第57話 行ってきます
旅立ちの日。
空は雲一つない青空だった。
◇ ◇ ◇
アルヴェイン王国。
王城地下。
普段は限られた者しか立ち入ることのできない最深部。
石壁に覆われた巨大な部屋の中央には、幾重にも重なる円形の魔法陣が床一面へ刻まれていた。
淡い青白い光が、ゆっくりと脈打っている。
魔法局員たちは最後の確認に追われていた。
「魔力充填、九十九パーセント」
「座標固定、正常」
「術式連結、異常なし」
報告が次々と飛ぶ。
魔法局長は静かに頷いた。
「いよいよですな。
では、陛下。ご準備を」
その言葉に、誰もが緊張した面持ちで魔法陣を見つめていた。
エリシアもまた、胸の前で両手を重ねる。
◇ ◇ ◇
陽太の実家。
自室のものは段ボールに詰めて押し入れへ。
荷物はほとんど片付いていた。
陽太はノートパソコンとリュックを抱え、リビングへ向かった。
テーブルの上へ、ノートパソコンを静かに置く。
画面の向こうでは、エリシアが待っていた。
「お父様、お母様、こんにちは」
「こんにちは、エリシアさん」
「改めて、うちの息子を、よろしくお願いします」
母が柔らかく笑う。
父が軽く頭を下げた。
「はい」
エリシアが頷く。
「これより、通信術式を拡張し、召喚術式として展開いたします」
母は陽太を見る。
「忘れ物ない?お土産持った?」
「うん。持てそうなものは大体入れたかな」
「あの……」
エリシアが少し言いづらそうに口を開く。
「一つ、お伝えできていなかったことがあります」
「ん?」
「今回の召喚術式なのですが……」
申し訳なさそうに俯く。
「人そのものを転移させる術式なのです」
「なるほど」
「そのため、お荷物は、お持ちいただけません」
陽太が目を瞬かせた。
「え?じゃあ、スマホも?」
「はい」
「着替えも?」
「はい……」
「日本のお土産も?」
「お気持ちだけ、いただきます……」
陽太は苦笑する。
「文明の利器、全滅だ」
「本当に、ごめんなさい」
エリシアがしょんぼりと肩を落とす。
「いや、謝ることじゃないよ」
陽太は笑った。
「人一人運べるだけでも十分すごい」
その言葉に、エリシアも少しだけ安心したように微笑んだ。
「あと……」
再びエリシアが言葉を止める。
「もう一つだけ」
「うん?」
耳が赤い。
「人だけを転移させる術式ですので……」
視線が泳ぐ。
「着衣も、一緒に転移できない可能性が高く……」
陽太が固まった。
「……え?」
「そ、その!」
エリシアは慌てて両手を振る。
「もちろん、お召し物はご用意しております!
到着後すぐ、お着替えいただけますので!」
顔が真っ赤になっていた。
陽太も同じくらい顔を赤くする。
「そ、そういう魔法なんだ……」
「融通が利かず……」
恥ずかしそうに俯く。
少しの沈黙。
やがて。
「……ふふ」
「ははっ」
二人は思わず笑ってしまった。
張り詰めていた緊張が、少しだけほどけていく。
エリシアの元に、魔法局長が近づいてきた。
「陛下」
エリシアが振り向く。
「術式への魔力充填、完了いたしました」
「……はい」
「太陽光による魔力が最も安定する時刻です。
はじめましょう」
局長が、モニター越しに陽太へ向かって一礼した。
エリシアも頷く。
「陽太さん」
「はい」
「準備が整いました」
静かな声だった。
「術式は一度きりです。
あと少しで、お会いできます」
「陽太」
父が呼ぶ。
「うん」
「向こうへ行っても、自分で決めろ。
迷ったら、人のために動け」
陽太は笑った。
「それなら大丈夫。
もう教えてもらったから」
父は満足そうに頷く。
母は涙ぐみながら言う。
「ちゃんとご飯食べるのよ」
「分かってる」
「無理しない」
「うん」
「それから」
一度笑う。
「エリシアさんを泣かせちゃ駄目よ」
陽太が照れる。
「約束する」
画面の向こうでは、エリシアまで顔を赤くしていた。
ノートパソコンが、青い光に包まれはじめる。
エリシアは姿勢を正す。
「お父様、お母様」
二人を見る。
「改めまして、陽太さんをお預かりいたします。
必ず、この国へ来て良かったと思っていただけるよう、努めます」
父も母も静かに頷く。
「よろしくお願いします」
「じゃあ、行ってきます」
父を見る。
「行ってこい」
母を見る。
「行ってらっしゃい」
二人に向けて大きく頷いた。
「それでは」
エリシアが小さく息を吸う。
「アルヴェイン王国で、お待ちしております」
陽太が、ノートパソコンへ、そっと手を伸ばした。
午後の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。
時計は、間もなく正午を指そうとしていた。
いつもの柔らかい青い光が陽太を包んだ。




