第8話 王の仕事
朝の日差しが、王城内の会議室へ差し込む。
窓の外では、王都がゆっくりと目を覚まし始めていた。
エリシアの一日はそれより早い。
机の上には積み上がった書類。
報告書。
予算案。
陳情書。
そして、広げられた地図。
「次はこちらになります」
側近の女性が新たな書類を差し出した。
エリシアは小さく頷く。
「北部街道の件ですね」
机の上の地図には、大きな川が描かれていた。
王都と北部穀倉地帯を繋ぐ街道。
その途中を流れる川。
議論は膠着していた。
「橋の建設計画について、改めてご判断を」
商務官が言う。
会議室には数名の官僚と貴族が集まっていた。
エリシアは資料へ目を落とす。
橋の建設費に維持費。予想利用者数。
どれも難しい数字ばかりだ。
少し前の自分なら理解もできなかっただろう。
「反対意見から伺いましょう」
エリシアがそう告げると、一人の貴族が立ち上がった。
「やはり、費用が高すぎます」
予想通りだった。
「現在でも船による渡河は可能です。
わざわざ橋を建設する必要はありません」
別の者も続く。
「維持費も問題です。建設して終わりではありません」
会議室の空気が重くなる。
誰も間違ったことは言っていない。
だからこそ難しい。
エリシアは改めて地図を見る。
川、街道、穀倉地帯。
そして王都。
以前聞いた言葉を思い出した。
『橋は単に川を渡るためのものじゃない』
知らない国の。
知らない誰かの言葉。
しかし、不思議と納得できた言葉だった。
「橋は」
エリシアが口を開く。
「川を渡るためだけのものではありません」
何人かが顔を上げた。
「人の流れを変えます」
地図を指差す。
「荷の流れを変えます」
さらに指を動かす。
「市場も変わります」
商務官が眉を上げた。
エリシアは続ける。
「北部の作物が王都へ届くまでの日数は?」
「現在は三日ほどです」
「橋ができた場合は?」
「順調なら二日程度になるかと」
エリシアは頷いた。
「一日短縮されるだけでも、往復できる回数が増えます」
会議室に沈黙が落ちる。
「商人が増えれば市場が活発になります」
数字だけでは見えない部分。
だが確かに存在する部分。
商務官が腕を組んだ。
「……なるほど」
完全な賛成ではない。
それでも先程までとは空気が違った。
財務官が口を開く。
「しかし維持費は残ります」
エリシアも理解している。
だから昨夜、遅くまで考えた。
机に向かいながら、何度も。
「商隊からのみ通行料をいただくのはどうでしょう」
会議室の視線が集まる。
「一般市民は無料です」
なるほど、というつぶやきが聞こえた。
「利益を得る商隊には負担をお願いします。
その代わり、船よりも速く安全に通行できます」
財務官が計算を始める。
商務官も資料をめくる。
しばらくして。
「エリシア様、不可能では無さそうです」
財務官が呟いた。
その言葉に、エリシアは内心で安堵する。
もちろん完璧な案ではない。
もっと検討は必要だろう。
それでも、前に進めることができる。
「では試算を作成しましょう」
商務官が言った。
「正式な計画案として提出いたします」
会議は次の議題へ移っていく。
税。
農地。
治安。
王の仕事に終わりはない。
夕方、ようやく執務室に静寂が戻った。
エリシアは椅子へ身体を預ける。
「お疲れ様でした」
側近が紅茶を置く。
「ありがとうございます」
湯気が静かに立ち上る。
ふと視線を落とす。
机の端。
そこには一冊の分厚いノートが置かれていた。
誰にも見せたことのないノート。
エリシアはそっと開く。
橋
税
選挙
友達
水族館
様々な言葉が並んでいる。
全て、あの不思議な場所で教えてもらったものだった。
「……陛下、最近はそのノートを開かれる時、とても 柔らかいお顔をなさいますね」
「ええ、そうなの」
ノートを、ぱた、と閉じる。
「本日も助けられてしまいましたね」
小さく呟く。
誰に言ったものでもないが、
不思議と一人ではない気がする。
窓の外では夕日が沈み始めている。
あと数時間もすれば夜になる。
今日もまた、あの場所へ向かうのだろう。
自分を支えてくれる、知らない誰かが待つ場所へ。
「今日は何を聞こうかしら」
その表情は、ただの少女のように柔らかかった。




