えれなの葛藤2
その日の晩。街も静まり返って、誰もが眠りについた頃。
アベスカの王城から、城下町へと降りてくる影が一つ。なれない足取りで昼間通った道のりを歩いている。
魔術を用いてぼんやりと辺りを照らし、キョロキョロと周りを見渡して挙動不審な様子だ。
彼女は、えれなだった。
やはり昼間にやって来た患者が、気になって仕方がなかったのだ。
パラケルススはああ言っていたが、人間とは本質的には素晴らしい生き物――えれなはそう信じている。
だから彼も、こうして献身的に支えてあげれば、きっと心を入れ替えるだろうと。
患者の家に辿り着くと、こんな夜更けだというのに咳き込む声が聞こえてくる。
きっと苦しいだろう、とえれなは思った。
そう思ってしまえば、昼間のパラケルススの態度に苛立ちを覚える。魔王軍の幹部だと分かっていても、その残忍さを改めて知ってしまうと、腹立たしさを隠せない。
静かな街なかには、ノックが響くだろうとえれなは思案する。
ノックもせずにドアを開けると、壊れかかったドアはキィと切ない音を出した。
「……だれだい?」
「わたしです。昼間に来た、パラケルスス……様の助手です」
「あぁ……。どうしたんだい?」
「やっぱり気になって、治療をしてみようかと思ったんです」
「そうか……」
掠れた声は死期を連想させた。もう既に死神は近いのだろうと思わせる。
えれなの中の苛立ちは、更に加速する。こんな死にかけの人間を、どうして放っておけるのだろうか。
むごいことをするパラケルススへ、憎悪を募らせるばかりだ。
えれなのやって来たことを考えれば、自分のことを棚に上げているとも言われるだろう。それでもやはり、良心はある。
男関係が酷い女であれども、病人けが人などに対しては、慈悲の目を向ける。
彼女はこれでも勇者の端くれであり、治癒を行うのだから。
えれなは患者のベッドサイドに立つと、そっと手をかざした。心のなかで己のスキルを唱えれば、彼女のスキル〈主観治療〉が発動する。
〈主観治療〉は、彼女が〝異常〟と判断した対象を全て治癒するという、規格外の機能を持っている。
えれなは患者の彼に根付いている病や、傷などを異常とみなした。すると、みるみるうちに男の顔色が良くなっていった。
数秒も経たないうちに、男は完全に健康体へと戻っていた。
「……よかったぁ。大丈夫そうで――」
「ハッ! 頭の悪いクソガキめ。助かったよ」
「え?」
男は突然、起き上がった。そしてえれなの両肩を強く掴む。
痛みすら伴うそれには、えれなも驚きを隠せない。
良くない状況だと理解するまでに、脳みそが時間を要していた。
「なに……!?」
「知らねぇ国外のやつが、化け物の部下になったと思ってたら、こんなに都合のいい展開になるとはな。お前があいつの話を聞かないやつで良かったぜ」
「いや、うそ……」
えれなはやっとここで理解した。
あの化け物――パラケルススが、正しかったこと。そしてこの患者であった目の前の男こそが、真の化け物であることを。
えれなは力で勝てるはずがなく、そのままベッドへと押し倒された。
使い古された薄っぺらく安っぽいベッドは、えれな程度の体重でも酷く軋んでいる。外の静寂と相まって、その音はよく響いていた。
「きゃっ」と小さく声を上げたえれなを、男は舐め回すように見下ろしている。
何人もの男を誘惑し、その手に落としてきた――えれな。彼女は男からすれば、一度は抱いてみたい体だ。
そう、目の前の男も例外ではない。
「……結構いい体してんじゃねぇか」
「!! やめて!」
「へへへ……。復活がてら、コッチも試してみようか」
「いやっ!」
彼女の抵抗虚しく、衣服は簡単に破られてしまった。
こんなことになるとは想定していなかった。彼女が甘かったというのもある。
だからえれなは、勇者のときに着ていた衣服ではなかった。少々高級ではあれども、一般市民と遜色ない衣服で来訪していたのだ。
健康を取り戻した男であれば、容易く引き裂けるだろう。
体をよじり、必死に抵抗をする。
病弱な相手ならばまだ勝てたかもしれないが、男は力を取り戻していた。えれなのような女性では、逃げることなんてできない。
しかも今は草木も眠る時間帯。夜更けも夜更けだ。
こんな時間帯には、誰もがぐっすりと眠っているだろう。アベスカの人間は、早く昔の生活を取り戻そうと毎日忙しく働いているのだから。
「フゥー、いい匂いだァ……。女の匂いだ……」
「ひっ……うぅ」
男はえれなの首筋に、顔を埋めた。ほんのりと汗のかいた、えれなの匂い。
自分を綺麗に保っているえれなは、常に甘い匂いがする。きつすぎず、あざとすぎない程度の、柔らかな香水の香りだ。
その香りがまた、この男にとっては興奮材料の一つになる。
なによりも、ずっと床に臥していた。
久方ぶりの〝女〟となれば、余計に興奮するというものだ。
破れてあらわになったえれなの胸元に、男の手が伸びる。白く傷もない肌に、ゴツゴツとした指が這おうとしたときだった。
ドカリ――静寂を破るように、激しい音がする。
音の方向へと振り向けば、男の自宅の扉が破壊されていたのだ。
「なっ!?」
ドタドタと足音を隠す様子もなく、兵士達が数名、部屋の中に入ってくる。
ベッドを囲むように、兵士は並んでいった。
そして最後に、コツリ、と。高級な靴音が静かに響いた。コツコツと歩いてくるのは、身なりこそしっかりしているものの、肌はただれたゾンビ男。魔王よりアベスカを任せられた、パラケルススだった。
「ぱ、パラケルスス様!? 違うんだ、これは……そう、この女が誘ったんだ!」
(パラケルスス……さま……?)
