肆話 激重感情
大地の父親はいつの間にか床に倒れていた。大地はスタンガンを握りながら冷酷な瞳で僕たちを見下ろしている。
「父さんには悪いけど、気絶してもらった」
僕は咄嗟に後ろ手に構えていた『七七七拒否』を最小限にし、人間からは見えないように隠す。
由衣ちゃんは大地の冷酷な行動に「ひっ!」と悲鳴を手で押さえこらえながらも、膝は崩れてぱたりと尻もちをついていた。
「やけに帰るのが早いな大地。サプライズパーティでもしようかなと思ったけど、まさか僕たちのほうがサプライズを受けるとはね」
「相変わらずの軽口。この状況で軽口を叩けるのは滑稽を超えて傑作だな。ま、それはいいんだ」
瘦せこけた大地の瞳には赤き激情が、灼熱の如き激情が渦巻いている。
大地は手を伸ばし、僕に一歩近づく。
「そのシャーペンは由衣ちゃんからもらった大切な物なんだ。返してくれないか?」
「返せない。こいつには怠惰人間『冥界猫と迷回病』と同じ『七怪奇』が宿っている」
「……本当か?」
「ああ、そうだ。そしてこの『七怪奇』は人に努力という呪いを与えるんだ。……今の大地のように、願いが叶うまで努力は止まらない。願った内容は……」
一拍おいて、僕は確認する。
「……由衣ちゃんと一緒の大学に行きたい、だろ?」
「そうだ。そのためにもあと半年、俺は死ぬ気で勉強して由衣ちゃんと同じ大学に行く」
もはや熱血などを超えて狂気の瞳へと変貌している。痩せぎすになってしまった身体は制服の上からでも如実にわかるほどだ。手には執念が宿っているように真っ赤に燃えているように錯覚してしまう。だけど実際は痩せすぎた老人のような皺のある手だ。
顔だってそうだ。赤を超え、暗い紫を孕む狂気的な瞳をしているように錯覚してしまうけど、実際はただ瞼が限界で閉じかけており、今にもぶっ倒れそうだ。
それでも倒れないのは努力の限界さえ超えた力――まさしく『七怪奇』の影響だ。
明らかに、過剰な努力で破滅に突き進んでいる。
そんな結果を僕は冷静に分析して、大地に「友達として忠告だ」と冷徹に告げる。
「大学に受かる前に死ぬぞ。だから使うのは諦めろ」
「努力があれば、俺は死なない。努力があれば、由衣ちゃんと同じ大学に行ける。努力があれば、最善の未来にたどり着ける。努力でどうにでもなるんだ。それほど――努力が素晴らしいと俺は知っている」
狂人に足を踏み入れてしまったのか、会話がままならなくなっている。
由衣ちゃんが瞳を歪めていた。
「……私、そんなボロボロになってまで勉強してほしくない。一緒の大学じゃなくてもいいの! 私はまた、大ちゃんとデートしたい」
「俺もだ。そのために同じ大学に行くんだろ」
かみ合わない会話に、狂人となってしまっている大地を相手に、由衣ちゃんがすすり泣き始める。
「どうしてこんなことになっちゃったの……。大ちゃん、私のこと嫌いなの?」
「大好きだ。そのためにも努力は続けないといけない。そのためにも努力を取り上げようとしている幻奇は排除しないといけない。そのためにも――努力を行使する」
「――!?」
空間が変わった。
めらめらと炎が渦巻く空間。その中に、僕、由衣ちゃん、大地だけが存在している。
炎の中から赤黒いキラキラを目の当たりにして僕は歯嚙みする。
「……努力の空間か」
僕はすぐさま怪盗しなくてはならない。大地の危機ももちろんだけど、こうなってしまえば全員が努力の空間に飲み込まれる土壌ができあがっている。
大地はスタンガンを構えたまま、冷酷に告げる。
「気絶してくれ、幻奇」
努力の青春を盗む絶好の機会。『七七七拒否』を死角に落として、上蓋を展開する。
だが明らかに一手以上遅い。
僕の首元に当たったスタンガンが――、
「ダメ!」
由衣ちゃんが大声をあげて、大地に体当たりする。
大地が持っていたスタンガンはすっぽ抜ける。大地は彼女の行った行為に非常に戸惑っているようだ。
「どうしてだ由衣ちゃん。努力で由衣ちゃんの願いは叶うっていうのに!」
「そんなの大ちゃんじゃない。いつもの優しい大ちゃんはどこにいっちゃったの……! 今の大ちゃんは……怖いよ……!」
おびえるように身体が小刻みに震えている。鼻声交じりの震え声が僕の耳にまで届く。
「努力は時に怖く見られるんだ……許してくれ。これも一緒の大学に行くため――」
「同じ大学じゃなくても付き合い続けるの! だからそんなに努力努力って、言わないでよ……!!」
「由衣ちゃん……それでも努力は……」
大地が揺らいでいる。
努力をし続けないという考えは根元にあるようだけど、それと同じように由衣ちゃんのことも恋人として大事にしている心が如実に見て取れる。
小悪魔由衣ちゃんは耳元で、ささやく。
「『七怪奇』に頼らなくても努力のしすぎなの」
小悪魔は大地の頬にキスをする。
「ありのままの大ちゃんでいてほしい」
小悪魔はその勢いで、大地にすべての体重を預けて、押し倒す。
「ありのままの私の愛を受け取って、考え直して……!」
唇同士が重なる。あまりにも激熱といえるキスをする。
大地は頬を赤らめながらも、未だに努力が諦めきれないかのように、手放したスタンガンに手を伸ばす。
――だがタイムリミットだ。由衣ちゃんのおかげで時間は稼げた。シャーペンは僕自身が未だに持っている。つまるところ、怪盗対象に触れている。
「『青春怪盗』」
僕は努力という名の青春を奪う――対象はシャーペンに宿っている強欲因子『武疋夢厨』のみの強奪。
因子を奪い、上蓋が開いた『七七七拒否』に落とし込み、封をする。
炎の空間はなくなり、大地の部屋に元通りとなる。
「俺は……」
大地が自身の手を見ながら呆然とする。
大地を押し倒した由衣ちゃんが泣きながらも、笑みを浮かべた。
「戻ったんだね……!」
「……俺は、俺はとんでもないことを……!」
大地が泣いていた。強欲因子『武疋夢厨』の効力、努力をし続けるという呪いに近い状態が離れたからだろうか。
自身が侵した出来事を反芻しているように、涙があふれて頬に伝っている。
その涙をぬぐいながら、彼女は穏やかな面持ちを見せる。
「いいんだよ。大ちゃんならどうにかできるって信じてたから」
「俺を一発ぶん殴ってくれ」
目をつむった大地を小悪魔のように笑みを浮かべる由衣ちゃん。
「やーだー。好きな大ちゃんにするわけないじゃない」
明らかに二人の世界にどっぷりつかっている。ただ、ここには僕と気絶した大地の父がいる。
「あの、僕もいるから続きは二人きりのときにしてくれる?」
「あ、そうね。大ちゃんのお父さんも起こさなきゃね」
「……土下座すれば許してくれるかなあ」
大地は自身がしたことに気が滅入っているらしく、相当落ち込んでいる。
いくら努力の青春、強欲因子『武疋夢厨』の効果を受けていたからといってみずから犯した罪だ。どうにか乗り越えてほしい。
そんなこんなで若干のトラブルはあったものの、努力の青春を怪盗することに成功したのだった。




