水面下
「なぁ、まだ着かねぇのか? 一体どこにあるんだろうな」
アリスのうしろを、金魚のフンのようについてくる男。ターナーは当たり前のようにそう言った。
この男は平々凡々。剣の腕も、魔術の腕も。
狩人のターナーは、アリスよりも森の知識はあるかもしれない。だが索敵すら出来ない男を、アリスよりも優れていると言えるのだろうか。
それに、彼はいつまでアリスにつきまとうのか。とっとと消えて欲しいアリスにとっては、邪魔でしかなかった。
「二手に分かれよう。その方が見つかるんじゃない?」
「は!? 試練を共にしてきた二人だってのに、今更サヨナラかよ!?」
「たいして一緒にいないだろ」
「チェ、ったく。わかったよ」
妙に素直に、ターナーは森の中へと消えていった。
出会ったときのように、茂みの中にガサガサと紛れながら去っていく。
アリスは動こうともせず、ターナーの移動音が完全に消えて、この近くからいなくなるのをまった。
ターナーがアリスを感知できない場所まで移動したのを確認すると、アリスの体はフッと消えた。
土埃も何も立たず、その場から消えていなくなった。かといって透明化などではない。
これは完全な瞬間移動。転移といったほうが近い。〈転移門〉を生成するほどではないが、近距離に移動するための手段だ。
次の瞬間、アリスは上空に現れた。
バタバタと衣服をなびかせて、空中に留まっている。
遠くに見えるのは帝都、そして酷くのどかな村落がいくつか。魔王の驚異など知る由もない、平和そのものだ。
アリスはそれらをぼんやりと眺めていた。
感傷に浸るわけでもなく、遥か遠い故郷を思うわけでもない。ただそこにあるものを、見つめているだけだ。
「お呼びでしょうかぁ?」
「あぁ、リーレイ。さっきはありがと」
「い〜え。当然のことをしたまでですぅ」
アリスの目の前には、リーレイが現れた。
リーレイは空中に突如として出現すると、そのまま膝をついた。
「小屋はどう?」
「見てきましたぁ。小屋も紙も五つありましたよぉ?」
「そう……」
試験官は、試験内容の説明の際に、合格者数に関してはなにも触れなかった。
人数も、これが本試験なのかも。
もちろん、護衛を務めるのであれば人数は多い方がいい。
だが人数が多ければ多いほどいいのであれば、毎月毎月死者を出してまで、再試験を行うのか。
「森にはあとどれくらい残ってそう?」
「結構いますよぉ。みんな実力者っぽいですからぁ。まぁ僕に比べれば雑魚の雑魚ですけどぉ」
「適当に減らしておいて」
「はぁい!」
大した用事がある訳では無いが、アリスは目的のために、帝国のトップに近付く機会を得ねばならない。
その為には、この試験に何としても合格する必要がある。
だが他の者たちが、運良く勝ち取ってしまったら?
