第17話:推しの子来たる
「アオイ、今日面接に来るっていう子、そろそろ来る時間だね!」
なんでも屋の事務所の窓辺で、リナさんが元気に背伸びをした。
そう、今日は我が社にとって記念すべき日だ。
業務の拡大(主に私がブラック労働を回避するため)に伴い、二人目のアシスタント候補の面接を予定しているのである。
「ええ。履歴書によれば、元・医師見習いの治癒魔法使いとのことです。うちには回復役がいませんから、来ていただけると本当に助かるんですが」
私が新しいお茶の準備をしていると、カランコロン、と控えめなドアベルの音が響いた。
「あ、あの……アシスタントの募集を見て、来ました。ヴァニラ・フィナ、と申します……」
ドアの隙間から、おずおずと顔を覗かせた少女。
ふんわりとしたミルクティー色の髪に、少し垂れた大きな瞳。
小動物のように庇護欲をそそる童顔で、全体から「守ってあげたい」というオーラが溢れ出ている。
その顔を見た瞬間、私の中で、前世の記憶の一部が核爆発を起こした。
(――ッッッ!!!??)
手からティーカップが滑り落ちそうになる。
似ている。
いや、似ているなんてもんじゃない。
前世で、毎晩終電で帰宅しては暗い部屋で一人動画を見て心の支えにしていた、地下アイドルグループの絶対的推しメン、『水瀬しずく』ちゃんに瓜二つではないか!!
死ぬほど辛かった事務員生活を生き延びられたのは、彼女の笑顔のおかげだったと言っても過言ではない。
その推しが、ファンタジー世界で三次元に受肉して目の前に立っている。
「ひゃいっ! よよよ、よくぞお越しくだしゃいました!」
「ひっ!?」
突然、私が裏返った奇声を上げたため、フィナさんがビクッと肩を震わせた。
「さささ、どうぞこちらの上座へ! 今、極上のハーブティーをお淹れしますから! クッションの柔らかさは大丈夫ですか!? 部屋の温度は!?」
「アオイ、落ち着いて。鼻息荒いし、なんか顔が変態みたいになってるよ。ドン引きしてるから」
リナさんがドン引きした顔で私の袖を引く。フィナさんも完全に怯えた目で私を見ている。
(いけない、限界事務員のオタクムーブが漏れ出てしまった……! コンプライアンス!)
私は咳払いをして、どうにか営業スマイルを取り繕った。
その時だった。
「た、頼む! 助けてくれ!!」
バンッ! と事務所のドアが乱暴に開け放たれ、一人の見習い騎士が転がり込んできた。
「オ、オスカーさん!? どうしたんですか!?」
フィナさんが驚いて立ち上がる。オスカーと呼ばれた生真面目そうな青年騎士の腕の中には、膝から血を流して大泣きしている小さな男の子が抱えられていた。
どうやら迷子になって転んだらしい。擦り傷だが、出血のせいでかなり痛そうだ。
「き、緊急事態だ! 巡回教本・第三章四項! 『負傷者を発見した場合は、直ちに最寄りの診療所へ搬送せよ』! しかし、今日は町の診療所が全て休診日なのだ! 教本には『診療所が休みだった場合』の次の指示が記載されていない!! 私は、私はどうすればいい!?」
生真面目な若手騎士は、目を血走らせて完全にフリーズしていた。
前世の職場でたまに見かけた、「マニュアルにないイレギュラーが起きると、パニックになって何もできなくなる新人」の顔だ。
決して悪い人じゃない。真面目で実直ある故に陥ってしまうタイプ。
「と、とりあえず止血を!」
私が叫ぶと、オスカーさんはハッとしてフィナさんを見た。
「そうだフィナ! 君は医師見習いだろう! 治癒魔法を頼む!」
「む、無理よ!」
しかし、フィナさんは青ざめた顔でブルブルと首を振って後ずさった。
「私じゃだめ……! また間違えちゃう……また、失敗して、ひどいことに……っ」
過去のトラウマがフラッシュバックしているのか、彼女は自分の両手を抱え込み、呼吸を荒くして震えている。
教本がないと動けない騎士と、トラウマで魔法が使えなくなった見習い医師。
イレギュラーな事態による、見事なダブル・フリーズの完成である。
子供の泣き声が響く中、私は焦りからフィナさんの肩を掴んで、無理やりにでも治療させようと一歩踏み出した。
「フィナさん、しっかりしてください! あなたの魔法が必要な――」
――ビシィッ!!
私の中に備わったスキル『反復拒否』が、強烈なサイレンを鳴らして起動した。
「……えっ?」
私の体は勝手に動き、フィナさんに伸ばしかけた手を引っ込めると、両手でアルファベットの「T」の字を作る、完璧な『タイムアウト(待った!)』のポーズで硬直してしまった。
(ぬあああっ、また変なポーズ!? なにこれ、スポーツの審判ですか私は!?)
