3-5
口にテープを貼って、マスクをしたまま寝ています。
よろしくお願いいたします。
それは、世界そのものが胃液を吐き出したかのような、おぞましい濁流だった。
突如として深奥から噴き出したのは、どす黒く変色した温泉の激流。熱を失い、死臭を孕んだその泥水は、抗う術もなく日和の身体を浚い、陽子や鬼塚の叫び声さえも一瞬で厚い液体の壁の向こうへと遮断した。
「――っ、ごほっ、あ、ぁ……!」
肺に汚泥を流し込まれ、上下の感覚すら喪失したまま、日和の身体は旅館の「深淵」へと流し去られた。
叩きつけられた床は、温泉の脂気で粘りつき、立ち上がろうとする日和の鼻腔を、濃密な硫黄と腐敗臭が突き刺す。
――ズ……ズズ、ギギギギ……。
背後の闇から聞こえてくるのは、物理的な限界を超えて膨張した質量が、地面を擦り、周囲のすべてを圧殺していく音だった。
振り返った日和の視界を、廊下の横幅を余すところなく埋め尽くす「異形」が埋め尽くす。
それは、数十年分の怨念と犠牲者たちの残骸を飲み込み、肥大化した泥と廃棄物の巨塊だった。その表面からは、無数の「白い腕」が、溺れる者のように突き出しており、目も口もないその塊は、ただ不気味な静寂を纏いながら、圧倒的な速度でこちらへと迫ってくる。
声帯も持たず、意志の疎通など微塵も受け付けない、純粋な化物。
「ひ……っ、あ、あああああぁぁぁっ!!」
日和は全力で駆け出した。
走らなければ、一瞬で背後の泥に呑み込まれる。廊下を左右に回避する隙間など、どこにも残されていない。扉を蹴り開けても、その先が「壁」だったり、一歩踏み出した先が「天井」へと入れ替わる狂った空間。日和は心臓が破裂しそうな拍動を背中に感じながら、迷宮の中を狂ったように走り続けた。
日和は必死の思いで、半壊した備品庫の押し入れの中に滑り込んだ。
口を両手で強く押さえ、肺に溜まる荒い呼吸を殺す。
ギギギ……ギギギ……。
すぐ外を、あの巨塊が通り過ぎていく。壁の木材が悲鳴を上げてひしゃげ、犠牲者たちの指先が押し入れの隙間から滑り込み、盲目的に空気を掻く。日和は涙を流しながら、死が通り過ぎるのを待った。
……音が、遠ざかる。
日和は恐る恐る外へ出た。陽子と鬼塚を探さなければならない。しかし、ここからが日和の「持ってなさ」の本領だった。
暗闇の中を彷徨う日和を、不条理な事故が次々と襲う。
不意に剥がれ落ちてきた重厚な看板が肩を掠め、ぬかるんだ床で足を滑らせて鋭い木片で膝を浅く切る。一歩ごとに激痛が走るが、旅館の迷宮化は留まるところを知らない。
「陽子さん……鬼塚さん……っ!」
その必死の叫びが、再び、音に敏感な怪物を呼び寄せてしまった。
角を曲がった先は、行き止まりだった。正確には、本来床であるはずの場所が巨大な「口」のように裂け、底の見えない闇が広がっている。振り返れば、そこには先ほどやり過ごしたはずの巨塊が、逃げ場を完全に塞いでいた。
「いやあああぁぁぁっ!!」
絶叫も虚しく、無数の冷たい腕が日和の身体を覆い尽くす。
一本、二本ではない。数十といった数え切れないほどの白い腕が、日和の身体をまさぐり、衣服を引き裂き、泥で出来た自らの体内へと引きずり込んでいく。
ずぶずぶと、冷たいヘドロの中に身体が沈み、首まで泥に浸かったその時。
(――嫌だ。こんなところで、消えたくない……ッ!!)
