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第13話:景色を変えてみること

ポカポカと暖かい温室の中で、私は工具を下ろして大きく息を吐き出した。


「隙間風、だと?」

 

お忍びの依頼人であるリュミさんが、目を丸くして私と壁際の温度調整魔導具を交互に見比べる。アシスタントのリナさんも「風?」と小首を傾げた。


「はい。……そしてですね、先ほどの私の、不本意ながら非常にキレのあるポーズですが」

 

私は赤面しつつ、咳払いをして先ほどの自分の姿勢を再現してみせた。

右手が天をビシッと指差し、右足のつま先が床をピンと押さえる、あのディスコか歌舞伎のようなポーズだ。


「これ、ただふざけていたわけじゃないんです。私の体質……というか勘のようなものが、原因を的確に『指差して』いたんですよ」


「おお、なるほど! 大魔術の構えじゃなくて、ダウジングみたいなものだったんだね!」

 

リナさんが納得したようにポンと手を打つ。


「そ、そういうことです。まず、私の右手が指差していたのは、あそこの天井近くにある天窓です」

 

私が指し示す先をリュミさんが見上げると、ガラス張りの天窓の木枠がほんの少しだけ浮いており、そこから外の冷たい空気がスーッと細い糸のように入り込んでいるのがわかった。


「そして、私の右足のつま先が押さえていたのは、リュミさんがいつも座る椅子の、すぐ下の床板です」

 

私は床板の継ぎ目を、新しい革ブーツのつま先でトントンと叩いた。


……って、これ完全に前世の安全確認『指差喚呼(ヨシ!)』じゃないですか!)

内心の私は、頭を抱えてゴロゴロと転げ回っていた。


(『足元の床板、ヨシ! 天窓の隙間風、ヨシ!』ってこと!? 確かに前世で一時期、工場の備品チェックを手伝わされた時に叩き込まれたけど! ……ねえ、神様、案内人さん! なんでスキルの発動がこんな恥ずかしいポーズに最適化されてるんですか!? 労災ですよこれ! クレーム入れますからね!)

 

スキルが私をブラック労働から守ってくれる過保護なお母さんだとしたら、これは間違いなく「授業参観で張り切って変な服を着てきちゃったお母さん」のベクトルだ。やめてほしい。


「つまり、こういうことです」

 

湧き上がる羞恥心をプロの事務員のポーカーフェイスで覆い隠し、私は解説を続けた。


「リュミさんがこの椅子に座るたび、この床板がほんの数ミリだけ沈み込みます。そのわずかな振動が、壁伝いに魔導具の筐体(外枠)を歪ませる。すると、そこに天窓から入ってきた冷たい隙間風がピンポイントで吹き込み、温度センサーの役割をしている魔石を急激に冷やして、システムをエラー停止させていたんです」


「……えっ」

 

リュミさんは絶句した。


「そ、そんな、数ミリの床の沈みと、微かな風だけで……王都の優秀な魔導師たちが束になっても直せなかったエラーが起きていたというのか?」


「はい。魔導具が精密で優秀だからこそ、です」

 

私は工具袋から木槌と、小さな木のくさびを取り出した。


「以前、街の魔導具職人さんに教えてもらったんです。魔法は数値じゃなく『呼吸』や『血流』のような自然の巡りだと。だから、器である外枠が少し歪むだけで、その呼吸は簡単に狂ってしまうんですよ」


私はリナさんにお願いして重い木製の椅子を少し横にずらしてもらい、床板の隙間に楔を当てた。


「繊細だからこそ、生活に溶け込んで。美しいんですよ、多分。魔法って」


カン、カン、とリズミカルに木槌を叩き込み、沈み込んでいた床の根太ねだをしっかりと固定する。これで、大人が座っても床は一切軋まなくなった。

 

次に、天窓の木枠の隙間に、持参していた防水布の切れ端をパッキンのように詰めて隙間風を完全にシャットアウトする。念のため、生活魔法で周囲の空気を少しだけふんわりと暖めて、結露も防いでおく。


「はい、これで修理完了です。もうリュミさんが座っても、エラーで止まることはありませんよ」


超絶アナログなDIY修理。時間にして、わずか十五分。

 リュミさんが恐る恐る椅子に腰を下ろしてみるが、床は軋まず、壁の魔導具は「シュー……」という心地よい駆動音を立てて、温室を春の暖かさで満たし続けていた。


「……信じられない。本当に、ただの建付けのズレだったとは」

 

リュミさんは深く感息し、私とリナさんを交互に見つめた。


「魔導師たちは、魔法の回路という『内側』ばかりを見ていた。だが君たちは、人間が座る動線や、風の流れという『外側の環境』を見事に読み解いてくれた。さすがは、噂のなんでも屋だ」


「えへへ、アオイはすごいんですよ!」と、リナさんが自分のことのように自慢げに胸を張る。その軽やかな青い装甲と、スリットから覗く素肌が、温室の光を受けてキラキラと輝いていた。



「修理の礼と言っては何だが……少し、一緒にお茶でもどうかな」

 

