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第14話:そのポーズ、仕様です(バグではありません)

気がつくと、私はあの日と同じ場所に立っていた。


視界を覆う、淡い乳白色の靄。

上も下も、右も左もわからない。

風の匂いも埃っぽさもなく、ただ、足元だけが新雪の上を歩いているような、頼りない感覚。


完全な無臭と、耳鳴りすら吸い込まれていくような絶対的な静寂。


(ここは……あの時の『狭間』?)


「ええ、そうです。久しぶりですね、アオイ」

「新しい生活には、もう慣れたかしら?」


深く落ち着いた男性の声と、包み込むように柔らかな女性の声が、どこからともなく響いてきた。

私に新しい世界での命と、『反復拒否リフューザル』のスキルを与えてくれた世界の案内人――多分。神様たちだ。


「はい! その節は本当にありがとうございました!」


私は靄に向かって、前世の営業先への挨拶よりも深々と頭を下げた。


「毎日ご飯は美味しいし、誰も理不尽に怒鳴らないし、何より『休日』がちゃんと休めるなんて……ここは天国ですか!? 本当に、毎日がホワイトすぎて涙が出ます!」

「ふふっ、それは良かったわ。あなたが少しでも自分を取り戻せているなら、私たちも嬉しい」


優しく笑う女性の声に、私はコホンと一つ咳払いをした。


「……それでですね、神様。今日お呼びいただいたのは他でもないのですが、一つだけ苦情……いえ、ご相談がありまして」


「ご相談? 何でしょう」


「あのですね、私がいただいた『反復拒否』のスキルなんですが。最近、発動するたびに体が勝手に、謎のキレキレなポーズを取らされるんです」


私は、昨日の温室での「天を指差すポーズ」や、事務所での「腕で大きなバツ印を作るポーズ」を思い出し、羞恥に身悶えしそうになるのを必死に堪えた。


「最初はただ動きが止まるだけだったのに、だんだん自己主張が激しくなってきていて……。あの、ダサいというか、痛いというか。できれば、もっとこう、シリアスで控えめな避け方に修正していただけないでしょうか」


私の切実な願いに対し、靄の向こうで神様たちは、困ったように少しだけ沈黙した。


「……アオイ。勘違いしているようですが、我々はあなたに『同じ失敗を避ける』という概念の種を授けただけです」


男性の声が、静かに告げる。


「それが具体的にどう発現するかまでは、干渉していません。スキルというのは、所有者の魂と強く癒着し、その形を変えるものですから」


「え?」


「つまりね、アオイ」


女性の声が、少しだけ申し訳なさそうに、けれど容赦のない真実を突きつけてきた。


「そのポーズは、あなたが前世でずっと抑圧していた『あなたの本心』なのよ」


「…………はい?」


「会社のために自分を押し殺し、無個性な事務員として振る舞い続けていた反動。本当は心の奥底で憧れていた『カッコいい主人公』や『ヒロイン』みたいな自己主張が、スキルの最適化に乗じて、漏れ出ちゃってるだけなの。いわば、あなたの本当のセンスね」


――本当の、センス。

あの、痛くて恥ずかしいポーズが、私の、素のセンス?


「ぎゃあああああああああああああああっ!?」



「アオイ!? どうしたんだい!!?」


バンッ! と勢いよく木製の扉が開け放たれ、宿屋の女将であるマルグリットさんが、おたまを片手に部屋に飛び込んできた。


窓の隙間から差し込む、少し眩しい王都の朝の光。

外からは、荷馬車の車輪が石畳を転がる音が聞こえる。

どうやら、本当にただの夢だったらしい。


「ひぐっ、ううっ……なんでもないですぅ……」


私はベッドの上で毛布を頭からすっぽりと被り、ガタガタと震えていた。


「なんでもないって、すごい悲鳴だったじゃないか。悪い夢でも見たのかい?」


「夢っていうか、残酷な真実というか……あぁ、恥ずかしい……穴があったら入りたい、死にたい……あっ、私もう一回過労で死んでたんだった……」


「ちょっとアオイ、大丈夫かい? 頭でも打ったんじゃないだろうね?」


本気で心配してくれるマルグリットさんの優しさが、今の私にはかえって胸に刺さる。


(ごめんなさいマルグリットさん、私、中身はただの痛いポーズを取りたがってる目立ちたがり屋の事務員だったみたいです……っ!)