日和の恐怖と生存本能が、お守りの封印を内側から突き破った。
――。
それは音というよりも、因果が捻じ切れる際に生じる「世界の軋み」のようだった。
首から下げたお守りの紐が、強烈なエネルギーの逆流を受けて焼き切れたように黒ずむ。日和はお守り自体を必死に握りしめ、手放さなかった。今のこの濃密な瘴気の中、お守りを失えば、一瞬で精神を焼かれ、この化物の一部に成り下がるだろう。
封印を突き破った「呪い」が剥き出しの衝撃波となって炸裂し、日和をまさぐっていた腕を粉砕、怪物の本体を廊下の向こうへと弾き飛ばした。
その反動で足場の板が完全に崩落し、日和は暗黒の深淵へと落下していった。
「……ぅ……」
頬を打つ冷たい風に、日和は意識を取り戻した。
辿り着いたのは、戦前の古い村に建てられた、慎ましい「お寺」の内部だった。
村人たちが木材を組み上げた寺院はボロボロだが、そこには虚飾に満ちた旅館にはない、沈黙の蓄積があった。
日和はふらふらと、堂内を彷徨った。隅に積み重なった古い書類や、泥に埋もれた遺物を手に取る。
そこには、かつてこの地にあった「村」の断片があった。
戦前までこの山奥に、温泉を土地神の恵みとして崇める小さな集落があったこと。だが大戦の波に呑まれ、人々が去り、その神さえも置き去りにされたこと。
日和は祭壇へ歩み寄り、煤けた小さな木札を手に取った。
「……神様……」
表面の墨はほとんど消えている。ただ、この場所には「誰にも名前を呼ばれなくなった者の寂しさ」だけが充満していた。
しかし、感傷に浸る時間は長くはなかった。
寺院自体が激しく鳴動を始める。日和は逃げるように堂を出たが、外は再びあの悪夢のような旅館内部と接続されていた。
上下が入れ替わり、物理法則が悲鳴を上げる中、日和は膝の痛みを堪えて陽子たちの名を呼び、彷徨った。
その時だった。
――バ、ギィィィィィィンッ!!!
予兆もなく、頭上の天井が巨大な質量となって降り注いできた。
「……っ!?」
避ける時間は、ない。あわや下敷きになるかと思った、その刹那。
「……ったく、いつまで座り込んでんだよ、ヒヨコ。さっさと立て」
聞き慣れた、低くて不遜な声。
巨大な梁は、日和の頭上数センチのところで静止していた。そこには、丸太のような両腕で何トンもの梁を支え、血管を浮き上がらせて笑う鬼塚の姿があった。その傍らで、陽子が悠然と新しいタバコに火をつけた。
「陽子さん……鬼塚さん!!」
「おっとぉ、いたいた! 良かった、ボクの鼻が正解だったみたいだね。なんだか急に、嫌な感じがするのに『慣れ親しんだ』匂いがしたから、思いっきり壁をぶち抜いてきたんだよ!」
鬼塚がさらに力を込め、邪魔な瓦礫を軽々と跳ね飛ばす。陽子は日和が泥だらけの手で抱えている木札を凝視した。
「陽子さん、これを見てください……。落ちた先にお寺があって、そこには大戦の前にあった村の記録があったんです。この山には温泉を司る神様がいたみたいで……」
日和から差し出された木札と、その震える報告を受け取り、陽子は電子タバコの煙を深く吐き出した。
「なるほどな……。戦前の村の神体か。オーナーの野郎、工事中に寺の跡を見つけても『よくあるガラクタ』だと思って捨て置いたんだろうぜ」
陽子の脳内で、バラバラだったピースが一気に組み上がる。
「神を悪霊と見做し、信仰の対象を抑圧の対象に変えた。仏像という『蓋』は、神にとっては尊厳を汚す最悪の劇薬だったわけだ。オーナーに悪気はなかったんだろうが……こいつは『運が悪かった』じゃ済まねぇわな」
彼は悪気があったわけではない。むしろ旅館を守るために必死だったのだろう。怪異を「悪霊」と断じ、仏像を据えた。だが、その「仏像」という手段こそが、土地神にとって最悪の相性だった。
