第19話:自分を大切にする時間
窓から差し込む光が、すっかり柔らかな黄昏色に変わっていた。
王都の時計塔が、静かに午後六時の鐘の音を響かせる。
遠くから微かに聞こえる荷馬車の音と、夕飯の支度を急ぐ人々の足音。風が運んでくるのは、どこかの家で焼かれている香ばしい肉の匂いだ。
「ありがとうございました。また何かお困りごとがありましたら、いつでも『なんでも屋』へお越しくださいね」
私は木製のドアに手を添え、今日最後のお客様を笑顔で見送った。
パタン、とドアを閉め、表の看板を『Closed(準備中)』に裏返す。
これにて、今週の営業はすべて終了だ。
「ふぅ〜! 今週も終わったね〜! アオイ、フィナちゃん、お疲れ様!」
ソファにダイブしたリナさんが、エメラルドグリーンの髪を揺らして大きく伸びをした。
「お疲れ様でした! 迷子の猫探しから、壊れた荷車の修理まで……毎日色々な依頼があって、すごく新鮮です!」
フィナさんも、持っていた記録用の羊皮紙を胸に抱きしめながら、ぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せる。
(はぁ……夕陽に照らされた推し《《たち》》の笑顔、尊すぎて直視できない。今週の疲れがすべて光の粒子となって浄化されていく……)
内心で限界事務員特有の合掌をしながら、私は火の魔石にポンと触れた。
小さな火の精霊がパチパチと現れ、お疲れ様の一杯を淹れるためのお湯を沸かしてくれる。
「お二人とも、一週間本当にお疲れ様でした」
私は淹れたてのハーブティーを二人の前にコトッと置き、自分もカップを手にして向かいに座った。
「……それでですね。実はお二人に、明日のお休みにお願いしたい『重大なミッション』がありまして」
「重大なミッション!?」
リナさんがガバッと身を起こす。フィナさんもごくりと息を呑んで私を見た。
私は深く息を吸い込み、カップを両手で握りしめて頭を下げた。
「私の……女子力向上計画(お買い物)に、付き合ってください!」
数秒の沈黙の後。
「ええーっ!? アオイさんがおしゃれに目覚めた!?」
「わぁっ! 賛成です! 可愛いアオイさんを見るのが楽しみです!」
二人は大はしゃぎで立ち上がり、私を取り囲んで手を取り合った。
前世では「休日は死んだように眠る日」であり、おしゃれなんて言葉は辞書に存在しなかった。
しかし、この異世界でホワイトな労働環境を手に入れ、眩しすぎるヒロインと推しに囲まれてしまった以上、私も少しは自分に手間をかけなければ、隣を歩くのが申し訳なくなってしまうのだ。
*
翌日。
「可愛いアオイさんプロデュース大作戦」の引率者となった二人に連れられ、私は王都の中心部にある『服飾通り』へとやってきていた。
休日の服飾通りは、まさにファンタジーの魔法と職人技が融合したきらびやかな別世界だった。
ショーウィンドウには、光の反射で色が淡く変化する幻惑布のドレスが飾られ、上空では小さな光の精霊たちがキラキラと鱗粉を振り撒きながらマネキンの周りを飛んでいる。(精霊は魔法の力によるもの)
道行く人々の服装も華やかで、ただ歩いているだけで目がチカチカしてきそうだった。
「アオイさん! これなんてどうですか!?」
華やかなブティックに入り、フィナさんが目を輝かせて持ってきたのは、たっぷりのフリルとリボンがあしらわれた、お人形さんのようなドレスだった。
「いやいやいや! フィナさんなら百パーセント似合いますけど、私が着たらただの痛い大人になっちゃいますから!」
「じゃあ、こっちは!? 動きやすそうだし、涼しいよ!」
今度はリナさんが、丈の短いショートパンツに、おへそと肩がガッツリ出るタイプの活動的な服を押し当ててくる。
「ダメですダメです! 年齢的に、前世のコンプラ的にアウトです! というか、公共の皆様にお見せできるような肌や体形してないのに、そんな露出の高い服なんて着られません!!」
「ん??なにそれ呪文??」
前世の「目立たず無難な服しか着ない」という事務員の防衛本能が全力で警鐘を鳴らす。
私は二人が持ってきた服から逃れるように、「もっとこう、首元までしっかり詰まっていて、床スレスレまである落ち着いた色の長袖を……」と、店の奥にあるグレーの無難な服に手を伸ばそうとした。
――その瞬間だった。
ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、猛烈な勢いで起動した。
「……えっ?」(こんな時にも!?)
無難な服に伸ばした手が空中でピタリと止まる。
そして、私の意志とは無関係に、両手がスッと顔の横に上がり、両頬をふんわりと包み込む。さらに首をわずかにコテンと傾け、片足をピョンと跳ね上げた。
それは、絵に描いたような「キャッ♡」とはにかむ、あざとさ1000%の完璧な『ぶりっ子ポーズ』だった。
(ぎゃあああああああ!? なにこれ!? なにこの絶妙に痛いポーズ!!)
店内のおしゃれな鏡に映る自分を見て、私は内心で盛大に絶叫した。
「ア、アオイさん……! 今のポーズ、すっごく可愛いです!」
「う、うんうん!やっぱりアオイは可愛い服を着るべきだよ!」
フィナさんとリナさんがパァッと顔を輝かせる。いや、気を使ってないか?
