ハロウィンに集う 前編
私の名前は、真面目の真に心と書いて「まこ」と読む。
お母さんやお父さんが名前をつけるときに悩んでいて、おばあちゃんに相談したら──「私らの時代もぉ、これからの時代もぉ……真心が大事やけんねぇ。真面目に生きて、誰かのことを思いやる。心の綺麗な子が、周りからも好かれるんちゃよぉ。」と、その言葉を聞いた両親が「真心」と名付けたらしい。
正直、名前に意味が必要なのか私には分からなかった。
だって、二十年近く生きてきて、人生はそんな都合よく歩めるものではない。と身にしみて理解していたから。
「えー混雑が予想されますので、これより先は通行禁止になりまーす。ご協力のほど、よろしくお願いしまーす。」
十月三十一日午後六時──渋谷。周囲には大勢の仮装した人たちが蔓延り、人混みから少し離れた歩道橋の横を歩く私にも声が届くほど、大きな音量を出すメガホンから発せられた警察官の声は少しだけ気怠げで気の抜けた口調だった。
季節は秋から冬へと変わりゆく境目でも、私は短めの短パンに赤と白のスニーカー、革ジャンのようなファーがついた上着のポケットに手を入れて歩く。
数日前に、美容院で整えた赤色ベースに黒のインナーカラーを入れた短めのカットに私はとても満足しており、大学では少し目立っていたが私にはそんなことどうでも良かった。
もみあげだけ長く伸びた前髪を指でクルクルと触る私は、ポケットからスマホとエアポッツを取り出し、耳につけたエアポッツからお気に入りの音楽を流した。
「……いい曲。」
プロでもないアマチュアがネットに投稿した一曲に、私は心を奪われた。
歌はいかにも素人臭くてあんまり上手くはないけど、幻想的なメロディーの中にある言葉には、寂しさや悲しさを感じさせるけど、そこからがんばれ。って、元気や勇気をくれる言葉がある。
とても穏やかで、弱々しい声だけど、感情がこもっているような歌い方。疲れた心に染み渡るように、私の心を癒してくれる歌。
「私も、こんな歌を作れればよかったのに。」
「…っ!」
「…いてッ、きぃつけろよォ! たくっ…」
「……。」
もう酔ってんのかよ。道幅いっぱいに歩くなよな。
通行人の肩がぶつかった私に頬を染めた男が一喝するも、私は一瞬だけ眉間を曇らせたがすぐにどうでもよくなって歩みを進めた。
目指す場所は、円山町にあるDJバーだ。都内でも有名な音楽関係者が主催するバーのイベントに私は赴いた。
一見すると目立たなさそうな外路地の裏側に入り口があり、扉を開けると中は思ったよりも広めで、暗い室内は赤色の照明が所々に照らされていた。
店内はすでに盛り上がりを見せていて、エアポッツを外した私の耳に飛び込んできたのは素晴らしい音色の数々だった。
エレキ、アコギ、ドラム、ベース、キーボードにピアノまで、様々な楽器が揃う部屋の広間はより一層明るい照明に照らされていた。
普段はポップでネオン調の室内のはずが、今日のイベントに合わせてクラシックの劇場のように変化しており、周囲のテーブル席に座ってカクテルや酒を嗜む音楽関係者は、立ち並ぶ楽器と演奏者達による演奏に魅入っていた。
入口の前でしばらくその光景を眺めていた私も、バーの店員から声をかけられようやく席へと着いた。
席に座り店員にカクテルを注文した私に、隣に座るまとまった顎髭を生やしたイケメン面のおっさ……いや、お兄さん…に話しかけられる。
「……まこちゃんおひさ〜」
「あ、ども。」
「修一さん、観戦側なんですか?」
望月修一。顔見知りである彼は三十代前半にしては顔立ちは整っているが、顔に浮き始めたばかりのシワは少しだけ大人びた男性のように色気を感じる。
ま、私の好みではないんだけど。
「そうねぇ〜。今日は僕より凄い人達が演奏するからね。」