忘れ去られた寂しさに耐えていた神様は、自分を「悪」として抑圧する仏像という蓋によって、その尊厳を汚され、神性を完全に歪められた。神を神として扱わず、ただの害悪として閉じ込めた「不運なボタンの掛け違い」こそが、この悲劇の正体だった。
「これが、この土地が抱えた『不幸』の正体か」
陽子の瞳には、迷宮の終わりを見据える鋭い光が宿っていた。
「いいぜ、ヒヨコ。お前が拾ってきたその因縁、あたしが責任を持って精算してやる」
◎
旅館の胎内は、もはや断末魔の叫びのような軋みを上げていた。
土地神としての尊厳を汚され、数十年分の忘却と怨念を綯い交ぜにした「祟り神」は、今や八百万館という器そのものを内側から食い破り、異界として顕現している。
「ヨウちゃん、上からくるよ! このボロ旅館、もう持たないねぇ!」
鬼塚百が、頭上から降り注ぐ巨大な瓦礫を片腕で粉砕しながら叫んだ。一八五センチの長身、鍛え抜かれた女性特有のしなやかな筋肉が、爆発的な膂力を生み出す。周囲の廊下はのたうち回り、壁からは無数の白い腕が、今なお獲物を求めて蠢いている。
「出口は、本来ならねぇ。ここはもう物理的な空間じゃねぇ、神様の『寂しさ』が作り出した閉じた円環だ。……だがな、ルールを上書きする方法ならある」
陽子が、手にしたデバイス――電子タバコを一度吸い込み、紫煙ならぬ蒸気を吐き出した。
「ヒヨコ。お前、自分がいつも不幸な理由、わかってるな。……それはお前が無意識に周囲へ放っている『呪い』が、行き場をなくして自分に返ってきてるからだ。……今、ここでその力を全部解放しろ。出し惜しみすんな。自覚を持って、この『旅館』そのものを全力で呪え」
「え……っ!? でも、そんなことしたら、お二人が……っ」
日和は躊躇した。彼女の呪いは未だ制御不能だ。指向性を持たせられず、全方位に放たれるその力は、協力者である二人をも飲み込みかねない。
「死なせやしねぇと言ったはずだ。……あたしはともかく、鬼塚はまともに食らえばタダじゃ済まねぇだろうが……そこは根性で耐えてもらう」
「あはは! ヨウちゃん、無茶言うねぇ! でも任せときな、ヒヨちゃんの呪いごと、全部まとめてブチ抜いてあげるからさ!」
鬼塚が不敵に笑い、日和の前に立ち塞がった。日和は覚悟を決め、黒ずんだお守りの紐を完全に引きちぎった。お守り自体は手の中に強く握りしめ、自分自身の正気を辛うじて繋ぎ止める。
(……ごめんなさい。でも……神様。私と一緒に、このお家を終わりにしましょう!)
日和が「呪い」の才能を明確に認識し、その出力を全開にした瞬間。
――――。
世界から、一瞬だけ音が消えた。
日和を中心に放たれたのは、因果を塗り潰すような負の奔流。彼女が生まれ持った圧倒的な呪詛の才能が、封印を失って暴風となって吹き荒れる。それは周囲の幸運を吸い尽くし、因果を強引に固定する。波打っていた廊下、無限に続くと思われた壁、狂った重力――その全てが、日和の放つ圧倒的な「負」の圧力に屈し、逃げ場のない現実として凝固した。
「ぐ、おぉぉぉぉっ!!」
呪いは『旅館』に向けられているとはいえ、その余波だけでも凄まじい出力を発していた。ゆえに、遮蔽物となっている鬼塚にもその力が叩きつけられる。肌を焼くような不吉な気配が彼女を襲うが、鬼塚は首にかけた強力な数珠を真っ赤に発熱させ、肉体の芯を鋼のように固めてその場に踏みとどまった。
「……迷宮化が止まった。今のうちに駆け抜けるぞ!」
陽子が叫ぶが、平穏な脱出は許されない。迷宮化が無効化されたことで、この異界の主――祟り神の分体たちが、明確な殺意を持って殺到してきた。
――ズ……ズズ、ギギギギッ!!
