第44話 画面越しの二人
午後十時前。
陽太は、十五分前からノートパソコンに向き合っていた。
アイコンが散らかったままのデスクトップ画面をじっと見つめる。
(……緊張する)
前回は、短時間の、声だけのやり取りになった。
今回は本当に上手くいくのだろうか。
胸が落ち着かない。
そして。
時計が午後十時を示す。
モニターが暗転した。
故障かと思ったが、画面の中央から
淡い青い光がゆっくりと広がっていく。
そして――
◇ ◇ ◇
王城の、配信に使っているエリシアの私室。
魔法局から譲り受けた銀色の円盤に、両手を向けて魔力を込める。
身体から力が抜けていく感覚に襲われるが、前回程ではない。
すぐに、陽太の端末を、円盤越しに通信術式が捕捉した。
そして――
さっぱりとした黒髪に、すっきりとした涼しげな目元。
どこか落ち着いた雰囲気を纏った青年が映っていた。
こちらを少し緊張した面持ちで見つめている。
(……この方が)
太陽様。
エリシアは、思わず息を呑んだ。
ほとんど同じ年齢だとは聞いていた。
画面越しに目が合った瞬間、彼の表情がふわりとほぐれ、照れくさそうに目元を緩めた。
そのあまりにも優しげな笑顔に、胸が跳ねる。
想像していたよりも。
ずっと、ずっと素敵な方だった。
(……お会いできた)
自然と胸が温かくなる。
画面越しなのに。
不思議と、初めて見た気がしなかった。
「……こんばんは、太陽様」
ようやく声を掛けると、青年も少し照れたように笑う。
「こんばんは」
少し低めの、けれど耳に心地よく響く、落ち着く、穏やかな声。
エリシアの胸の奥で、何かがふわりとほどけた。
(よかった)
本当に、よかった。
この方が、太陽様で――
◇ ◇ ◇
画面の向こう。
いつもの配信部屋。
エリシアが、少しだけ緊張した表情でこちらを見ている。
そして。
目が合った。
「……こんばんは、太陽様」
思わず笑みがこぼれる。
「こんばんは」
その瞬間。
エリシアの表情も、ほっと柔らかくなった。
「今回は、お互いに映像も音声も届いてますね!」
「本当に成功したんですね」
「はい!」
嬉しそうに頷く。
「魔法局の皆様が、本当に頑張ってくださいました」
まるで、薄いガラスを隔てているだけのように
映像は鮮明だった。
銀色の髪が、ロウソクが生み出した照明に照らされ、ゆらめき、柔らかく輝く。
青い瞳まで、はっきりと見える。
陽太は思わず見惚れてしまった。
「あの……どうかされましたか?」
「あっ、いえ!」
慌てて視線を逸らす。
「前よりずっと綺麗に映るなと思って」
「……そうでしょうか?」
エリシアが、少し照れたように笑う。
「魔法局の皆様へお伝えしますね。
きっと喜ばれると思います」
二人とも自然に笑った。
緊張感は瞬く間に解きほぐされ、
実験という名目も忘れ、普通に会話をしていた。
◇ ◇ ◇
「大学はいかがですか?」
「就職活動が始まって、少し忙しくなってきました。
先日は相談に乗っていただいてありがとうございました」
「働く場所を、ご自分で選ばれるのですよね」
エリシアは興味深そうに聞く。
「はい。会社を複数受けて、自分に合うところを探しますね」
「不思議です」
少し考え込む。
「こちらでは、家業を継ぐことがほとんどですから」
「そうなんですか」
「ええ」
そんな他愛もない話が続く。
配信では聞けないこと。
二人きりだから話せること。
時間はあっという間に過ぎていった。
◇ ◇ ◇
ふと。
エリシアが少しだけ真剣な表情になった。
「あの、太陽様」
「なんでしょう?」
少しだけ言いにくそうに微笑む。
「以前から、お伝えしたいと思っていたことがあります」
陽太は姿勢を正した。
「もっと……親しくお話しできたら……とても嬉しいです」
一度、大きく深呼吸をして。
「ですので……」
少しだけ照れながら。
「私のことは、どうぞ『エリシア』と呼んでください」
陽太の思考が止まる。
「えっ……え?」
「いつまでも『エリシア様』では、少し寂しいです」
柔らかく笑う。
「そして、これからも、たくさんお話ししたいと思っております」
陽太は困ったように笑った。
「でも、それは失礼なんじゃ……」
「全く失礼ではありません」
即答だった。
そして、優しく首を振る。
「私が、太陽様に、そう呼んでいただきたいのです」
その瞳は真っ直ぐに陽太を射抜いた。
断れる空気ではない。
「……わかりました」
「ありがとうございます」
エリシアが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ていると、陽太まで嬉しく温かい気持ちに包まれた。
エリシアが少し首を傾げた。
「太陽様のお名前は、本当に、太陽様というお名前ではないのですよね?
