第56話 旅立ちの準備
エリシアに決断を伝えてからの一カ月が、
怒涛のように過ぎていった。
まず最初に、実家に帰って、両親へすべてを話した。
エリシアのこと。
アルヴェイン王国のこと。
一度向こうへ渡れば、戻れる保証がないことも。
母には以前「やりたいことが決まった」とだけ伝えていた。
けれど、まさかその行き先が片道切符の異世界であることは、二人の想像を越えていた。
母は早々に泣き崩れた。
父はしばらく無言を貫いた。
二人ともすぐには信じてくれなかった。
それでも、陽太は時間をかけて説明した。
配信のこと。
通信術式のこと。
そして、自分で考えて覚悟をもって決めたことを。
最後まで話を聞いた父は、一つだけ確認した。
「お前が、自分で決めたんだな」
「うん」
父は、それ以上何も言わなかったが、目が真っ赤になっていた。
母は、少し落ち着くと、最後には涙ながら小さく頷いてくれた。
陽太も、この日ばかりは、声を上げて泣いた。
それから。
大学への退学届。
友人達に伝えると、かなり驚かれた。
「大学辞めてまでやりたいことって何だよ?」
「あー、なんていうか、かなり遠くに行くことにした」
「留学なら休学で十分じゃね?」
陽太が、頭を掻きながら答える。
「詳しくは言えないんだけど、いつ帰ってこれるかわからなくて」
「そうか。ちなみにどこ?ヨーロッパあたり?」
「……異世界、って言ったら信用する?」
友人達が一斉に笑う。
「あはは、ウケる。オーケー、秘密ってことね」
「うん。だから、今までありがとう」
「おう。また戻ってくることがあったら連絡しろよ」
内定先への辞退連絡。
「この度は、大変申し訳ありません」
『差し支えなければ、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか』
「人生で一度しかない挑戦をしたいと思ったからです」
『それは、他の会社への就職ではなく?』
「はい」
『……承知しました。佐藤様の今後のご活躍をお祈りしております』
それから、アパートの解約手続き。
実家への引っ越し準備。
一人暮らしを始めて三年。
大学生活のほとんどを過ごした、小さなアパートだった。
「……本当に、引っ越すんだな」
思い出の詰まった部屋が、少しずつ空になっていく。
レポートを書いたり。
友達と徹夜でバカ騒ぎをしたり、ゲームをしたり。
そして、エリシアの配信を見つけた場所。
「ありがとう」
静かに扉を閉めた。
◇ ◇ ◇
夜。
実家。
「ただいま」
「おかえり」
リビングに顔を出すと、母が笑った。
父も、テレビから陽太へ目を移した。
「よく帰ってきたな」
「今日はご馳走作ってるから」
「ありがとう」
今度は、三人で笑った。
◇ ◇ ◇
午後十時。
ノートパソコンのモニターから青い光があふれる。
「こんばんは、陽太さん」
「こんばんは、エリシア」
少しだけ照れくさい。
「今日、実家に戻ってきたよ」
「まあ」
エリシアが目を丸くする。
「そんなに早く……
お部屋の景色が違いますね」
「俺の部屋。こういうのは、勢いが大事だからね」
「ふふ」
嬉しそうに笑う。
少し沈黙が流れる。
「あの」
エリシアが、おずおずと切り出した。
「もし、ご迷惑でなければ……。
ご両親へ、挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか」
陽太は一瞬驚いた。
「今?」
「はい」
「もちろん」
陽太はリビングへ向かう。
「父さん、母さん。ちょっといいかな」
二人が座るテーブルの前に、ノートパソコンを差し出す。
モニターを見るなり、母が思わず口を押える。
「まあ……この綺麗な方が、エリシアさん?」
「陽太の話を疑うつもりはなかったが……。
本当に……異世界から……」
父も驚きの声を上げた。
画面の向こう。
エリシアは静かに立ち上がる。
深く一礼した。
「初めまして。
アルヴェイン王国国王、エリシア・アルヴェインと申します」
父も母も、慌てて頭を下げる。
「は、初めまして……」
「うちの陽太が世話になってます」
エリシアは、もう一度頭を下げた。
「陽太さんには、これまで数え切れないほど助けていただきました。
そして、この度……」
一度言葉を止める。
「私の願いを受け入れてくださいました」
真っ直ぐ二人を見る。
「大切なご子息を、お預かりいたします」
母が慌てて手を振った。
「そんな、頭を上げてください」
父も苦笑する。
「まさか、王様に頭を下げられる日が来るとは思いませんでした」
少しだけ場が和む。
エリシアも、ほっとしたように微笑んだ。
「ご不安なお気持ちは十分承知しております。
気休めにならないかもしれませんが、
こちらに来ていただいた後も、このように、顔を見てお話ししていただけます。
配信でも、お姿をお見せできますので」
陽太も頷いた。
「向こうへ行っても、連絡は取れるよ」
母の表情が少し和らぐ。
「それなら……少し安心ね」
父は陽太を見る。
「……本当に、行くんだな」
「うん」
「後悔はないか」
陽太は迷わなかった。
「ない」
父は静かに頷く。
「なら、行ってこい。
エリシアさん、うちの陽太を頼みます」
短い言葉だった。
けれど、その一言には、息子を信じる父親の想いが込められていた。
母も涙ぐみながら笑う。
「ちゃんとご飯は食べるのよ。
体に気を付けること。
困ったら、一人で抱え込まないこと」
「うん」
「定期的に連絡はすること。
エリシアさんに、迷惑をかけちゃダメよ」
「わかってる」
エリシアは二人を見つめ、深く頭を下げた。
「陽太さんを、必ず大切にいたします」
父も母も、静かに頷く。
「よろしくお願いします」
「はい!」
エリシアは、まっすぐ答えた。
◇ ◇ ◇
通信が終わる。
リビングには静かな空気が流れていた。
母がぽつりと呟く。
「素敵な人ね」
父も笑う。
「ああ。王様というより……。
一人の、真面目な女の子だな」
陽太は自然と笑みがこぼれる。
「うん」
その返事だけで十分だった。
旅立ちの日は、もうすぐそこまで迫っていた。