内心でアワアワとツッコミを入れながら、私はすぐにスキルの意図を察した。
パニックになっている人間に、「気合でやれ」「しっかりしろ」と無理やり責任を負わせる。それは、前世のブラック企業で横行していた『無責任な精神論』という名の、最悪の失敗ルートだ。
スキルの拘束が解けた瞬間、私は冷や水を浴びたように冷静な『事務員モード』へと切り替わった。
精神論で動けないなら、動けるための「環境」と「新しいマニュアル」を用意するだけだ。
「オスカー殿!!」
私は、フリーズしている見習い騎士に向かって、ビシッと指を突きつけた。
「現在より、アオイなんでも屋による『特別緊急マニュアル』を口頭で発行します! 項目1、子供をそこのソファに寝かせること! 項目2、清潔な水と布を用意すること! 項目3、周囲の安全を確保すること! 復唱!」
「っ! い、一、子供を寝かせる! 二、水と布! 三、安全確保! 了解した!!」
明確なタスク(マニュアル)を与えられたオスカーさんは、水を得た魚のように顔に生気を取り戻し、キビキビと無駄のない動きで子供を寝かせ、タオルを濡らして持ってきた。マニュアルさえあれば完璧に動ける、彼の真面目さが活きた瞬間だ。
次に、私は震えるフィナさんの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「フィナさん。あなたは、治療しなくていいです」
「……え?」
「尊い推し……ごほんっ。あなたに責任は負わせません。手当は私がやります。だから、あなたは隣で『手順だけ』を私に指示してください」
私はオスカーさんから濡れタオルを受け取り、子供の傷口に向き直った。
「血を拭きます。次はどうすればいいですか?」
「あ、えっと……緑の消毒用の薬草を、すり潰して……」
「リナさん、薬草の準備を!」
「任せてください!」
フィナさんの指示通りに、私とリナさんが完璧な手際でサポートを行う。血の汚れも、薬草の準備も、失敗するかもしれないという「責任」も、全て私たちが環境として肩代わり(排除)していく。
ものの数分で、子供の傷口は綺麗に消毒され、あとは治癒魔法をかけるだけの完璧な状態が整った。
「さて、フィナさん」
私は立ち上がり、フィナさんへと微笑みかけた。
「準備は全て完了しました。あとは、あなたの専門領域です。私が責任を持ちますから、どうぞ」
「……アオイさん」
そこにはもう、イレギュラーの焦りも、失敗の恐怖も存在しない。
フィナさんは大きく深呼吸をすると、自然な動作で子供の傷口に両手をかざした。
「――癒えよ」
彼女の掌から温かく柔らかな光が溢れ、子供の膝を包み込む。
光が収まると、そこには傷跡一つない綺麗な肌が戻っていた。
「痛いの、なくなった! お姉ちゃん、ありがとう!」
子供の無邪気な笑顔に、フィナさんはボロボロと大粒の涙をこぼして、その場にへたり込んだ。
「……すごい。臨機応変に対応するとは、現場で『新しいルール』を作ることだったのか……」
オスカーさんも、私の手腕に深く感銘を受けたように呟いていた。
*
無事に子供を送り届けた後、温かいハーブティーを飲みながら私たちは事務所のソファでフィナさんの話を聞いていた。
「私、焦ると頭が真っ白になっちゃう癖があって……」
フィナさんは、カップを両手で包み込みながらポツポツと語り始めた。
「以前、診療所にひどい怪我の急患が運ばれてきた時。早くしなきゃって焦って、準備の手順を間違えてしまったんです。間違った薬を渡しちゃって、危うく患者さんを危険な状態にするところで……先生から『お前は人の命を預かる仕事に向いてない』って言われて。それが怖くて、逃げ出しちゃったんです」
シリアスで、重たい過去。
医療の現場では、一つの小さな手違いが命に関わる。
彼女の恐怖は痛いほどよくわかった。
「でも……やっぱり、誰かの役に立ちたくて。なんでも屋なら、少しはできることがあるかなって……」
「向いてないんじゃありませんよ、フィナさん」
私は、彼女の小さな手を優しく握った。
推しの手を握っているという事実に内心の心拍数は爆上がりだが、顔は真面目な大人をキープする。呼吸は浅く、私の生ぬるい鼻息で推しの手を湿らせないように。
「イレギュラーに対する『マニュアル』と、焦らずに済む『環境』が整備されていなかっただけです。気合や根性で補おうとするから失敗するんです。人間は間違える生き物だからこそ、間違えようのない環境を作るべきなんですよ」
「間違えようのない、環境……」
「はい。私たちと一緒に、失敗しない環境を作りましょう。あなたのその素晴らしい魔法の腕は、絶対に必要ですから」
私の言葉に、フィナさんの瞳がパァッと輝いた。
「は、はいっ! アオイさん、私、ここで働かせてください! お片付けと整理の魔法を学んで、絶対に立派なアシスタントになります!」
「やたー! 私の後輩だね、フィナちゃん!」
リナさんが大喜びでフィナさんに抱きつく。
こうして、なんでも屋の事務所に二人目の頼もしい(そして最高に可愛い)アシスタントが正式に採用されたのだった。
(やった……っ! 推しが毎日事務所にいる生活! 給料を払うどころか、チケット代として私が払いたい!!)
私は表面上は「これからよろしくお願いしますね」と落ち着いた笑顔を浮かべつつ、机の下で誰にも見えないように、力強くガッツポーズをキメていた。
見ろ、この光景を。
ヒロインに推しのアイドルが私の後輩で。
しかも私の「なんでも屋(会社)」に所属している。
決めた。
この2人には前世の私のような目には合わせない。
なんでも屋で働いてよかったと、活き活きできる環境を作るんだ!




