、髪の編み込みから花の髪飾りのセットまで、完璧なヒロイン仕様に仕立て上げられてしまったのだ。
裾がふわりと揺れる柔らかな布の感触に、どうにも仕事モードに入りきれない。
(なんだかソワソワします。前世で、間違えて年一の私服出勤の日にカッチリスーツで行ってしまった時のような居心地の悪さ……いや、逆か)
私が一人でそわそわと頬を掻いていると、カランコロンと控えめなドアベルの音が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
立ち上がって営業スマイルを向けた先には、深いフードのローブを被った穏やかな雰囲気の男性――以前、温室の温度調整魔導具を直したお忍びの常連客、リュミさんが立っていた。
「おはよう、アオイくん。……おや?」
リュミさんは私の姿を見ると、目を少し見開き、それからふっと優しげな微笑みを浮かべた。
「見違えたよ。どこからか春の精霊が舞い降りてきたのかと思った。とてもよく似合っているね」
「あっ、あばばばば、そ、そんな、恐縮の極みでふ……!」
大人の余裕たっぷりのスマートな褒め言葉に、私の限界社会人メンタルは瞬時にキャパオーバーを起こし、顔から火が出るほど赤面して噛み倒してしまった。
リナとフィナが後ろでクスクス笑っている。
「コホンッ! そ、それで、本日はどのようなご依頼でしょうか!?」
私が咳払いをして必死に誤魔化すと、リュミさんは少しだけ困ったように眉を下げた。
「実は、私の知人が管理している地下書庫が、書類で溢れかえってしまってね。あまりの重さに床が抜けそうになっていて、文官たちが疲弊しきっているんだ。この間の見事な仕事ぶりを思い出してね、なんでも屋の君たちなら、何か良い解決策を出してくれるのではないかと思ってね」
(書類整理……! ついに来ました、純度百パーセントの事務仕事!)
魔物討伐や建物の解体ではなく、私が最も得意とする領域だ。
「お任せください! 弊社の全力をお見せしましょう!」
私はワンピースの裾をギュッと握りしめ、力強く頷いた。
*
リュミさんに案内されてやってきたのは、王都の中枢にほど近い、とある巨大で立派な石造りの建物の地下だった。
(すごく大きなお屋敷ですね。どこの貴族様の持ち物でしょうか)などと呑気に考えていた私は、重厚な鉄の扉の奥――地下書庫の惨状を見て、絶句した。
「こ、これは……」
カビと古い紙、そしてインクのツンとした匂いが充満する薄暗い室内。
そこには、床から天井まで、羊皮紙の束がまさに地層のように積み上がっていた。少しでも触れれば雪崩を起こしそうな「紙の迷宮」だ。
その隙間で、目の下に濃いクマを作った文官たちが、フラフラと書類の束を抱えて途方に暮れている。
「大変なことになってるね……」
「紙の匂いで息が詰まりそうですぅ……」
リナさんとフィナさんも、その圧倒的な物量に圧倒されている。
「古い慣例でね。決済が下りた過去の書類は、すべて保管しておかなければならない決まりなんだ。だが、整理が追いつかず、この有様で……」
リュミさんの説明に、私は深く頷いた。
なるほど、終わらない承認フローと形骸化した保存ルールの末路というわけか。
「わかりました。まずはすべての書類を年代順に分類し直して、インデックスを――」
私が腕をまくり、目の前の書類の山に手を伸ばした、その瞬間だった。
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、猛烈な勢いで起動した。
「……えっ?」
書類に伸びかけた私の手が、空中でピタリと止まる。
そして、私の意志とは全く無関係に、両手が顔の横に上がり、ピースサインを作った。そのまま指をチョキチョキと動かしながら、最後に片目を閉じてペロッと舌を出す。痛い。恥ずかしい。
(ぎゃあああああああ!? なにこれ!? 服が可愛いからってスキルのモーションまでアイドル仕様にアップデートしないでぇぇ!! っていうか、チョキチョキしろ(切れ・捨てろ)ってことですね!? わかりましたから!!)
