伍話 『化物幻奇』死亡現場
暗黒空間に踏み込んだその先には異質な情景が広がっていた。
暗黒空間に足を踏み入れるとそこは体育館だったらしい。体育館は窓ガラスどころか、窓枠すべてがねじ曲がったりかき消されたりしている。バスケットゴールも観覧席も床も、何もかもめちゃくちゃになっている。
まるで体育館の中で台風が発生したかのような、異常現象。
そして、目の前に死んだ幻ちゃんがいた。
「うっ……」
胃液が這い上がる感覚を食道内で無理やり押し込むようにして、吐かないように努める。
凄惨な死体。衣服がガラス等で切り裂かれ、皮膚が見える。ただそれ以上に、幻ちゃんの死体は喰い荒らされている。
サメが幻ちゃんを食い尽くしたような歯形があった。その歯で皮膚が喰われ骨が見えて、おびただしい量の血が散乱している。
「未来に渡れるんだね、特別な私」
まるで目の前にあるソレを幻ちゃんと認識しないまま、彼女は瞳をこちらに向けた。
私は死体から眼を背けるように、未来の私に眼を合わせ、質問する。
「貴方は特別じゃないの?」
「もう、特別じゃなくなった。記憶をずっと保持することもできないし、貴方を観察しても何を考えているかわからない。何もかもできない私になっちゃった」
日本人としては特別な紫紺の瞳は消え失せ、キラキラを失った虚ろな黒色。菫色の髪も特別性が抜けたように黒ずんでいる未来の私。
「……どうしてそうなっちゃったの?」
「思い出せない……」
虚ろになりかけそうな瞳でぽつりとつぶやく彼女は、本当に未来の私なのかいぶかしんでしまう。
だけどこの現状。何かしらの特別が、『七怪奇』の特別が発生したんだと思う。
「この現状も覚えてない?」
背けたい現状に、改めて目を合わせる。
幻ちゃんのあたりにも物が散乱している。その中でも気になるのは主に二点。
異常に太く長い大剣。
破り捨てられ真っ二つになった写真。学校の正門で、笑顔で肩を組んでいる位置からまるで友情を切り裂かれている。肩を組んでいる片方は幻ちゃん、もう片方はギザ歯とアホ毛が特徴な男の子。
「どうして体育館がこうなったかは覚えてない。だけど、この状況から推測はできるよ」
未来の私は大剣を指し示す。
「『大刀・喰喰』――暴喰人間『学校喰い者』が帯刀する大剣よ。そして――」
写真を指差していう。
「この写真は『学校喰い者』と幻ちゃんに酷似している」
「酷似……確かに幻ちゃんの方はそうかもね」
『学校喰い者』の姿はわからないから、酷似しているとはいい切れない。だけど、幻ちゃんの方は酷似しているという意味はそのとおりだ。
幻ちゃんの制服が今とは少し違う。肩を組んでいる『学校喰い者』も確かにそう。制服が一世代前だ。
そして何より不可思議なのは『七怪奇』が写真に収められている事実。『七怪奇』はあくまで噂であるべきはずで、その存在が写真で取られていることが理解しがたい。『七怪奇』は私と幻ちゃんが血眼に探しても見つからなかった。あるときは深夜俳諧でくまなく探し、あるときはスマホの録画を使って『七怪奇』が現れたか判別した。このことからも、誰でも見られる媒体に『七怪奇』が収められることは考えられなかった。
そんな考えを心のうちにしまい込んでいると、未来の私は人差し指をピンとあげた。
「推察するに、『学校喰い者』と幻ちゃんは戦った。激しい戦闘の末、『学校喰い者』が勝ったんじゃないかな?」
私もこの惨状だけ見たらそう思ってしまう。だけど幻ちゃんの死体を見ると思うところがある。
「この状況だけならね。だけど気になる点はもう一つあるわ」
「気になる点?」
「うん、幻ちゃんの片眼には色欲因子『幻惑空間の独断恋愛』に影響を受けて発生するハート目が存在しているわ。旧校舎の屋上にある鐘を鳴らさないといけないのに、体育館からは真反対といってもいいわ。それなのに『幻惑空間の独断恋愛』の効力を受けている。死んでもなお、ね」
「……そうね。特別な私はどう見てるの?」
「わからない。だけど……こうなる未来を阻止すればいいのだけはわかったわ。そのうえで……」
「そのうえで?」
私は頭の片隅の案をしまいこむように首を振る。
「ううん、なんでもない」
どうして思ってしまうんだろう。最悪の未来を阻止したうえで幻ちゃんと付き合いたいだなんて。そして大学生活をともにしたいだなんて。人生の楽しさを教えてくれた恩人ともいえる幻ちゃんに何を考えているんだろう。
「……幻ちゃんに告白するのはやめたほうがいいわよ」
「え? そんなに顔に出てた?」
思わず顔を真っ赤にしながら、頬をぺたぺたと触ってしまう。確かに体温が上がっていて、他者から見たら顔を真っ赤にしているように思われそうだった。
「どうかな、多少は出てたかも。ただ、私は一応ここまでの軌跡を知っているから貴方の気持ちを知っているのもあるわ。そのうえで、告白しても幻ちゃんは告白を断る。その記憶は鮮明に残っているわ」
落胆してしまう気もしたけど、どうしてか納得のほうが強い。
「ということは恋愛という青春はし尽くしたんだね」
「その可能性が高いんだろうね、幻ちゃんだし」
甘酸っぱい青春は彼にとっては当の昔に完遂しているということなんだろう。すべての青春を謳歌した結果、『七怪奇』の青春を楽しむまでに手を伸ばしている気がする。
「まあいいわ。告白はする。ダメならそのときに考える」
「特別な私ならそういうと思った。応援はしてる」
ふと笑みを見せた未来の私。
それを期に、少しずつ瞳が虚ろになっていく。
「ここまで……ね」
私もすでに『時空接続』を維持しておくのがギリギリだった。ふらつくような感覚と、足が思うように動かなくなってきている。
もう声を聞いても反応をほぼしない未来の私に手を振りながら、体育館の出入口に向かう。
「未来の私、ありがとー。絶対に幻ちゃんを救うわっ!」
そんな宣言をして、私は体育館の出入口――暗黒空間の接続先まで戻った。
その後は案の定気を失って、由衣ちゃんに介抱されて家に帰った。




