第59話 あなたに見せたい景色
朝。
窓から差し込む柔らかな陽の光で、陽太は目を覚ました。
見慣れない天井。
見慣れない部屋。
「……ああ」
昨日、本当に異世界へ来たのだと実感する。
身支度を整えて部屋を出ると、廊下にはマリアが待っていた。
「おはようございます、陽太様」
「おはようございます」
『様』と呼ばれることに、まだ慣れない。
「陛下がお待ちです」
案内された先は、王室専用の食堂だった。
◇ ◇ ◇
「おはようございます、陽太さん」
席へ着いていたエリシアが、優しく微笑む。
「おはよう、エリシア」
その一言だけで。
二人とも、少しだけ照れてしまう。
今までは画面越し。
これからは、同じ空間、同じ朝。
「何だか、不思議ですね」
エリシアが小さく笑う。
「昨日まで、画面越しでしたのに」
「俺も同じこと考えてた」
二人で顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
◇ ◇ ◇
陽太にとっては初めての、異世界の食材。
日本の物と似ているようでどこか違う。
ほんのり甘い、果実のジャムに、柔らかいパン。
肉団子を卵で包んだオムレツ風のもの。
鼻をくすぐり、食欲をそそる香ばしい匂い。
オムレツ風のものを口に入れると、
ふわりとほどけ、中から肉汁が口いっぱいに広がっていく。
「こちらの食事は、お口に合いますか?」
「うん。これが毎日食べられるなんて、幸せだと思う」
お世辞ではなく、本心からそう思える美味しさだった。
「良かったです」
エリシアが安堵の表情を浮かべる。
「今日は、公務は入れておりません」
「珍しいんじゃない?」
「はい。近いうちに、歓迎式典等で忙しくなるかと思いますが。
その前に、陽太さんをあちこちご案内したいのです」
嬉しそうに微笑む。
「私が大好きなこの国を、一緒に歩いてください」
◇ ◇ ◇
王都の街並み。
石畳の道を、二人でゆっくり歩く。
「本当に来ちゃったなぁ」
感嘆のため息をこぼしながら、陽太が辺りを見回す。
配信でも見た王都の中央市場。
噴水。
建物。
すべてが、そのまま目の前にあった。
商店の軒先に掲示されている、濃紺の三角形の旗。
アルヴェイン王国の紋章に、横向きの女性のシルエットが重なっている。
「もしかして、これ」
「はい、ご相談した、王国認定の印章です」
「女性のシルエットは……もしかして、エリシア?」
「そうなのです。商務局から、これが良いと押し切られてしまいまして」
少しだけ頬を赤らめる。
「エリシアの思いが感じられて、すごく良いデザインだね」
「そう仰っていただけると……でも、やっぱり恥ずかしいです」
そのまま市場を抜けると、大きな橋が見えてきた。
「これ……」
陽太は立ち止まる。
画面越しで何度も進捗を見てきた橋。
立派に完成していた。
「完成したんだな」
欄干へ、そっと手を添える。
橋の上では、人々が笑いながら行き交っていた。
「はい」
エリシアも嬉しそうに頷く。
「皆様のお力で」
陽太は橋の向こうを見つめる。
「いや、エリシアが頑張ったからだよ」
エリシアは首を横に振った。
「いいえ、皆様の知恵があったからこそ、この橋は完成しました」
二人は並んで橋を渡る。
吹き抜ける風が、とても心地よかった。
◇ ◇ ◇
歩きながら。
エリシアが思い出したように口を開く。
「そうでした。
お伝えし忘れていたことがあります」
「ん?」
「陽太さんのお立場ですが」
一度立ち止まり、微笑む。
「王室付き特別顧問として、お迎えしております」
「王室……付き?特別顧問?」
陽太は目を丸くした。
「はい」
「わかりやすく言い換えますと、
私の相談役として、王族に準じる待遇となります」
「……え?」
思わず立ち止まる。
「いやいやいや」
エリシアがくすっと笑う。
「帰る保証がない世界へ、お越しいただいたのです。
これでも足りないくらいです」
陽太は頭を掻いた。
「そんな大げさな」
「大げさではありません」
エリシアは真っ直ぐ見つめる。
「私は、それほど感謝しております」
その言葉に、陽太は何も返せなかった。
◇ ◇ ◇
日が少しだけ傾きかけた頃。
二人は王都中心部から少し離れたところにある、
一つの、白塗りの建物の前で立ち止まった。
「ここは?」
エリシアが少し照れながら笑う。
「水族館です」
「……は?」
陽太が、思わず声を出す。
「陽太さんに、驚いていただきたくて、内緒にしておりました」
エリシアが、軽く舌を出して、おどけてみせる。
「観光産業にも力を入れるために、議会で承認を取りまして。
……作ってしまいました。
日本にあるものより粗末かもしれませんが」
「いやいや、そんなことないよ。
やっぱり王様すげぇわ……」
陽太は、あっけにとられながら建物を見上げた。
「以前、お話しされたことを覚えていらっしゃいますか?」
陽太の顔を覗き込む。
「デートとして、水族館でゆっくり過ごすのが素敵だと、教えていただきました」
陽太は思わず笑う。
「覚えてたんだ」
「だから作ったんですよ。
よろしければ、ご案内いたしますが」
「もちろん」
エリシアに誘われるようにして、二人は館内へ入った。
青い光に包まれた巨大水槽。
透明結晶の鑑賞窓の向こうを、
無数の、陽太が見たこともない魚たちがゆったりと泳いでいる。
「綺麗だね」
「はい」
それ以上の言葉はいらなかった。
二人は並んで歩く。
時折目が合う。
そのたびに、照れ笑いを浮かべる。
画面越しでは味わえなかった沈黙。
その静かな時間が、とても心地よかった。
◇ ◇ ◇
大水槽の前。
二人は肩を並べて立っていた。
魚たちが静かに泳いでいる。
青い光が、二人を優しく照らしていた。
「本当に夢みたいです」
エリシアが静かに呟く。
「……まだ、どこかで目が覚めてしまうのではないかと思ってしまいます」
「ものすごくわかる」
「こうして隣にいてくださるだけで、嬉しいのです」
その声は、とても幸せそうだった。
陽太は優しく微笑む。
「これからも」
エリシアがゆっくり顔を向ける。
「隣にいるよ」
その一言で。
エリシアの青い瞳が揺れた。
「……はい」
少しだけ背伸びをする。
陽太も自然と顔を近づけた。
唇が、そっと触れる。
一瞬だけ。
本当に短い口づけ。
モニターの壁は、もうどこにもない。
触れあう唇の柔らかさと、速くなったお互い鼓動が伝わる。
離れると。
エリシアは真っ赤になりながら、小さく笑った。
「……ようやく、できました」
「……やっとだね」
陽太も笑顔を浮かべる。
青く揺れる水槽の光の中。
二人は、寄り添い、そっと手をつないだ。
同じ世界で。
同じ未来へ向かって。