前方から三体、後方から二体。廊下の壁を突き破り、泥と腕の巨塊が襲いかかる。
「ヨウちゃん、前は任せた! ヒヨちゃんはボクが守る!」
鬼塚が日和を左脇に抱え、右拳を固める。正面から迫る泥の巨塊に対し、彼女は一切の容赦なく踏み込んだ。
「――っらあぁぁぁッ!!」
純粋な暴力。日和の呪いに耐えながら放たれたその一撃は、祟り神の泥の身体を衝撃波だけで霧散させた。陽子もまた、愛用の大きな鋏を振るう。
「『精算』だ」
鋏が空間を切り裂くたび、祟り神を構成する因縁が断ち切られ、腕の塊がただのヘドロへと戻っていく。日和は鬼塚に抱えられながら、必死にお守りを握りしめて呪いを放ち続けた。
「見えたよ、出口だぁッ!」
鬼塚が、固定された外壁へと突進する。陽子の鋏が「空間の継ぎ目」を切り裂いた刹那、鬼塚の回し蹴りが壁を粉砕した。
バ、ギィィィィィィンッ!!!
12月30日の朝焼け。三人は、崩壊する異界の断末魔を背に、凍てつく十二月の空気の中へと飛び出した。
背後では、八百万館が巨大な悲鳴を上げている。かつて強引に据えられた仏像という「蓋」を失い、さらに日和の呪いによって現実の座標を固定された建物は、自らの重みに耐えかね、泥の中に沈み込むようにして自壊していった。二十年前、神隠しに遭ったオーナーが最期まで執着していた「城」は、彼の死から二十数年を経て、ようやく瓦礫の山となってこの世から消滅した。
三人は、泥だらけのまま旅館の前に停めてあった軽トラへと転がり込んだ。
「……あー、し、死ぬかと思いました……!」
助手席で日和が泥まみれのシートに深く沈み込む。陽子は運転席で電子タバコを深く吸い込み、冷え切ったエンジンをかけた。
「……生きてるだろ。騒ぐな、耳に響く」
軽トラは未だに土砂や枝を被っているが、旅館から離れた場所に停めていたため、致命的な損傷は免れていた。陽子は慣れた手つきでギアを入れ、泥濘む山道を下り始める。
「あはは! でもヨウちゃん、見てよこれ! 最高の『出土品』だよ!」
荷台で泥を被りながら、鬼塚は救出した「仏像」を抱えて満面の笑みを浮かべていた。不運なボタンの掛け違いの元凶であり、極めて質の高い呪物。それを手に入れた彼女は、呪いと瓦礫でボロボロの体ながらも、実にご満悦の様子だった。
「……鬼塚。今回の救助依頼、それにその仏像の鑑定料、高くつくぞ。お前のツケにしておくからな」
「分かってるって! ヨウちゃんへの支払いのために、また稼がなきゃねぇ!」
◎
鬼塚の軽薄な笑い声が、ガタつく軽トラの振動に混じって夜の山道に消えていく。
バックミラー越しに見える「八百万館」は、もはや建物の形を成しておらず、崩落した屋根が土砂に飲み込まれていく不気味なシルエットだけを残していた。
ふと、陽子がハンドルを握る手のひらを、ハンドルカバーに擦りつけるようにして舌打ちした。
「……ちっ、ベタつくな」
「えっ、あ、すみません! 泥、飛び散っちゃいましたか……?」
助手席の日和が、慌てて自分の泥だらけの服を押さえる。確かに、全身が砂と泥にまみれ、必死に走り回った汗の不快感は限界だった。陽子もまた、極限の緊張状態でハンドルを握り続けた掌の汗と、跳ねた泥の感触に苛立っているようだった。
陽子はバックミラーで日和の酷い有り様を確認し、麓の温泉街へと続く分岐点を見据えた。
「このまま県を跨いで柏まで帰るのは無理だ。シートが使い物にならなくなる」
「あはは! ヨウちゃん、それってボクらと一緒に温泉に入って帰ろうって誘いかな?」
