1-2
(2026/4/14)1-1、1-2の美咲の「ひよりん」呼びを「日和」にしました。
文化祭の熱気が冷めやらぬ金曜日の夜。学校近くのカラオケボックス『エコー』は、打ち上げに集まったクラスメイトたちの狂騒に包まれていた。
案内されたのは、店の一番奥にある「30号室」。少し立て付けの悪いドアを開けると、安っぽい芳香剤と、誰かがこぼしたコーラの甘ったるい匂い、そして数十人の若者が発する熱気が混ざり合い、密閉された空間に重く停滞していた。
「日和、何歌う? 私、これ予約しちゃうよ!」
美咲がデンモクを操作しながら、隣の日和に肩を寄せる。美咲の肌からは、華やかな香水の香りと、今日一日を全力で駆け抜けた達成感の熱が伝わってきた。日和は「美咲の好きな曲でいいよ」と控えめに微笑んだ。
タンバリンの乾いた音、マイクを通した歪んだ歌声、そして絶え間ない笑い声。日和はその喧騒の中に身を置きながら、どこか遠くの出来事を見ているような感覚に陥っていた。彼女にとって、この賑やかさは自分を消し去るための隠れ蓑であり、同時に最も孤独を感じる場所でもあった。
打ち上げが中盤に差し掛かり、ドリンクバーの氷が溶けきった頃。クラスの調子乗りである佐藤が、不気味な薄笑いを浮かべて大型モニターの前に立った。
「なあ、歌ばっかじゃ飽きるだろ。今、ネットの裏掲示板で一番ヤバいって噂の動画、持ってきたんだわ。再生回数が伸びるたびに消されるっていう伝説のやつ」
「えー、何それ。ホラー系?」「趣味悪ーい」
口々に言いながらも、全員の視線がモニターに釘付けになる。佐藤は手慣れた動作でスマホをモニターに繋いだ。
部屋の照明が落とされ、一瞬の静寂が訪れる。
「やめなよ、そういうの……」
誰かの小さな呟きをかき消すように、音量の上がったスピーカーから、異様な「音」が流れ出した。
それは、遠くで鳴り響く空襲警報のようなサイレンの音に、何十人もの赤ん坊の泣き声と、喉を掻き切るような断末魔の叫びを無作為に混ぜ合わせたような、不快極まりない音響だった。
画面に映し出されたのは、ネットの深淵に蔓延る「見たら死ぬ」と称される歪んだ画像、出所不明の古い心霊写真、そして解体現場や廃病院で撮影されたらしい薄気味悪い動画を、脈絡なく繋ぎ合わせたコラージュ映像だった。
白昼夢のように明滅する画像群。首の折れたマネキン、濁った瞳でこちらを見つめる肖像画、そして最後の一瞬、画面いっぱいに映し出された巨大な「目」のような紋様が、日和の視線を真っ向から射抜いた。
「……っ!」
日和は息を呑み、思わず目を逸らした。
その瞬間、胃の奥に冷たい石を流し込まれたような、重苦しい不快感が広がった。周囲のクラスメイトたちは「全然怖くないじゃん!」「今の作り物くさすぎ」とはやし立てていたが、日和だけは違った。
あの映像に散りばめられた、名もなき悪意の断片。
それらが、日和が幼い頃から抱えてきた「不幸」の土壌に、音もなく根を張ったような気がした。日和の手のひらには、ねっとりとした冷たい汗が滲んでいた。
その夜を境に、日和の周囲の世界は劇的に「傾き」始めた。
これまでの彼女の不幸は、せいぜい「自分一人が損をする」程度で済んでいた。自分が転ぶ、自分の持ち物が壊れる、自分だけが雨に降られる。しかし、あのビデオを見てからというもの、その不幸の刃は、より鋭く、より残酷に周囲を切り刻み始めたのだ。
週明けの月曜日。教室の空気は、まるで梅雨時のように淀んでいた。
「……なんか、週末からずっと体が重いんだよね」
ビデオを一緒に見たクラスメイトの女子が、顔を真っ青にして机に突っ伏していた。彼女だけではない。佐藤は階段で理由もなく足をもつれさせ、全治一ヶ月の捻挫をした。別の男子生徒は、授業中に突然激しい眩暈を訴え、そのまま保健室へと運ばれた。
そんな中、日和はいつも以上に「善良な小林さん」を演じ続けた。体調の悪い子には保健室から借りた湯たんぽを届け、怪我をした子のカバンを持ってあげた。
「大丈夫? 本当に無理しないでね。何かあったら言って」
その言葉に嘘はなかった。彼女は心の底からみんなを心配していた。
だが、恐ろしいことに、彼女が誰かを助けようとすればするほど、彼女の周囲で起こる事故の頻度は上がっていった。まるで彼女の存在そのものが、不幸を呼び寄せる避雷針になってしまったかのようだった。
そんな淀んだ空気の中で、唯一、美咲だけは不幸を跳ね返すような輝きの中にいた。
終業式の日。冷え切った放課後の教室。美咲は日和の手をぎゅっと握りしめ、弾んだ声で報告した。
「日和! 聞いちゃってよ。ついに……勇くんに告白されたの! 勿論OKしたよ! 私、今、世界で一番幸せかも!」