まだまだ試験は難航しているものの、幸運の女神が味方したのならば。単純な試合だけならまだしも、これは森の魔獣を掻い潜ればいいだけだ。
アリスとて、負ける可能性がある。
しかし彼女が直接、受験者に対して手を出すことは難しいだろう。
試験なのであれば、この森には何かしらの目が張り巡らされている。
ライバルを減らすために殺したなどと、そんな汚い手を使う者を、聖女のそばに置くだろうか。
「あのぉ」
「ん?」
「あの鬱陶しい男は、消しますかぁ?」
「あぁ、ターナー……だっけ?」
「はぁい」
リーレイは試験開始からここにいたため、アリスとターナーのやり取りもきちんと見ていた。
アリスの命令がなければ、きっと飛び出して殺していたところだろう。
素性を隠しているとはいえ、アリスに対して余りにも失礼な物言いだ。殺されても当然である。
感情的になって咄嗟に飛び出さなかったのは、スケフィントンの件で反省しているからだろう。
じっと様子を伺って、アリスの指示をたた待っていた。
「しなくていいよ、私が殺す」
「わかりましたぁ♡」
とはいえ、ターナーを生かすつもりは無い。
同じく受験者である。ライバル――と呼ぶのは些か不服だが、アリスにとって、同じ試験を受けているものは全てライバルなのだ。
リーレイとの簡単な打ち合わせを終えると、アリスは空中から姿を消した。
先程上に移動したものと同じ原理で、再び地上へと舞い戻る。
しかしアリスは、上空に行ったときとは違って、地上の確認をしなかった。誰かがいないかをチェックしそこねたのだ。
そのせいで、真下に歩いていた受験者を見逃してしまった。
アリスが突然出現した瞬間を見られてしまったのだ。
「な……っ、今、いきなり……?」
「あぁ、確認不足だったな。でもちょうどいい」
「!?」
アリスは無言で手をかざした。
すると男は、金縛りのようにピタリと動かなくなった。ピクピクと痙攣するように動いていたが、これは男が抵抗しているからだ。
だがアリスの力を振り払えるわけがなく、虚しい抵抗だった。
アリスはそのまま力を込めて、男を殺めようとしていたが、ふと思い立って手を止めた。
「……ん、あぁ。私が殺したらまずいか」
「なに、してる……!? はやくっ……くそ、解除してくれ!」
「〈魅惑の香り〉」
「なっ、おい! やめろ! 馬鹿なのか!? そんな魔術使ったら、俺が死ぬ!」
金縛りを解除しないまま、アリスは男に魔術を付与した。
〈魅惑の香り〉。Cランクの魔術である。
熟練した狩人であれば、扱えるものも多いとされるこの魔術。その名の通り、何かを吊り上げておびき寄せるための魔術だ。
対象物に付与することで、周囲の魔物や魔獣などをおびき寄せることが可能になる。
術者の魔術攻撃力やレベルが低いと、誘い出せる魔物も限られてくるという――ランクはそれなりに低いものの扱いが難しい魔術だった。
そして当然だが、こんな魔物も魔獣もうじゃうじゃ存在している森で、扱うたぐいの魔術ではない。
「まて! おい! 助けてくれ!!」
男が必死に叫んでいるが、アリスは振り返りもせず歩き出した。
ひらひらと手を振って、あとは頑張れよといった風に去っていく。
頑張るもなにも、男は抵抗すら出来ないため、待っている結末は唯一つ。
アリスは完全に男から離れて、森の中へと消えていった。その姿が見えなくなると、男の不安は更に煽られる。
「ふざけんなっ……!」
悪態をついたところで、何かが変わるわけじゃない。
体は動かないし、自分からは魔物達を誘い出す誘惑の香りが漂っている。
何度も身を捩っても、ピクピクと表面が動くだけだ。足は動かず、腕も動かない。頭も固定されているせいで、周りを見回すことすら出来ない。
そんなただの固定された男――獲物の耳には、ズシンという地響きのようにもとれる足音が響いた。
周りの木々が揺れて、とまっていた鳥たちがバサバサと飛んでいく。
ズシンズシンと、その足音はどんどん近づいてくる。
「ひぃっ……!?」
〈魅惑の香り〉は、先述の通り、術者の能力値やレベルによってその効果は大きく左右する。
弱ければ弱い魔物しか呼び寄せられない。
だが術者が、魔王アリス・ヴェル・トレラントなのであれば。
アリスのステータスは、この世界の最高値とされている900を大きく凌駕する。全てのステータスが1000となり、〈魅惑の香り〉に影響する魔術攻撃力も1000である。
比較対象として例に上げるならば、ただの平民の魔術攻撃力の平均値は、4程度とされている。
そんな異常じみたステータスが呼び寄せる魔物。棒立ちの男に、抵抗が出来るはずがない。
グルルル、とおぞましい鳴き声が耳元で聞こえる。
暴風のようなそれは、きっと呼吸の音。
後ろから聞こえているものの、首を含む全てを金縛りで固定されている男には、見ることすらかなわない。
「ひ、ぎゃぁあぁあああぁ!!」
男の悲痛な叫びと、肉を引き裂き、骨をも噛み砕く音が――静かな森に響いていた。
やることがいっぱいあるのに、やる気が全く起きないまま休みが終わります。