(違うんですぅぅ! 私の意志じゃないんです!! っていうかスキルさん! 私が無難で地味な服を選んで自分を押し殺そうとしたからって、こんな辱めで新しい挑戦(可愛い服)を強要してくるのやめてくださいぃぃ!!)
『そのポーズは、あなたが前世でずっと抑圧していた『あなたの本心』なのよ』
『——いわば、あなたの本当のセンスね』
(いやいやいや、み。認めたくない!!!!)
顔面から火が出そうな羞恥心に耐えながら、私はスキルの嫌がらせ……もとい、最適化された導きに屈するしかなかった。
*
結局、二人の猛プッシュとスキルの圧力により、私は少し明るいミントグリーンのワンピースと、足首で編み上げる可愛いブラウンのサンダルを購入することになった。
試着室から出ると、二人は「すっごく似合ってる!」「アオイさん、本物のヒロインみたいです!」と手放しで絶賛してくれた。
裾がふわりと揺れるワンピースは、少しだけ鎖骨が見えるデザインで、私にとっては大冒険だったが、風通しが良く、歩くたびに自分の心が少しだけ浮き立つのがわかった。
(……うん。たまには、こういうのも悪くない、かも)
「服が買えたら、次はあそこに行きましょう! アオイさんにぴったりの小物を探したいんです!」
フィナさんに手を引かれて次にやってきたのは、王都のメインストリートの角にある、巨大な「エルダーハーブ商会」と呼ばれる『ドラッグストア』だった。
外観は蔦の絡まるレンガ造りだが、中に入ると、天井からは光るシャボン玉がフワフワと舞い落ち、棚には色とりどりの薬草、香水、美容液、そして魔法の小間物がズラリと並んでいる。
商品に触れると「お肌ツヤツヤ〜」と喋る小さな貝殻のコンパクトや、風の精霊が香りを運んでくれる香水瓶など、見ているだけで飽きない空間だった。
こういうメルヘンな魔法の使い方。良い。
私たちは店の奥にある、自由に香水や化粧品を試せる休憩スペース(カフェのような円卓)に腰を下ろした。
「ふぅ、さすがに歩き回って少し疲れましたね」
私は椅子に座り、無意識のうちに自分の長いダークブラウンの髪をバサッと一まとめにした。
「ちょっと髪が邪魔ですね。ええっと……」
私は自分の鞄に手を突っ込み、いつも仕事中に使っている「事務用の大きな黒いクリップ」を取り出し、それで後ろ髪をガサツにバチンと留めようとした。
パシッ。
その瞬間、私の両手は、リナさんとフィナさんの手によってガッチリとホールドされた。
「ダメです、アオイさん!!」
「せっかく可愛い服を着てるのに、そんな黒い仕事用クリップで髪を留めたら、一瞬で事務員に逆戻りだよ!」
「えっ? で、でも、これが一番早くて効率的というか……私の『手癖』でして……」
私が言い訳をすると、二人は呆れたように顔を見合わせた。
「自分を可愛く見せるのって、効率じゃダメなんですよ」
フィナさんが優しく言いながら、私の手から事務用クリップを取り上げた。
「ええ?」
「私がやります!」
フィナさんは私の背後に回り、手櫛で優しく私の髪を梳き始めた。
彼女の指先から、ほんのりとした温かさと、心地よい魔力の巡りを感じる。
「そうそう。手間をかけるからこそ、気分が上がるんだよ!」
リナさんがニコニコ笑いながら、さっきの店でこっそり買っていたらしい、小さな白い花の髪飾りを取り出した。
フィナさんの細く器用な指が、私の長い髪を丁寧に、そして少し複雑に編み込んでいく。
誰かに髪をいじってもらうなんて、いつ以来だろうか。
前世では、全てを効率化し、自分のケアにかける時間を極限まで削って。
ただ「無難に生きる」ことだけを優先していた。
自分のためにお金や時間をかけることは「贅沢だ」と思い込んでいた。
でも、違うのだ。
「はい、完成です! すっごく可愛いです!」
フィナさんが髪を編み上げ、最後にリナさんがその花の髪飾りをサイドにパチンと留めてくれた。
私は恐る恐る、目の前にある魔法の手鏡を覗き込んだ。
そこには、いつも疲れた顔をして黒いクリップで髪を束ねている限界事務員ではなく。
ミントグリーンのワンピースを着て、綺麗に編み込まれた髪に花を飾り、少しだけ頬を紅潮させた、年相応。いや、それよりも若く見える女性の姿があった。
「……あ」
鏡に映る自分を見つめていると、視界がじんわりと滲んできた。
自分のために服を選び、誰かに髪を整えてもらい、可愛いと笑い合う。
前世では絶対に味わえなかった、ただの「自分のための時間」の喜びに、胸の奥がぎゅっと温かくなる。
「アオイ? どうしたの、泣いてるの?」
「痛かったですか!?」
慌てる二人に、私は慌てて目元を拭い、最高の笑顔を作った。
「違います。……あまりにも自分が可愛くて、感動しちゃっただけです」
「もう、アオイったら!」
「ふふっ、アオイさんは本当に素直で可愛いです!」
光るシャボン玉が舞う魔法の空間で、私たちは揃って笑い合った。
効率やショートカットでは決して手に入らない、手間をかけたからこそ得られる『自分を大切にする時間』。
失敗できない異世界生活は、どうやら私自身を「ヒロイン」に修正していくための、優しくて温かいプロセスでもあったようだ。




