第18話:混沌のカバン
私がなんでも屋の事務所の鍵を開けて中に入ると、すでに二人の「眩しい光」が、春の朝陽を浴びながら談笑していた。
「アオイさん、おはようございます!」
「おはようアオイ!」
二人のアシスタントが、同時に私へ笑顔を向ける。
今日から正式に初出勤となった元医師見習いのフィナさんと、すっかり頼もしい相棒となった剣士のリナさんだ。
フィナさんの出勤服は、彼女のふんわりとしたミルクティー色の髪によく似合う、淡いピンク色のフリルがあしらわれたワンピースだった。
王都の流行を取り入れたのだろうか、可愛らしさの中に上品さがあり、まさに「箱入りのお嬢様」といった風情。
控えめに言って眼福である。
対するリナさんは、いつもの青い装甲こそ着けているものの、綺麗な素肌を見せる脚出しファッションは健在だ。活発で美しく、歩くたびにエメラルドグリーンの艶やかなロングヘアがサラサラと光を反射して揺れる。
控えめに言って眼福である。
(……はぁ。なんて尊い光景でしょうか。私の事務所が、アイドルとヒロインの控室みたいになってる)
私は表面上は「おはようございます」と落ち着いた大人の笑みを返しつつ、内心では限界事務員特有の早鐘を打つ心臓を必死に宥めていた。
「アオイさん、温かいお茶が入ってますよ。どうぞ!」
フィナさんが、小動物のような愛らしい動きでティーカップを両手で包み込み、私のデスクまで運んできてくれた。
(推しの淹れたお茶……っ! 実質これは聖水!)
私は震える手でカップを受け取り、一口飲んだ。
カモミールの香りが五臓六腑に染み渡り、前世の荒んだ魂が浄化されていくのを感じる。
しかし、そんな至福の時間を過ごしながら、私はふとガラス窓に映る自分の姿を見て、小さくため息をついた。
フィナさんの完璧な可愛さと、リナさんの圧倒的な美しさ。
それに比べて、私の出勤服たるや。
飾りのない実用性第一の白いブラウスに、動きやすさだけを追求した濃紺のロングスカート。化粧も、前世の「出社ギリギリまで寝ていたいから五分で終わらせる」という悲しき習性が抜けず、最低限のパウダーと薄いリップしか乗せていない。
前髪シャンプーなんて当たり前だったな。
『アオイ、あんたは顔の作りは綺麗なんだから、もう少し自分を飾ってもバチは当たらないよ』と、先日宿屋のマルグリットさんからやんわりと指摘されたばかりだ。
(……うん。今度お休みの日に可愛い服を買いに行こう。これも環境改善の一環だ)
*
「さて、お茶も飲み終わりましたし、さっそくお仕事の話に入りましょう」
私は咳払いをして事務員モードに切り替えた。
「フィナさん。昨日の治療はお見事でしたが、本来、治癒魔法の前に薬草などで処置をするのはフィナさんの役目ですよね。今後の連携のためにも、あなたが普段使っている仕事道具(医療セット)を確認させてください」
「はい! もちろんです!」
フィナさんは元気よく返事をすると、足元に置いてあった自分の大きな革製の医療用カバンをドサリと机の上に置いた。
「これが私の商売道具です。消毒用のハーブや、包帯、魔力回復薬などが入ってます!」
「なるほど。では、ちょっと中を見せて……」
私がカバンの留め具を外し、中を覗き込んだ瞬間。
私は、前世の地獄のオフィスで、仕事の遅い先輩のデスクの引き出しを開けてしまった時と全く同じ、深い絶望の淵に突き落とされた。
「……フィナさん。これは……?」
「えへへ、ちょっと荷物が多いんですけどね」
カバンの中身は、まさに『ブラックホール』だった。
ぐちゃぐちゃに絡まった包帯。半分こぼれかけた謎の粉薬。
底の方で地層のように固まっている消毒用ハーブ。
その上に、なぜか半分食べかけのクッキーの袋や、道端で拾ったような綺麗で丸い石、読みかけの恋愛小説などが、一切の法則性なくぶち込まれている。
「あ、あれ? 止血用の緑の薬草が、ない……!」
フィナさんが焦ったようにカバンの中に両手を突っ込み、ガサガサと中身をかき混ぜ始める。さらに地層が破壊され、混沌が深まっていく。
「あわわわ、どうしよう! 昨日までここにあったはずなのに! ひぃぃ!」
カバンをひっくり返し、中身をデスクの上にぶちまけて大パニックに陥る推し。
(なるほど……。彼女が『焦って手順を間違える』根本的な原因、完全に理解しました)
私は静かにメガネをクイッと押し上げるような仕草をした(メガネはかけていないが)。
魔法の才能や気合の問題ではない。
彼女の弱点は、この壊滅的な『在庫管理(整理整頓)能力の無さ』にあったのだ。
「ちなみに、リナさんのカバンの中身はどうなってるんですか?」
私が横にいるリナさんに尋ねると、彼女は「え? 私の?」と不思議そうにしながら、腰から提げた小さな革のポーチを開けて見せてくれた。
「わあ……」
思わず声が漏れた。リナさんのポーチの中は、驚くほど綺麗に整理されていた。
予備の弓弦や砥石、小さな傷薬が種類ごとに小袋に分けられ、さらにその横には、ほんのりと香る花の香水や、髪を留めるための可愛いリボン、手鏡などが、見事な配置で収まっている。
「戦士の道具と、女の子の身だしなみアイテムが完璧に共存している……! これが、ヒロインの鞄の中身……!」
美しくて、機能的で、女性らしさ全開。
それに比べて、私の通勤用鞄の中身といえば、筆記用具、予備の羊皮紙、インク瓶、そして『保留(という名の永遠の封印)専用スタンプ』という、事務用品のみの砂漠のような景色だ。
(私、もう一つ決めました。この異世界で、絶対に女子力を高めます……っ!)