そう話す美咲の瞳には、歓喜の涙が溜まっていた。
「……! 良かったね、美咲。本当におめでとう」
日和は精一杯の笑顔で答えた。一点の曇りもない、祝福の言葉。
皆に慕われる憧れの勇先輩と、皆を笑顔にしてくれる親友の美咲。これ以上に完璧な組み合わせはない。自分がその輪に入れないことなんて、最初から分かっていたはずだった。
だが、その祝福の言葉を吐き出すたびに、日和の胸の奥で、鉛のような重みが激しくのしかかってきた。
それは「羨ましい」という言葉では言い表せないほど、深く、暗い沈殿物だった。
幸せな冬休みの計画。スノボの約束。映画のデート。
美咲が未来を語るたび、その輝きが日和の抱える影をより深く強調する。日和は自分の足元を見つめた。そこには、いつの間にか、自分でも制御できないほど巨大な「不幸の渦」が渦巻いているような気がしてならなかった。
放課後の帰り道。二人は向かいの歩道へと続く古い歩道橋を歩いていた。
いつも通りの下校風景。美咲は鼻歌を歌いながら、スマートフォンでスノボウェアの画像を検索し、日和に見せてくる。
「ねえ、見て見て! このピンクのウェア、勇くんのウェアの色と合うと思わない? 日和も一緒に選んでよ、センスいいんだからさ!」
美咲が楽しそうに笑い、一段高い歩道橋の縁に、軽やかなステップで足を乗せた。
その瞬間、日和は強い目眩に襲われた。
視界が歪み、あのビデオのノイズが耳の奥で蘇る。サイレンと、泣き声と、叫び声。
「……っ」
日和は足元をふらつかせ、落ちていた空き缶を足で小突き、思わず手近な手すりを掴んだ。
その時、歩道橋を駆け上がる男子小学生の集団が、日和の横を勢いよく通り過ぎていった。
「あ、危ない……!」
日和が声を上げようとした瞬間、彼女が軽く小突いた、誰かが捨てたであろう空き缶が、絶妙なタイミングで美咲の足元へと転がっていった。
あるいは、ただの偶然だったのかもしれない。
あるいは、日和がよろめいた拍子に、何かが連鎖しただけだったのかもしれない。
日和は美咲の体に触れてすらいなかった。直接押したわけでも、手をかけたわけでもない。
しかし、美咲の右足は、その空き缶を恐ろしい精度で踏み抜いてしまった。
「え――っ!?」
美咲の短い、驚愕の声。
均衡を崩した彼女の身体は、まるで操り糸を切られた人形のように、階段の淵を越えて宙を舞った。
十数段下の冷たいコンクリートへと、無防備なまま叩きつけられる。
グシャリ、という、生々しい破壊音。
日和は数秒間、歩道橋の上で石のように固まっていた。
自分の視線の先で、親友が壊れていく。その光景を、彼女はただ、見ていることしかできなかった。
「美咲……? 嘘、美咲!!」
日和は絶叫しながら、転がるように階段を駆け下りた。
倒れ伏した美咲の周囲には、買い物袋から零れた荷物が散乱していた。彼女の両足は、人間の身体構造を無視した方向に折れ曲がり、アスファルトの上に無残な光景を描き出していた。
「ひよ、り……痛い……たすけて……」
美咲が、苦痛に顔を歪めながら、日和を見上げた。その瞳は恐怖で満たされ、先ほどまで語っていた未来は、一瞬にして砕け散っていた。
「ごめん、ごめんね美咲! すぐに救急車を呼ぶから!」
日和は激しく震える手でスマートフォンを操作した。何度もボタンを押し間違え、ようやく119番をダイヤルする。
「もしもし……友達が、階段から落ちて! 足が……足が折れてます! 早く、早く来てください!」
冷え切った冬の夕暮れ。遠くから近づいてくるサイレンの音。
日和は親友の手を握りしめながら、激しい悪寒に襲われていた。
美咲を突き落としたのは、あのビデオの呪いなのか。それとも、自分が生まれ持った、このあまりにも強すぎる不幸が伝染してしまったのか。
美咲が救急隊によって担架に乗せられ、救急車と共に病院へ向かう。そして手術室に入っていくのを見送った後、日和は独り、夜の待合室の椅子に腰を下ろす。
今の自分は誰とも関わってはいけない。誰の隣にいてもいけない。
そんな絶望的な結論に辿り着きそうになりながら、彼女は必死にスマートフォンの画面をなぞる。お祓い、除霊、不幸、解決。
藁にも縋る思いで検索し続けた彼女の目に、一つの投稿が飛び込んできた。
『【格安】事故物件・訳あり品の片付け・お祓い(応相談)。見積もり無料。秘密厳守。――リユースショップ ハルナシ』
それは、都会の片隅でひっそりと口を開ける「最後の希望」のように、冷たく、青白い光を放っていた。
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