営業
「お疲れ、早かったね」
「頑張りましたので……」
アリスはライニールに呼ばれ、アベスカへ来ていた。
もちろん用事と言えば、先日頼んだ〝サクラ〟探しだ。呼ばれたということは、その選定が済んだということだろう。
ライニールを見やれば、目の下にはクマが出来ている。
少し前まで国のことは大臣や右腕に任せていた男だ。それだというのに、労働に追われ、睡眠を削ってまで働いている。
疲れ気味なのか、返答も具合が悪そうである。
(すごい疲弊してる……。働きまくる洗脳でもしたっけ……)
ヴァルデマルやヨナーシュなどは酷使しまくっていても、心があまり傷まない。
彼らは魔人であるがゆえに、人間よりも疲労をあまり感じない。何よりも、彼らは死にたくなくて率先して働いているのだ。
もはやそれを咎める理由はない。
だがライニールは別だ。
彼は魔人ではなく、人間だ。使い続ければ死んでしまう。
適度に働いて、適度に休んで、人間としての生活をしてもらわねばならない。
仕事を頼んだとは言え、まさかここまでしてくれるとは思わなかった。今までのライニールの態度を考えれば、もっと適当にやると思っていたのだ。
「彼らの説明は私が引き継ぐから、ライニールは数日くらいしっかり休んでくれる?」
「まだ仕事が……」
「パラケルススとかに振るから! 君は人間でしょ、今にも倒れそうなんだけど」
「はあ、分かりました……」
なんだか納得のいかない様子だったが、無理矢理デスクから引き剥がして、部屋から追い出した。
大臣達が別の場所へ出払っているということもあるが、あまりにもライニール一人で抱えすぎている。
(どうしたんだ、一体……)
ライニールは、部屋を出てフラフラと廊下を歩いて行く。
それを見送りながら、アリスはため息を吐いた。
そしてそのまま、アベスカに常駐している部下へと、通信を投げかけた。
「パラケルスス」
『はいですぞ』
「ライニールがすごく弱ってるんだ。暫くは休みにさせてくれる? えれなと協力して、仕事を片付けてほしいな」
『あの人間のためにですか?』
パラケルススは不快そうに、素直な感想を述べた。
いくらパラケルススがアベスカの人間を好きになったとはいえ、ライニールは別だ。
ライニールはもともと、アベスカに巣食っていた闇金融と繋がっていたこともある。アリスが征服し始めた当初は、不敬な態度を何度も取ってきていた。
今更になって態度を改めたところで、今まで培われた印象はそう簡単に覆るわけではない。
「もう……。何度も言うけど、ライニールは一応あれでも国王なんだからね。人間相手なら、重要な存在だ」
『わかりましたぞ』
「お願いね」
パラケルススが完全に納得したわけじゃないが、彼も〝アリスからの命令〟と割り切って、実行してくれることだろう。
そう信じて、アリスはくるりと向き直った。未だ待機している、〝サクラ〟達の方向に。
(……さてと。思ったよりも多いな)
目の前に要るのは、老若男女様々なアベスカの国民――六名。
現在のアベスカを考えれば、多い人数だ。復興が進んでいるアベスカであれども、人口が一気に増加するわけではない。
それに、その復興のために毎日忙しくしている。一人でも人員を失えるわけもない。
そんななか、六名もの人員が選ばれた。中には無理をしてでも、ここに来ている人だっているだろう。
彼らは故郷であるアベスカを離れて、遠くリトヴェッタ帝国へ行くことになる。それも、長い間。
そんなに時間に余裕の持てる人間なんて、滅多にいないだろう。
だからこれだけ選ばれたのは、物凄いことなのだ。
「今日は来てくれてありがとう」
「なっ……」
「滅相もない!」
「感謝して頂けるなんて……!!」
アベスカ国民の反応は、もはや魔王軍と変わりない。アリスへの巨大な敬愛が、彼らの中に存在するのだ。
「長い間、故郷を離れることになるんだ。しかも知らない遠くの土地に」
「アリス様のためですもの」
「そうだぜ、全く気にしてないです!」
「助かる。……では、早速だが説明をさせてもらう」
アリスは国民らに、説明を始めた。
アリスが広めたい機器は、既に国では導入が始まり、使っているものも多くいる。
だからといって説明を省けるわけもなく、簡単とはいえ最初から使い方を伝達した。
簡単に済んだのは、ここに居る六名も使用したことがあるからだ。アリスとしても、話術に長けている訳では無いのでその点は助かったと言えよう。
器具の説明が済めば、今度はやってもらうことの説明だ。
寧ろこちらの方が重要視される。
それはもちろん、この機器の利用促進、普及率の向上だ。
「応募してみたけど、そんな大役が務まるか心配ね……」
「アリス様のために頑張ろうぜ!」
「気負わなくて良い。さり気なく「よかった」と酒場や仕事場などで、言ってくれれば良いだけだ。リトヴェッタの国民が、少しでも気に留めてくれればいい」
巷の噂というものは、現代社会においても強い力を持つ。
使用者が良かったというのであれば、少しだけでも使ってみたいと思うだろう。
この器具に関しては、利用者がいないことで、何か大きな損害を被るわけでもない。
しかし初めての技術に戸惑う人々も現れるだろう。何もしなければ余計、不審がられておしまいだ。
だから人間の利用者の、生の声というのは強大な影響力があるのだ。
仕込みがより一層蔓延っている現代に比べれば、比較的信じられやすい。
それにリトヴェッタは、アリ=マイアと違って魔術に対する知識や経験、興味も深い。何も知らないアリ=マイアに普及するよりかは、簡単に行くだろう。
だからアリスも、強く押し付けるような仕事をしなくていいと言ったのだが……。
「……いいえ、アリス様の作られた品ですもの」
「そうだわ。絶対に全員が使うべきよ!」
「ん?」
「俺らで何としてでも広めねぇとな!」
「ちょ……、そんなに頑張らなくていいんだからな?」
「「「任せてください!」」」
(大丈夫かなぁ……)
妙に張り切っている面々を見て、一抹の不安を覚えた。
幹部達に比べれば大々的なことはしでかさないだろうと信じ、次へと移る。
「まぁ説明はここまでにして、そろそろ行こうか。準備もしてきたのだろう?」
「はい」
「もちろんです」
「それはよかった。帝国には私も行ったことがない。帝国の港までは同行するつもりだ」
「まぁ! アリス様と船旅ね」
「素敵だわ!」
◆
長い船旅を経て、一同はリトヴェッタ帝国に無事到着していた。
船から全員が降りたのを確認すると、アリスは声をかける。
「悪いがここで私は分かれる。頼んだ」
さらり、と風になびいているのは、いつもの馴染みのある白髪ではない。もっと言えば反転した真っ黒の瞳などなく、大きな黒い角も見当たらない。
ありふれた金髪に、青い瞳。どこにでも居そうな平民の女だ。
これがアリスの人間態だ。
帝国はまだアリスの存在を知らないため、こうして〝隠して〟来る必要がある。
「お任せください」
「楽しかったですわ」
「うっぷ、俺は少し休むよ……」
「ちょっと、あんた大丈夫かい……?」
圧倒的にイルクナーやアベスカよりも広い港を見ながら、一同は都市の中へと消えていった。
アリスはそれを見送りながら、港をぐるりと見渡している。
(ここがリトヴェッタ……。大きな都市を一人で回るのは寂しいけど、転移先を増やしたいし……帰る前にちょっとだけ観光でもするかぁ)
彼女も同じく、帝国の中へと歩いていくのだった。