運も実力の内
ターナーがアリスと分かれてから、至る所で悲鳴が聞こえ始めた。
戦闘音や悲鳴が届く度に、ターナーは草むらに飛び込んでじっと待っている。自分は草ですと暗示をかけて、周りに分からないように祈っている。
(……しくったなぁ。兄ちゃんと分かれなきゃよかったぜ)
ターナーは茂みの中から、様子をうかがっていた。
先程も数メートル圏内で叫び声を耳にしたので、急いで隠れたのだ。
ターナーには探知をするようなスキルや魔術はなく、今まで狩りをしたりするときも勘で過ごしてきていた。
動物相手ならばそれで通用したが、相手は化け物たちだ。普通の動物とは違う。
それに加えて、人間の状況を探る力も持っていない。
だからあたりがどんな状況になっていて、誰が何をしているかなんて、把握できていなかった。
少し歩けば死体が転がっているし、ターナーの中の不安は大きくなっていった。
しかし、ゴールが近いのだと確信していた。
ゴール付近には凶暴な魔物が多く存在すると、聞いたことがあるのだ。
それこそ、この試験の難易度が高いことを、よく表している。誰もがゴール直前で死ぬか、棄権するかだ。
(合格者を減らすために、小屋の周りにはもっと多い魔獣を用意してんのか?)
この試験が聖女の容認した試験だと言うのだから、余計に酷いものだ。
神聖なる力を持つ癒し手のはずが、人の命を弄ぶようなことをしている。
果たして、本当の魔物とはなんなのか。
(でもまぁ、あの給金を聞いたら絶対に受かりたくなるぜ……)
ターナーが応募している理由はただ一つだ。
聖女の護衛の、給料。破格などという言葉では済ませないほどの、大量の給金が支払われるのだ。
平民であれば数年もかかる稼ぎを、たったの一ヶ月の護衛によって稼げるのだ。
これを逃す理由などない。
彼が応募したのは、聖女様に仕える光栄さなどという、志の高い理由などではないのだ。
ぼんやりとしていれば、ターナーはガサリと物音を立ててしまった。
狩人をしていた彼にとっては、この小さな音は大きなミスだ。
(やべっ!)
キョロキョロと周りを見渡すが、何かが襲ってくる気配はない。
とりあえず危険は免れたとして、彼はホッと胸を撫で下ろす。
念の為、もう一度左を見て、右を見て。そしてまた左を見る。……何もない。
今度こそ安全だと思ったターナーは、正面へと目線を戻した瞬間――右端に、何かが映った。
「うわぁあぁああ!?」
「なーんだぁ。おじさんかぁ」
「……? お、お前も試験を受けてるやつか……?」
「ん? んー。まぁそうでもあるかな?」
(こんなガキンチョまでいるのか……! というか、会場にいたか……?)
隣に突如として現れたのは、十代前半くらいの若い〝娘〟だった。
少女はターナーを確認すると、その場から去ろうと、腰を上げようとする。
ターナーは、ふと思った――途中まで一緒だった青年とは分かれてしまった。
この気配すら殺す少女とならば、一緒にいれば大抵は乗り切れそうな、そんな気がした。
元々、この男はどの試験でもこんなようなやり方だ。誰かに寄生して、都合が悪くなれば離れる。
自分の代わりに戦わせ、盾にする。そうして何度も生き残ってきたのだ。
だから、あのとき青年に突き放されたのは、計算外だった。
ゆえにこの少女の登場は、彼にとっては都合のいい展開だ。
「お、おい、待てよ! 一緒に行こうぜ?」
「はぁ?」
「……っ!?」
少女がそういうと、一瞬で空気の温度が数度下がったような感覚に陥る。
それくらいに重圧と悪寒を覚えるような態度だった。
この試験の場というよりかは、戦場に立っている死神に近い気配。視線には確実に殺意が込められているのが、ターナーにすら分かった。
ターナーは受けたことのないその殺意に、ごくりとつばを飲む。
(な、なんだ……こいつ……)
「子供じゃないんだからぁ、一人で行きなよぉ」
「こ、子供って……お前もそうだろ!」
「僕は子供だとしてもぉ、おじさんより強いからぁ」
「な……」
ターナーはそれを否定できなかった。
愚かで弱くて間抜けなターナーですら、この少女が強いことはなんとなくわかった。
もっとも。彼は少し前まで一緒に居た存在の強さに気付いていない時点で、あまり褒められたものではない。
「じゃあねぇ」
「あ、おい!」
立ち上がった少女を追おうと、ターナーも立とうとした。
だがそれは突風によって阻まれてしまう。
少女が立ち上がると同時に、目を開けてすらいられないほどの強風が吹いた。そんな兆候もなく、天候も荒れていないというのに。
立つことすらかなわないターナーは、腕で頭を覆って自身を守った。
「……っ!」
たった数秒だけの、一瞬だけの突風だった。
一体何が起きたのか、目を覆っていたターナーには分からなかった。
そもそも彼には魔術のたぐいの知識が乏しいので、目を開いていてもわからないだろう。
風がやんで、腕の隙間からそっと覗けば、そこには誰もいない。
「おい、ガキ……あれ? なんだったんだ……?」
ポカンとした頓狂な顔で、少女が居たはずの場所を見つめている。
そこには何も残されておらず、可憐な少女の香水の匂いだけが残っている。
もしかしたら、夢や幻なのではないか。ターナーのなかでそう結論が付き始めている。
しかしその考えも、まとまることはなかった。
背後から聞こえた「グルルル」という低い唸り声。振り向かずとも分かる。
「ぎゃあああ!」
「ウゥーッ! ガァアウ!」
ターナーは一気に駆け出した。
後ろを確認してみれば、そこにいたのは魔獣ではなく普通の狼。
普通の狼と言えども、噛みつかれればそれは痛いどころではない。狩人をしていれば、そんなことよく知っていることだ。
「ただの狼か! 運がいい! いいのか!?」
ターナーは全力で森の中を走り回る。
怪我程度で済めばいいが、果たしてそれで済むのか。この魔獣で溢れる森で生き残っている狼ともなれば、その力は侮れない。
追いつかれまいと必死に両足を動かしているが、人間と四本脚の獣では、鬼ごっこにいずれ限界が来る。
必死に周りを見渡しながら、木々の間を、草むらを走り抜けている。
諦める気配などもなく、狼のうめき声はまだ続いている。
「んんん!?」
視界の隅に、一瞬だけ見えた建造物。
魔物だらけの森の中に存在する建造物なんて、心当たりは一つ。
ターナーもようやく、当たりを引いたというわけだ。
「あったぁあぁ!」
ターナーは小屋へと、一目散に駆け込んだ。
彼の中にはもはや、罠という考えはなかった。とにかく逃げたい一心だった。急いで中に入り、扉を勢いよく締める。
少々凶暴化していた狼が、数度ドンドンと体当たりをしていたが、必死に押さえてそれを耐えていた。
音がやみ、ドアの隙間から安全を確認すると、ターナーは部屋の中をぐるりと見渡した。
中には、テーブルだけがあった。
そしてその上には、試験の合格の証明とも言える紙が、ぽつんと置かれているのだった。