「僕なんてまだまださ。はははっ。」
「……だったら…私なんかは。」
「ん? 何か言ったかい?」
「あ…いえ。」
口ではそう言うものの、彼の才能は本物だと私は思う。そこらのギタリストよりよっぽど上手いと感じるし、なにより──音色が優しい。
森の中、渓流が流れる小川の側、朝日や夕日が見える砂浜、そんな穏やかな自然の中を感じさせる。そよ風のような音色をどんな場所にいても感じさせてしまうのだ。
「まこちゃんは、リフレッシュかい?」
「……まぁ、そんなとこです。」
ここ数ヶ月、私は私の歌を作れていない。
ある日、なんのきっかけも無しに突然歌が作れなくなった。その理由を考えても、考えても考えても答えは出なかった。
日常は変わらない。過ぎ去る日々も、時間も。なのに、私は大好きな歌を──歌えなくなった。
普通がなんなのかは分かんないけど。
私が普通とは違うことは、なんとなく周りの反応から理解していた。
周りとは何が違うのか……家族?友達?いや、そうじゃない。周りや環境の人のせいにしてきた自分のせいだ。
そんなこと、分かっていても。笑顔を振りまくクラスの人気者のようにはきっと……私には同じことは出来ない。
だから、私が私であるために──私は音楽を始めた。
音楽に出会う前は、人も自分も信じられずに生きてきた。
でも、そんな私が学生時代に、たまたま通りがかった通路の片隅で歌うストリーマーの歌に、私は足を止めていた。その時のことを言葉にすることは今でも出来ないけど──世界が、私の中の何かが動き始めた気がした。
ハロウィンの渋谷は賑やかで、演奏が静まる瞬間を狙って外から騒がしい声が聞こえてくる。
でも、それ以上に店内の活気は凄まじく、ほどよく回る酔いに私は体を乗り出して踊り明かしていた。
ずっと、この瞬間が続けば──
私の心は透き通ったままなのに。
「…はぁ、はぁ〜たのしぃ。」
「いいねぇ、来て良かったんじゃない?」
「まこちゃん、とても楽しそうだったよ?」
「久しぶりにこんな動きましたよ…はは。」
「修一さんは踊らないんですか?」
「ないない、もうそんな体力ないよ」
愛想笑いで微笑む修一さんは、スポットに照らされるステージと演奏する演者の姿を見つめると、掠れたような声で呟いていた。
「でもまぁ……僕にもそんな時もあったかなぁ。」
「……?」
その日、彼の言葉の意味を私が知ることはなかったが、私は朝まで私としていられる時間を楽しんだ。
店外に出た私の足取りは重く、見送りに来た修一さんはスマホを片手にダイヤルの画面を開いていた。
「タクシー呼ぼうか?」
「いえ、だい…じょ──」
「ぶぅ…おぇぇぇ……」
「あらら〜、飲み過ぎもほどほどにだねぇ〜」
「…けほ、ほんとに大丈夫なんで。外の空気吸いながら帰りますから…」
「そっか。はい、コレ。」
起き上がった私に一万円札を手渡した彼は、私に一言告げると再びバーの中へと入って行った。
「やばくなったらタクシー呼びなね。」
「…すみません。ありがとうございます。」
頭痛を感じながら、夜よりも少しだけ肌寒く感じる早朝に、鼻を啜りながら歩く私は外路地を抜け大通りへと出ていた。
ハロウィン後の渋谷は昨夜とは一変して静かな日常で、いつもよりも人通りは少なく感じた。
「……日曜か」
「はぁ〜〜〜……」
ため息を吐きながら見上げる空は雲で覆われ、世界全体が沈んで見えた。帰り道、通路に蔓延るゴミの残骸を目にしながら、私は見て見ぬ振りをしながらエアポッツを耳に嵌めた。
「──内海くん。こっちこっちー!」
「おはようございます。」
「ああ、おはよう! 今日はよろしくねぇ!」
「はい…よろしくお願いします。」
通行人の声など気にもせず、スマホを見る私はお気に入りの曲を選んでいた。
「──やっぱ、いい曲。」




