伍話 揺れ動く現と幻
2025年8月26日(火)、夜10時。
僕はとある窓をコンコンと叩いた。
しばらくしてカーテンの奥から人影が現れ、ガララとその窓が開く。
「やっぱり、こんな非常識なことするのは幻ちゃんだけだねー」
菫色の髪をほどかれ、きめ細やかな髪をなびかせる特別少女がいた。
僕は地名家の二階にいる。『冥界猫と迷回病』のときと同様に一階の屋根を足場にして、夜に女子高生の部屋という特別な景色を見ている。どうやら勉強をしていたようで机の上には筆記具や受験勉強でよく使われる赤本が開かれていた。
そんな勉強という戯言を忘れるようにして、僕はにやりと笑う。
「誰がノックしてるか予想がつくなんて、美南もわかってきたじゃないか」
「幻ちゃんがこの時間に来たってことは、『七怪奇』関連ってことだよねー?」
「ああ!」
僕は一拍おいていう。
「強欲因子『武疋夢厨』の青春を怪盗することに成功したんだ!」
夜なのでさすがに大声で語るのは控えたけど、それでも特別すぎる出来事についつい美南に近づきすぎてしまう。
「そうなんだー。よかった、これでまた一歩前進だねー」
「ああ! それで強欲因子はここにある」
僕はポケットから『七七七拒否』を取り出す。
美南はじっと『七七七拒否』を見つめる。
「私はその場にいなかったけど、『七七七拒否』に封印できたってこと?」
「まっ、そういうことだな」
「その封印を解くの?」
「ああ、一時的に封印は解く。だけど一瞬だ。その間に『絶対脳記憶』で努力の青春を記憶して、未来の美南に青春を渡そう!」
「七怪奇高校に行くってことよね?」
「そうだな。夜だから誰の目にもつかない。未来の美南につなぐには絶好の機会だからな!」
安心できる情報を伝えたところ、美南は少し悩むように顎に手を当てたあとに応えた。
「うん。行こっか」
*****
七怪奇高校、裏門。
相も変わらず薄暗い景色。
その中で僕は『七七七拒否』を取り出して地面にコロコロと転がす。
少しずつ大きくなり、僕の腰程度の高さで止める。
「さあ、努力の青春――強欲因子『武疋夢厨』を一瞬だけ解放する。盗視取る準備はいいな!」
美南はこくりと頷いた。
「『七七七拒否』――強欲因子『武疋夢厨』開門!」
その場が七怪奇高校ではないどこかに飛ぶ感覚。
地獄の業火。炎と煌びやかに輝く黒。めらめらと、まるですべてを飲み込むような炎。
努力を具現化したかのような地獄の空間。その空間を美南に見せつける。
美南が周囲を見渡し、しばらくしてこくりと頷く。僕はそれを見届けてから、『七七七拒否』に指示を飛ばす。
「『七七七拒否』閉門」
ふっと、特別な空間は消え去って七怪奇高校裏門へと戻る。
「盗視取ることはできたか?」
「うん」
「じゃあ、次は未来の美南に接続だな! 今回は前回の反省を踏まえて――」
「――幻ちゃん、その前に伝えたいことがある」
いつになく、真剣な表情をする。おっとりとマイペースな美南からはかけ離れた表情。何かを意に決しているようなそんな瞳をしている。
ただ事ではないと思い、さすがの僕も言葉を紡ぐことをやめていた。
やがて、僕は問いかける。
「どうしたんだ?」
「幻ちゃんを助けたい。それは昔も、今も変わらない。だけどね……最近はその先も考えるんだ。幻ちゃんを助けたあとの話……」
美南が言葉に詰まるように、その先の言葉を出さない。
夜風が吹き、菫色の長髪が靡いている。紫紺の瞳はずっと僕を捉えている。
数秒、数秒、数秒。いや果たして本当に数秒だろうか。そんな感覚に陥りかけたそんなとき、美南が口を開く。
「幻ちゃんとずっと一緒にいたいなって考えちゃうの。大学も……できれば同じ大学にいたいと思うし、なんなら一緒に住みたいなんてーって考えちゃうことも最近じゃ増えてきたんだ。社会人になっても幻ちゃんと一緒ならいい思い出が作れそうだなんて思っちゃうんだ」
「…………」
「気づいちゃったんだ。私は幻ちゃんが好きなんだって。大好きなんだって」
「…………」
「付き合ってください」
頭を下げて、僕に手を伸ばす――この存在は一体なんなんだ。
「なあ、美南。僕の情報収集能力は知っているだろ?」
美南は困惑気味に顔をあげた。
「え? うん」
「君がどこに行こうとしているか、君にいわれなくても知っている。君は東大に行くんだろ? しかも理三。日本の最難関も最難関だ」
僕は事前に情報収集している。『冥界猫と迷回病』のリベンジのときに、美南が勉強していたことを知っている。『絶対脳記憶』で暗記科目は満点を取れる。他の教科だって同様にすれば、勉強に熱心にならずともいい大学には行ける。それでもなぜ勉強を実直しているのか気になり、模試の志望校を見た。そこに第一志望校で東大理三を志望していることがわかった。
そして僕は頭はいい方に見えるかもしれないけど、それはあくまで頭がいいように見えているだけだ。東大にはいけない。美南とともに一緒の学校に行くことはできない。
「東大に僕は行けない」
「付き合うなら同じ大学に帰るよ。学部は違うかもしれないけど、一緒に通いたい」
ちくりと、僕ではない『自身』が産声をあげている。『七七七拒否』にある『自身』の記憶だろうか。
それが必死に警鐘を鳴らす。特別な美南を貶める僕は『○○○』失格だと語る。
その言葉に脳内で反応することはできず、現世、この世で戯言をつぶやいてしまう。
「『地名美南』らしくないじゃないか」
「私らしくない……?」
「ああ、そうとも! 君は特別なんだ。特別な君は、普通ではありえないことをさも当然のように成し遂げるべきなんだ。東大に受かることもそうだ。相手の表情の細部から心を読むこともそうだ。一度見た情報を完全記憶するのだってそうだ。未来の自分と接続をすることだってそうだ。異常な跳躍力を見せるときもそうだ。なんだってそうだ。君は今後もずっと特別な青春を謳歌すべきなんだ。大学を考えるなんて君らしくない。まして、大学を妥協するなんてもっと君らしくない。だから――告白は断るよ」
僕は『七七七拒否』にある『自身』を抑えながら、そう答える。
なんだか心臓がずきずきとする。『自身』に変わることを必死に抑え、平常心のまま、美南に接する。
「そっか。今はわかった。でも、私は諦めないからね。貴方の口から好きだっていわせて見せるわ!」
ずきん。ずきん。ずきん。
まるで、僕が何度も殺されたのではないかと思うほどに全身がうずく。
美南の特別性のある笑顔が、表情が、自信が、すべてがまぶしくて今にも――――――――『自分』のものにしたくなる。
「君との青春ごっこは飽きた。僕は卒業式の日に、運命に逆らわず、死ぬよ」
そういって僕は『自分』に抗うように、裏門から姿を消す。
僕は薄々気づいていた。僕は――特別少女『地名美南』に殺されて死ぬ。