なんとかマルグリットさんをなだめて一階へ戻ってもらい、私はベッドから這い出した。

気を取り直さなければ。

今日はなんでも屋が正式に休みとなる、週末の休日なのだから。


生活魔法で空気を循環させ、顔を洗って深呼吸をする。


「よし。お出かけの準備、しなきゃ」


今日はリナさんと、中央広場のお祭りに行く約束をしている。

私は意気揚々と部屋の隅にある小さな衣装棚を開けた。


「…………」


数秒後、私は無言で扉を閉めた。

前世の悲しき事務員の性が、ここでも私を苦しめていた。

前世の私は、休日は疲れ果てて昼過ぎまで寝て、ジャージのまま近所のコンビニに泥水を……じゃなかった、安いコーヒーを買いに行くだけの生活を送っていた。オシャレをして遊びに行く機会なんて、ここ数年、ただの一度もなかったのだ。


その習性は異世界に来てからも変わらず、私の衣装棚にあるのは事務仕事に最適な「飾り気のない布の服」数着と、アンドレのおやっさんが誂えてくれた「神秘的な黒と青のローブ(戦闘用・脚スリット入り)」しかない。


「休日に着ていく、年相応の可愛い服がない……」


絶望に打ちひしがれながら、私は結局、一番無難で目立たない、襟元の詰まった白いブラウスと、足首まである落ち着いた栗色のロングスカートを引っ張り出した。

これなら、誰の目にも留まらない、完璧な「休日のお手伝いさん(事務員)」の擬態が完了する。

おしゃれの仕方がわからない人間の、哀しき防衛本能だった。



王都の中央広場は、週末の活気とお祭りの熱気で溢れかえっていた。

石畳の照り返しが少しだけ眩しく、屋台からは肉が香ばしく焼ける匂いや、甘い果実を煮詰めたシロップの香りが風に乗って漂ってくる。

私は広場の端にある、清浄化された水が流れる小さな噴水の前で、約束の時間を待っていた。


「アオイ! お待たせー!」


聞き慣れた元気な声に、私は顔を上げた。

そして、そのまま数秒間、瞬きを忘れて硬直した。


「……えっ」


人混みを抜けて小走りで駆け寄ってきたその少女は、あまりにも、まぶしかった。


普段の、胸や肩を覆う堅牢な青い装甲はない。

今日の彼女が身に纏っているのは、健康的な素肌の美しさを惜しげもなく引き立てる、オフショルダーの軽やかな白いサマードレスだった。


歩くたびに、上質な布地がふわり、ふわりと風を孕んで柔らかく揺れる。


いつもは動きやすさ重視で無造作に結ばれていた髪は、今日は綺麗なハーフアップに編み込まれており、そこには小さな青い花の飾りが留められていた。


そして何より、私の目を釘付けにしたのは、彼女の顔立ちだ。


ほんのりと色づいた艶やかな唇。

長いまつ毛に縁取られた、宝石のように透き通る大きな瞳。

戦士としての凛々しさを残しつつも、そこに「年相応の女の子」としての圧倒的な華やかさと、少し背伸びしたような色気が同居している。


「ごめんね! いつもより髪をセットするのに時間かかっちゃって……って、アオイ? どうしたの?」


小首を傾げ、至近距離で覗き込んでくるリナさん。

風に乗って、彼女の髪から春の花のような甘い匂いがふわりと香った。

ドクン、と。

同性の私でさえ、思わず心臓が跳ね上がるほどの、圧倒的なヒロインのオーラ。


「め、目が……っ!」


私は思わず両手で顔を覆い、その場によろめいた。


「ええっ!? アオイ、また花粉症!? それとも目にごみ入った!?」

「違います……まぶしすぎて、光属性のダメージが致死量に達しただけです……っ!」

「ヒカリゾクセイ?」


『等身大の青春を全力で楽しむ、最高に可愛い女の子』の輝き。

対する私は、地味で無難な色合いのロングスカートに身を包んだ、休日の事務員。

同じ空間にいるだけで、自分のくすんだ前世の記憶が浄化されて消し飛んでしまいそうだった。


「もう、アオイってば変なの! ほら、早く行こ! !」


リナさんは全く気にした様子もなく、私の腕にギュッと自分の腕を絡め、太陽のような満面の笑みを向けた。

触れ合った柔らかな肌の感触に、私はまた少しだけ赤面してしまう。


「あ、ちょっと、引っ張らないでください! 転びますってば!」

「大丈夫! 私が手ぇ引いてるんだから、絶対転ばせないよ!」


私は、今。絵に描いたようなヒロインに手を引かれています。

この展開、十中八九イベントフラグです。逃げ道はありません。


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