確か……ハンドルネーム?」
ノートから当時のメモを探すエリシアに、
陽太は苦笑した。
「もし差し支えなければ、本当のお名前を教えていただけませんか?」
少しだけ恥ずかしかった。
けれど、エリシアになら、隠す必要はない。
「……陽太です」
「陽太、様」
その名前を、大切に確かめるように口にする。
思わず照れてしまう。
「あの……俺も、『様』はいりません。
エリシア様の方が立場は上ですし」
エリシアは目を丸くした。
そして。
くすっと、悪戯っぽく微笑む。
「先ほど、『様』は無しで、とお伝えしましたよね?」
「あ……」
陽太は少しだけ息を吸った。
「……エ、エリシア」
その一言だけで顔が熱くなる。
画面の向こう。
エリシアは、花が咲いたような笑顔になった。
「はい!」
そして優しく。
「陽太さん」
鼓膜を揺らしたその響きが、あまりにも甘くて、
陽太の心臓は、うるさいほどの音を立てていた。
◇ ◇ ◇
気付けば、三十分近く話していた。
アルヴェイン王国のこと。
大学のこと。
日本の話。
初めて顔を見て話したとは思えないほど、自然な時間だった。
ただ、エリシアの呼吸が、ほんの少しだけ浅くなっている。
「……エリシア?」
「はい、陽太さん」
「少し疲れてない?」
陽太が心配そうに声を掛ける。
エリシアは微笑んで首を振った。
「大丈夫です」
けれど、その笑顔には少しだけ疲れが見えていた。
「やはり、魔力の消耗は大きいようですね」
小さく息を吐き、苦笑する。
「魔法局の皆様にも、まだ改良の余地があると言われております」
陽太は少しだけ安心したように笑った。
「無理はしないでください」
「はい」
その返事も優しかった。
少しだけ沈黙が流れる。
画面越し。
もうすぐ、この時間も終わる。
エリシアは少し名残惜しそうに、陽太を見つめた。
「……陽太さん」
「はい」
「本日は、本当にありがとうございました」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「皆様との配信も、楽しい時間ですが……。
こうして、お顔を見ながらお話しする時間も、とても楽しかったです」
陽太も自然と笑みを浮かべた。
「俺もです」
エリシアは嬉しそうに頷く。
そして、そっと右手を持ち上げた。
画面へ向かって。
ゆっくりと。
まるで、陽太の頬へ触れるように。
もちろん、指先が届くことはない。
ガラスのような光の膜を撫でるだけだった。
「……」
エリシアは少し寂しそうに笑う。
「やはり、触れることはできませんね」
陽太も、画面へ左手を伸ばした。
お互いに、自然と手のひらを重ね合う。
重なるように見えても。
その間には、決して越えられない世界の壁があった。
「陽太さんの手、大きいのですね」
エリシアが優しく微笑む。
大きくて、すらりと指の長い男の人の手。
画面越しなのに、その節ばった指先に触れてみたくなる。
「いつか」
エリシアが小さく呟く。
「いつか、本当にお会いできたなら……」
その続きを、彼女は言わなかった。
陽太も、何も言えなかった。
静かな沈黙。
その空気を破ったのは、
エリシアからの問いかけだった。
「……また、お付き合いいただけますか?」
陽太は迷わなかった。
「ええ、もちろん」
その返事に、エリシアの表情がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます」
嬉しそうに微笑んでから、
「皆様とも、またお話ししたいですし」
少しだけ悪戯っぽく笑った。
「『実験』、またお誘いさせていただきますね」
二人は顔を見合わせて笑う。
その笑顔だけで十分だった。
拡張具の光が、ゆっくりと弱くなっていく。
「では、また。
陽太さん、おやすみなさい」
「エリシア、おやすみなさい」
最後にもう一度だけ、お互いへ手を振る。
次の瞬間。
青白い光が静かに消えた。
部屋には静寂だけが残る。
エリシアはしばらく、その消えた光を見つめていた。
そして、誰にも聞こえない小さな声で呟く。
「……また、お話ししたいです。陽太さん」
配信では見せたことのない笑顔で。
遠く離れた異世界。
決して、触れることはできない。
それでも今日、二人の距離は、確かに近づいた。