羞恥心で精神が爆発しそうになりながら、私はスキルの警告を正確に読み解いた。
無駄な書類を真面目に整理しようとする。
それは「無駄な仕事の温床」を育てるだけの、前世と同じ失敗ルートなのだ。
「ア、アオイさん……カニさんの真似ですか……?」
「……コホン。準備体操です。さて、仕事モードに入りますよ」
私は鞄から、アンドレのおやっさんが誂えてくれた仕事着である「黒と深い青の神秘的なローブ」を取り出し、ミントグリーンのワンピースの上からバサリと羽織った。魔力の放熱口であるスリットから、編み上げサンダルと素足が覗くが、汚れを弾く『水精霊の加護』があれば、この埃っぽい書庫でも無敵だ。
「リュミさん。整理はしません。私たちの解決法は『断捨離(ペーパーレス化)』です」
「だんしゃり?」
「はい。『いつか使うかもしれないから取っておく』……その“いつか”は絶対に来ません! 私の経験上、これは断言できます!」
私は、ポカンとしている文官たちに向かって宣言した。
「本当に重要な書類だけを残し、それ以外はすべて処分します!」
「そ、そんな馬鹿な! どれが重要でどれが不要か、膨大すぎて見分けがつきませんよ!」
文官の悲鳴に、私はふふっと笑って隣の可愛い後輩を振り返った。
「そこで、フィナさんの出番です」
「わ、私ですか?」
「フィナさんの治癒魔法は、人の生命力や魔力的な巡りを感じ取るのが得意ですよね。重要な決済書類には、書いた人の『強い想い』や『決裁の魔力痕跡』がサインと共に残っているはずです」
「あっ……なるほど! それなら、痕跡の強さで判別できます!」
フィナさんは合点がいったように頷き、書類の山に両手をかざした。
「――現ぜよ」
彼女の指先から淡い光が放たれ、書庫全体に波紋のように広がっていく。すると、地層のように積まれた書類の中で、ほんの数パーセントの紙だけが、蛍のようにぼんやりと温かな光を放ち始めた。
「光っているのが、人の意思がこもった重要書類です! 残りの光っていないものは、ただの写しや、慣例で作られただけの中身のない紙です!」
「素晴らしい! 文官の皆さん、光っている書類だけを回収して避難してください!」
重要書類が抜き取られ、後には「九割の不要なゴミ」が残された。
さて、これをどう処分するか。
「リナさん。究極のストレス発散のお時間です」
「えっ? アオイ、どういうこと?」
「これを細かく刻んでください。魔法で巻き上げます」
私は生活魔法を発動し、空気を循環させる応用で、下から上への強い風の渦を発生させた。バサバサバサッ! と、光っていない不要な羊皮紙の束が宙に舞い上がる。
「なるほど! そういうことね、任せて!」
リナさんが嬉々として長剣を抜いた。
そして、空中に舞い上がる無数の紙に向かって、踏み込む。
「たぁぁぁっ!!」
シュバババババババッ!!
それは、剣というよりも、もはや厨房の包丁のような動きだった。
リナさんの見えない速さの剣閃が、空中の紙を均等なサイズにみじん切りにしていく。一切の無駄がない、極限まで高められた剣の精密コントロールだ。
「あはははっ! これ、すっごく楽しい! 剣の特訓にもなるし最高ー!」
「剣技が、まるで厨房の千切り包丁のように……」
リュミさんが、額に汗を浮かべながら苦笑いしている。
究極の人間シュレッダーが爆誕した瞬間だった。
細かくされた紙は、後で農家の肥料や燃料として再利用できる、完璧なエコ仕様である。
*
数時間後。
天井まで詰まっていた書類の山は消え失せ、地下書庫には広々とした空間と、風通しの良い清浄な空気が戻っていた。綺麗にファイリングされた数少ない重要書類を抱きしめ、文官たちが大号泣して私たちに拝み倒している。
「……恐れ入ったよ。まさか、整理するのではなく『捨てる』という選択を突きつけてくるとは」
リュミさんは、床に落ちた細かい紙吹雪の欠片を拾い上げながら、深く息を吐き出した。
「『いつか使う』は来ない、か。……私自身も、国という名の過去の慣例を、無駄に抱え込みすぎていたのかもしれないな」
彼はどこか晴れやかな顔で、私を見つめた。
「君たちのその力は、ただの『なんでも屋』にしておくには惜しい。いつか、国を動かす者たちにも必要になるかもしれないな」
「いえいえ、私たちはしがない町の『なんでも屋』ですよ」
私はドヤ顔を決めて、ローブの裾をふわりと揺らした。
「捨てる勇気こそが、一番の効率化ですから」
「アオイさーん! 終わりましたよー!」
「お腹すいたー! アオイ、ご飯行こー!」
奥から、リナさんとフィナさんが手を振って駆け寄ってくる。
可愛い服を着たヒロインと推し、そしてそれを優しく見守るミントグリーンの事務員。
紙吹雪が舞う地下書庫で、私たちは顔を見合わせて笑い合った。
失敗を乗り越え、新しい挑戦を楽しむ私たちの「なんでも屋」は、今日も完璧に機能しているのだった。
(けど、魔法の力とはいえ。一回やっぱり目を通して確認しといたほうが良かったかな……もしあの中に、”意思が込められてない重要な書類”があったら……——)
(—まあ。それはその人が悪かったってことで良いか。良いよね)




