第50話 言い出せなかった想い
午後十時。
淡い青い光が、ノートパソコンのモニターからあふれ出す。
こうして、二人きりで話す時間も、少しずつ日常になりつつあった。
◇ ◇ ◇
「こんばんは、陽太さん」
「こんばんは、エリシア」
自然な笑顔。
最初の頃の緊張は、もうほとんど残っていない。
「エリシア、と呼んでくださるの、慣れてきましたね。
配信でのエリシア『様』は、いつやめていただけるんですか?」
「いや、文字だと、みんなが見てるから……」
「気にされなくてもいいのに」
エリシアが少しだけ、頬を膨らませる。
「確か、今日は大学だったんですよね?」
「うん。面接もあって」
「お疲れさまでした」
エリシアは少しだけ眉を下げる。
「働く場所をご自分で選ぶというのは、
やはり大変なのですね」
「簡単じゃないね」
陽太は笑う。
「でも、少しずつ前に進んでるよ」
「それは良かったです」
その言葉を聞いて、エリシアも安心したように微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「そういえば」
陽太が思い出したように話し始める。
「この前の議会、大変だったんじゃない?」
エリシアは少し驚く。
「皆様のおかげで、色々なことが前に進みました」
「エリシアが頑張った結果だよ」
「ふふ」
嬉しそうに笑う。
「でも、少しだけ緊張しました」
「少しだけ?」
「……少しでは、なかったかもしれません」
二人で笑う。
陽太は真っ直ぐ画面を見る。
「ちゃんと伝わってると思うよ」
「ありがとうございます」
その一言だけで十分だった。
◇ ◇ ◇
「陽太さん」
「ん?」
「最近、お忙しそうですが、お身体は大丈夫ですか?」
「ありがとう。心配してくれるんだ」
「もちろんです」
即答だった。
「無理をして、倒れてしまっては困ります。
私は、そちらには行けませんので」
「……」
考えないようにしても、時折、当たり前の現実を突きつけられる。
「ちゃんと眠っていますか?」
「それは……」
「眠っていませんね?」
「ばれた」
「もう」
エリシアが、少しだけ呆れたように笑う。
「睡眠は、とても大切なのですよ?」
「エリシアに言われると反論できないな」
「え?」
「いつも働きすぎだから」
「あ……」
今度はエリシアが黙る番だった。
「……はい」
小さく笑ってしまう。
「私も気を付けます」
◇ ◇ ◇
沈黙。
けれど、不思議と気まずさはない。
画面越しに、お互いの表情を眺めるだけの時間。
「……」
「……」
「なんだろう」
陽太が笑う。
「話してなくても、落ち着くね」
エリシアは少し目を丸くして。
やがて、優しく笑った。
「はい」
小さく頷く。
「私も同じことを考えておりました」
その言葉だけで、陽太の胸が温かくなった。
「そうだ」
陽太が窓の外を見る。
「こっちはもうすぐ夏なんだ」
「夏……」
「暑いよ」
「こちらは、もうだいぶ過ごしやすい季節です」
「同じ時間でも、季節は違うんだね」
「ええ」
エリシアは夜空を見上げる。
「同じ星が見えているのでしょうか」
陽太も空を見る。
「どうなんだろう」
「分かりません」
二人で笑った。
「ですが」
エリシアは静かに続ける。
「もし同じでしたら」
少し照れながら。
「近く感じられます」
陽太の鼓動が少しだけ速くなる。
「……そうだね」
◇ ◇ ◇
時間は、あっという間だった。
通信装置の光が、少しずつ弱くなっていく。
「もう終わりですね」
「うん」
少しだけ寂しい。
それは、お互い同じだった。
「あの、陽太さん」
エリシアは一瞬だけ言葉を止める。
(今なら。今、お伝えすれば)
一番大事なこと。
頭の中では、何度も練習してきた。
けれど。
もし、彼を困らせてしまったら。
もし、拒否されてしまったら。
とても怖い。
今、陽太は、今後の人生を決める、重要な時期を過ごしている。
そんな時に。
(自分勝手なことを言えるはずがない)
陽太の穏やかな笑顔を見ると。
言葉が、どうしても出てこなかった。
「……また」
ようやく出た言葉は――
「また、お話ししてください」
それだけだった。
陽太は優しく笑う。
「もちろん」
「約束ですよ?」
「約束」
エリシアも、少し無理をして笑う。
その笑顔の奥に、少しだけ寂しさを隠したまま。
◇ ◇ ◇
通信が切れる。
静かな部屋。
エリシアは思わず顔を押さえた。
「……また、言えませんでした」
机の上には、一枚の紙。
『陽太さんへ。大事なお話があります』
自身で書いた文字を見つめる。
そっと紙を閉じると、小さくため息をつく。
「次こそは……」
そう、自分に言い聞かせることしかできなかった。