リュミさんの提案で、私たちは温室の片隅にある小さなテーブルを囲むことになった。

彼が手慣れた様子で淹れてくれたのは、花の香りがする琥珀色の紅茶と、ほろほろと口の中で崩れる上品なバタークッキーだった。


「美味しい……! なんですかこれ、ほっぺたが落ちそうです!」

「ふふ、口に合って良かった。私のお気に入りでね」

 

目を輝かせるリナさんを見て、リュミさんが穏やかに微笑む。その笑顔は、最初に出会った時よりもずっと柔らかく、少しだけ顔色も良くなっているように見えた。


「しかし……なぜ、あの床板だけが沈むようになってしまったのだろうか」

 

紅茶のカップを両手で包み込みながら、リュミさんがぽつりとこぼした。


「私がいつも、同じ場所で、同じ景色ばかりを見て、ただ重く座り続けていたからだな……。……周囲の景色を変える余裕もなく、ただ己の座る場所を守ることしかできなかったから、足元が歪んでしまったのかもしれない」

 

その言葉には、ただの椅子の話ではない、何かひどく重たい「責任」のようなものが滲んでいた。

 

王都の中心で、顔を隠してお忍びでここへ来るような人だ。

きっと、私の想像もつかないような重圧を背負って、日々を戦っているのだろう。


私はクッキーを飲み込み、彼の顔を真っ直ぐに見つめた。

 

リュミさんの言葉が、前世の真っ暗なオフィスで、自分のデスクから一歩も動けずにモニターだけを睨み続けていた『私』と重なったからだ。


「……なら、たまには椅子の場所を動かせばいいんですよ」

「え?」

「ずっと同じ場所で、同じ重さを背負い続けたら、どんなに頑丈な床だって歪みます。それは、リュミさんが悪いんじゃなくて、物理的な法則です」

 

私は、自分の着ているローブの裾を少しだけ直しながら言った。


「床が沈むなら、直せばいい。でも、もしまた歪みそうなら、思い切って環境を変えてみるのも一つの手です。椅子を窓際に寄せて、違う角度から花を見てみる。それだけで、背負っている重さの感じ方も、きっと少し変わりますよ。……環境を変えることは、逃げじゃなくて、立派な『修正』ですから」


前世の私が、どうしても自分に許可できなかったこと。

 

異世界に来て、反復拒否のスキルに無理やり背中を押されて、ようやく気づけたこと。

 

私の拙い言葉を聞いて、リュミさんは一瞬、はっと目を見開いた。そして、紅茶の水面を見つめ、やがてふっと、憑き物が落ちたように穏やかに笑った。


「……ああ。そうだな。ずっと同じ場所で踏ん張る必要は、ないのかもしれない」

 

彼は深く息を吸い込み、温室の天井を見上げた。


「アオイくん。君に依頼して、本当に良かったよ。壊れていたのは魔導具だけじゃなく、私の心の方だったらしい」



「ふぅ〜、いい仕事したね、アオイ!」

「はい。美味しいお茶とお菓子もいただけて、最高の依頼でした」

 

リュミさんから適正な修理代(と、お土産のクッキー)を受け取り、私たちは夕暮れの王都を歩いていた。

 

大魔導士の噂にヒヤヒヤしていた朝の憂鬱はどこへやら。

今は「誰かの日常の小さなズレを直せた」という、なんでも屋としての確かな充実感で胸がいっぱいだった。

 

リュミさんの正体はわからないままだけど、お疲れ気味の大人同士。

静かなお茶飲み友達のような繋がりができた気がして、なんだか少し嬉しい。


「ねえねえ、アオイ!」

 

隣を歩くリナさんが、急に私の腕にギュッと抱きついてきた。


「明日と明後日は、私たちのなんでも屋、お休みだよね! 週末だよ!」

「あ、はい。そうですね」

 

この世界にも「週末(休日)」という概念はしっかり存在する。

(……休日。なんて甘美な響き。前世では、土日も『自主的なサービス出勤』という名の地獄に消えていたのに。今はちゃんと、休むことが許されている……っ!)

 

再び社畜のトラウマが顔を出し、休日の存在そのものに涙ぐみそうになる私。


「だからさ! 明日は王都の中央広場でやってるお祭りに行こうよ! 屋台の串焼き食べて、可愛いアクセサリーとか見に行こう!」


「お祭り……遊びに、行く?」


「そう! アオイ、いつも真面目に仕事ばっかりしてるんだもん。たまにはパーッと息抜きしなきゃダメ!」

 

リナさんの屈託のない笑顔に、私は思わず目を瞬かせた。

友達と、休日に、ただ遊びに出かける。

そんな当たり前のことが、今の私には、とてつもなくきらきらとした「新しい挑戦」に思えた。


「……はい! ぜひ、行きましょう!」

 

私は大きく頷き、新しいローブの裾を揺らして笑った。

失敗できない異世界生活。明日は初めての休日のお出かけだ。

どんなドタバタが待っているかはわからないけれど。

この温かい日常なら、きっと全部うまくいく気がした。

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