組み敷いている男。その下で、はらはらと涙を流す女。
頭の悪い男から出た、無理のある理由。そんなことは、兵士すら分かっていた。
えれなの男癖の悪さは聞いていたので、パラケルススも知っていた。だが聞けば、彼女は見目のいい男しか漁らない。
確かに今彼女を組み敷いている男は、顔は悪い方ではないだろう。しかしえれなの理想は高い。
この程度で満足する女ではないだろうし、何よりも――好みの男が相手なのであれば、こうして涙を流すことなんてあるはずがない。
喜んで体を明け渡していることだろう。
「……そうですか」
「あぁ、そうなん――ぐはっ!」
パラケルススの足が、男の腹部にヒットする。きちんと磨かれた革靴は、魔術を付与されたアイテムでもなんでもない、ただの靴だ。
しかし勢いをつけていきなり腹を蹴られれば、それは痛いだろう。
男は反動で壁に体をぶつけていた。
男がえれなから離れたことで、待機していた兵士達が男を捕縛しようと群がっている。パラケルススの初撃で動きを封じられたおかげで、大した抵抗も出来ないまま無事に縛り上げられていた。
彼に対して、兵士らは容赦がなかった。そもそも戦争の前から、国民の金を貪っていた連中の一人だから、当然とも言える。
これから男は、兵士達に連れられて国民の憂さ晴らしとされるのだろう。
パラケルススは「対処については任せますぞ」と伝えてあるため、これ以降は彼らに委ねられるのだ。
どちらにせよ、結末は分かりきっている。
パラケルススはそんな様子を横目で見ながら、未だにベッドで蹲っているえれなの方へと近寄った。
カタカタと震えている様子は、嘘とは見えない。
パラケルススは白衣を脱ぐと、えれなの肩にそっとかけてやった。
「あなたは……男を騙していた割には、あまりにもお人好しすぎますなぁ。これも勇者に選ばれた所以ですかな?」
「……うっ、ぐす、うぅ……」
「落ち着きましたかな?」
「…………はい」
男を兵士達に預け、パラケルススはえれなを連れて自室に戻っていた。
ホットミルクを入れてやり、彼女へ渡せば、少し安心したように感謝の言葉が返ってくる。
「暗い中一人で、部屋に戻るのは大変でしょう。メイドを呼びますゆえ。少々待っていて――」
「あっ、待って……下さい」
「?」
えれなは、キュッとパラケルススの袖を掴んだ。
パラケルススが不思議に思って振り返れば、慌てた様子でその手をどける。
えれなは、明らかに目が泳いでいた。
「その、お願いです。パラケルスス様が、朝までいてくれませんか……」
「何故です? 自分は仕事が残っております」
「えっと……ここで休んでいては、駄目でしょうか」
「執務室ですぞ。ベッドはありませぬ」
「いいんです。ソファで寝ますから。……ご迷惑ですか?」
「はぁ、まぁいいですが。朝になったら出ていってくだされ」
「……はい」
えれなは、ホットミルクの入ったマグカップを強く握った。手に汗が滲んで、落としそうだったから。
夜で冷えているというのに、顔が異常に火照っているのは、気の所為なんだと自分に言い聞かせた。
男は遊ぶもの。一晩だけの関係。そんな彼女が、感じたことのない胸の高鳴り。ドキドキとした心臓の音が、彼女を支配していた。
どうか、相手に聞こえないように――そう願った。
好きな回です。