固い決意を胸に秘めつつ、私は目の前の惨状へと向き直った。
*
「フィナさん、落ち着いてください。止血草なら、そこのクッキーの下敷きになっていますよ」
「ああっ! 本当だ! よ、よかったぁ……!」
涙目で薬草を抱きしめるフィナさんから、私は医療用カバンを取り上げた。
「フィナさん。あなたの処置が遅れるのは、反射神経や気合のせいじゃありません。カバンの『インデックス(索引)化』と『動線(UI/UX)』が最悪なだけです」
「いんでっくす……? ゆーあい……?」
「簡単に言えば、どこに何があるか、一目でわからない状態だということです」
私は前世の事務員時代に培った、伝家の宝刀『5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)』のスキルをフル稼働させた。
「リナさん、手伝ってください。まずはこの山の『要るもの』と『要らないもの』を完全に分けます」
「はーい!」
私はデスクの上に広げられた荷物の中から、おやつや謎の石、小説などの『医療に無関係なもの(二軍)』を容赦なく別の袋へと隔離した。
そして残った『医療器具(一軍)』を、今度は「使用頻度の高さ」でランク分けしていく。
「一番よく使う包帯と消毒草は、手前の一番取り出しやすいポケットへ。次に、薬瓶です。フィナさん、この薬瓶、全部同じ形をしていて、ラベルも擦り切れて読めなくなっていますよね」
「あ、はい……。いつも匂いで嗅ぎ分けてたんですけど、焦ってるとわからなくなっちゃって……」
「それなら、視覚で直感的にわかるようにすればいいんです」
私は裁縫箱から、色のついた端切れ布を取り出した。
「止血用の薬瓶の蓋には『赤』の布を。魔力回復薬には『青』の布を、解毒薬には『緑』の布を結びつけます。こうやって色分け(カラーラベリング)をしておけば、カバンを上から覗き込んだ瞬間に、探している薬がどこにあるかノータイムでわかります」
ものの数十分。
私の環境整備によって、フィナさんのブラックホール鞄は、機能美にあふれた『完璧な医療キット』へと生まれ変わった。
「さあ、フィナさん。試しに『止血草と青の薬』を出してみてください」
「は、はいっ!」
フィナさんがカバンを開ける。
一瞬で赤い布と青い布が視界に入り、彼女の手は迷うことなく目的の薬を正確に取り出した。時間にして、わずか一秒。
「えっ!? す、すごい……! 私、探さずに薬を出せました!」
「才能や気合の問題じゃなくて、ただの『整理』の問題だったんですね!」
フィナさんとリナさんが、キラキラと尊敬の眼差しを私に向けてくる。
「ええ。探し物をしている時間は、何も生み出さない無駄な時間ですから」
私は少しだけドヤ顔を決めて、前世の職場で後輩に言いたかった(でも言えなかった)セリフを口にした。
「焦らなくてもいい、間違えようのない環境を作るのが、私の『なんでも屋』としての仕事ですから」
「アオイさん、かっこいい……っ!」
推しに「かっこいい」と言われ、私の心臓はまたしても限界を突破しそうになる。
二人の優秀で、美しくて、可愛いアシスタントに囲まれた事務所。
私の思い描く「絶対に失敗させない、失敗を悪としない。ホワイトで尊い職場」が、今度こそ着実に出来上がっていくのを感じながら、私はカモミールティーの甘い香りに深く息を吐いたのだった。