荷台の鬼塚が調子よく声を上げると、陽子はバックミラー越しに冷徹な視線を飛ばした。
「不潔なまま車に乗んなってことだよ。……どこか一軒くらい、この時間でも開いてるだろ」
深夜の温泉街。人の姿が見えない街中で、街灯だけが寂しく灯っている。陽子は軽トラを走らせ、ようやく明かりのついている、古びた、しかし幸いにも営業中の看板を出している小さな老舗旅館を見つけた。
フロントで不機嫌そうな番頭にいくらかの現金を積み、三人は内湯へと直行した。
「……いいか、日和」
脱衣所で、陽子は泥と汗で肌に張り付いたシャツを無造作に脱ぎ捨てながら、低い声で言い含めた。
露わになったその背は日和よりも高く、無駄な脂肪を削ぎ落とした格闘家のような、しなやかで力強い筋肉のラインが浮かび上がっている。厳しい現場をいくつも渡り歩いてきた者特有の、研ぎ澄まされた機能美を誇る体躯だ。
「ここの湯には、まだあの山の成分……要は、ゴミみたいなもんが混ざってる。多少は気味悪いかもしれねぇが、今の汚れに比べりゃマシだ。さっさと洗って落とせ」
「あはは! 染みるねぇ、ヨウちゃん! 命が洗濯される気分だよぉ!」
既に浴室へと足を踏み入れていた鬼塚が、豪快に湯を浴びながら声を上げた。
三人の誰よりも背が高く、圧倒的なガタイの良さを誇る彼女の体は、他の二人とは比較にならないほどの重厚な筋肉に覆われている。その広大な肩幅と、鍛え上げられた厚みのある胸板は、まさに「ムキムキ」という言葉を体現する、重戦車のような迫力に満ちていた。
日和もまた、泥に汚れた衣服を脱ぎ、陽子の後を追って湯気の中へと足を踏み入れた。
三人が洗い場に並ぶと、その体格差は一目瞭然だった。陽子の鋭利なまでに引き締まった「細マッチョ」なライン、鬼塚の圧倒的な筋肉の壁、そして、その二人に挟まれた日和の、小柄ながらもどこか柔らかな曲線を持つシルエット。
三人はそれぞれ、洗い場で泥まみれの体を念入りに流した。石鹸を泡立て、指先や爪の間にまで入り込んだ砂を丁寧に落としていく。
日和が懸命に背中をこすっていると、隣から鬼塚が大きな手でバシャバシャと湯をかけてくる。
「ヒヨちゃん、そこ、まだ泥がついてるよぉ。貸してごらん、洗ってあげる!」
「わわっ、大丈夫です、鬼塚さん! 自分でおち……あだだっ、力が強いです……!」
「うるせぇぞ。さっさと洗って入れ」
陽子の冷ややかな声がタイルに反響するが、その視線もどこか、先ほどまでの極限状態から解き放たれた安堵を帯びていた。
ようやく物理的な汚れを落としきった三人は、少しだけ色の濁った広い湯船へとゆっくり足を進めた。
日和が覚悟を決めて身を沈めると、熱い湯が全身を包み込んだ。
「……はふぅ……」
肌に触れる湯には、微かに山の腐葉土のような破片が浮いているが、陽子の言う通り「ただのゴミ」だと思えば気にはならない。それよりも、芯まで冷え切っていた身体が解きほぐされ、蓄積していた疲労が指先から溶け出していく感覚が、何よりも勝っていた。
陽子は長い手足を伸ばして縁に頭を預け、鬼塚はその横で満足げに自慢の筋肉をさすっている。
窓の外に静かに降る雪を眺めながら、日和はそっと深い息を吐いた。
最悪な年末の、最高に世知辛く、そしてほんの少しだけ温かい、寄り道の時間。
三人は、山から持ち帰った「汚れ」を古い湯に流し、ようやく長い夜の終わりを実感し始めていた。
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