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第52話 お願いがあります

 午後十時。


 いつものように。

 青白い光が二つの世界をつないだ。


「こんばんは、陽太さん」

「こんばんは、エリシア」


 互いに笑う。

 けれど、今日はどこか違っていた。


 エリシアの表情には、固さと緊張が見える。

 陽太も昨日の配信を思い出していた。


「昨日は……大丈夫だった?」


 エリシアは少しだけ笑う。


「ご心配をお掛けしてしまいました」


 小さく頭を下げる。


「皆様にも。陽太さんにも」


 エリシアは何度も、深呼吸をした。


 そして……

 膝の上で両手を握り締めた。


「陽太さん」

「はい」

「今日は、お願いがあります」


 その一言で、部屋の空気が変わった気がした。


「お願い?」

「はい」


 エリシアはゆっくり頷く。


「とても身勝手なお願いです。

 ですが……。

 どうか、最後まで聞いていただけますか」

「もちろん」


 陽太も表情を改める。


「こうして、陽太さんとお話ができるようになったのは、通信術式の研究によるものです」

「うん」

「この研究が、最終段階まで進みました」


 陽太は少し驚く。


「今までは、中間地点だった?」

「はい。魔法局の皆さまが、日々頑張ってくださいました」


 エリシアは静かに頷く。


「そして、この研究には、最終目標があります」


 エリシアは俯くと、胸を押さえ、

 二度大きく深呼吸をした。


 そして、顔を上げ、陽太を見つめた。



「……この世界へ。

  異界の方をお迎えすることです」


 陽太は言葉を失う。


「……え?」


 エリシアはゆっくり説明した。


 元々、国を立て直すために、エリシアの得意な通信術式を利用して、

 異界の知恵を借りようと配信を始めたこと。


 通信だけでは限界があること。

 王国に招き、共に歩んでくれる人を探していたこと。


 陽太の頭の中を、これまでのエリシアの配信の思い出が駆け巡った。


「私たちは、その方と共に、この国をより良くしていきたいと考えています。

 ……ですが、重大な問題があります」

「問題?」

「はい」


 エリシアは視線を落とす。


「こちらへ来ていただいた後……

 元の世界へ戻れる保証は、ありません」


 沈黙が二人を包んだ。


 エリシアが重たくなった口を開く。


「研究は続けます。必ず、帰還方法も探します。

 ですが……」


 首を横に振った。


「今の私には、何もお約束できないのです……」


 エリシアは続ける。

 声がかすれ、少しだけ、目が赤くなっていた。


「このお話は、その方の人生を大きく変えてしまいます。

 だから私は、ずっと言えませんでした」


 静かな時間が流れる。


 エリシアは、真っ直ぐ陽太を見た。

 陽太も自然と姿勢を正した。


「私には、お呼びしたい方がいます」


 一度だけ、目を閉じる。



 そして――



「陽太さん」


 真っ直ぐ見つめる。



「あなたです」



 沈黙。



 数秒。いや。

 もっと長く感じた。


 陽太が、口を開いた。


「……俺?」

「はい」

「どうして」


 エリシアが微笑んだ。


「橋も。市場も。教育も。

 私は一人では何もできませんでした」


「困った時。

 いつも一緒に考えてくださいました」


「間違えれば教えてくださいました」


「私が落ち込めば励ましてくださいました」


「だから」


 少し照れながら。


「私が大好きな、この国を。

 あなたに、直接見ていただきたいのです」


「そして、一緒に、歩いていただきたいのです」


 エリシアの声が震える。


「私に必要なのは……」


「勇者でも、賢者でも、

 高名な学者でもありません」


「私の隣で、共に悩み、共に考え、

 この国を、共に歩んでくださる方」


「それが陽太さんです」


 エリシアの瞳から、一筋の涙がこぼれた。


「私と一緒に、この国の未来を歩んでいただきたい。

 そんな願いを、どうしても捨てることができませんでした」

 

「あなたの人生を奪いたいわけではありません。

 陽太さんには、ご家族も、大学も、これからの人生もあります」


「私のわがままで、

 それらを揺るがしてはいけません」


 エリシアの目から、涙があふれる。


「だから……!

 本当に、断っていただいて構いません」



 そこまで言うと、

 エリシアはゆっくりと頭を下げた。


 長い沈黙。


 陽太はゆっくり息を吐く。


 エリシアが肩をふるわせながら、顔を上げる。


 声を出して泣きそうなのを必死で我慢していることが、

 陽太にはすぐ理解ができた。


 ようやく出した言葉は一つ。


「……ありがとう」


 エリシアの身体が、ピクッと反応した。


「こんなに大切なことを、俺に話してくれて。

 ありがとう。

 俺を、そこまで信頼してくれて、本当に嬉しい」


「でも……」


 夢にも思わなかったことに、想定していなかった話に、

 気持ちがついていけなかった。

 

「人生が変わる話だから。

 今すぐには……答えられない」


「少しだけ、考える時間をもらっていいかな?」


 エリシアはほっとしたように笑った。


「もちろんです」


 その笑顔には、

 安堵も、寂しさも混ざっていた。


「ありがとうございます。

 どんなお返事でも、私は受け止めます」


 モニターが少しだけ薄暗くなった。


「申し訳ありません……そろそろ魔力が……」

「うん。改めて、返事をさせてもらう」

「はい。ではまた」


 画面越しに手を振り合う。


「おやすみ、エリシア」

「おやすみなさい、陽太さん」


 モニターが暗くなり、

 いつものデスクトップ画面に戻った。


 静かな部屋。


 天井を仰ぎ、そのまま動けなくなった。

 

 異世界。

 エリシア。

 召喚。


 このまま、普通に就職して、家庭を築いて。

 これから歩むはずだったごく普通の人生。


 一方で、帰れる保証のない異世界で、

 エリシアの隣に立つという選択。


 恋愛や就職なんて話ではない。

 家族。

 自分の人生。


 すべてに関わる大きな決断だった。



「……俺は、どうしたい」


 誰に聞くでもなく、小さく呟いた。


 窓の外には、

 いつもと変わらない、日本の夜空が広がっている。


 逃げるような答えだけは、出したくない。

 それだけは偽りの無い気持ちで、間違いのないものだった。

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