第38話 陛下の横顔
朝。
王城、執務室。
机の上には、今日も書類が積み上がっていた。
「こちら魔法局からです」
「ありがとうございます」
エリシアは文官から書類を受け取り、すぐに目を通し始める。
橋の進捗。
税制。
北部の復興。
確認すべきことに終わりはない。
「陛下」
マリアがお茶を置いた。
「少しお休みになってはいかがでしょうか」
エリシアは書類から目を離さない。
「ありがとう。あと少しだけ」
その返事に、マリアは小さく微笑む。
この言葉も、もう聞き慣れていた。
◇ ◇ ◇
昼。
各局との会議が二回。
視察の報告。
夕方。
北部復興局、局長と補佐官との打ち合わせ。
気が付けば、窓の外は暗くなっていた。
それでもエリシアは机へ向かったままだ。
誰よりも働く王。
王になる前から、勤勉な方だった。
その姿はいつまでも変わらなかった。
◇ ◇ ◇
午後九時五十分。
マリアは執務室の扉を静かに開ける。
「陛下、そろそろお時間ですが」
「もう、そんなに経ちましたか」
エリシアは顔を上げる。
さっきまで疲れた表情をしていたはずなのに。
魔道時計を見た瞬間、表情が柔らかくなった。
「ありがとうございます」
立ち上がる足取りは、ほんの少しだけ軽い。
配信用の別室へと向かう姿を見送りながら、マリアは思う。
(最近、この時間になると楽しそうですね)
◇ ◇ ◇
配信が始まる。
マリアは部屋の外で待機していた。
エリシアには、待たなくていいと言われている。
それでも。
扉越しに聞こえる穏やかな声が、
不思議とマリアをそうさせなかった。
「皆様、こんばんは」
その声は、昼間の声とは違う。
柔らかく、自然だった。
時折、小さく笑う声まで聞こえてくる。
コメントを読んでいるのだろう。
以前のエリシアなら考えられなかったことだった。
◇ ◇ ◇
一時間後。
配信が終わる。
マリアが、タイミングを計ったかのように、
お茶を淹れて部屋へ入る。
「陛下、お疲れ様でした」
「ありがとう」
椅子へ腰掛けたエリシアは、大きく息を吐いた。
「今日も、皆様からたくさん教えていただきました」
そう言って笑う。
疲れ切った笑顔ではない。
どこか満たされたような笑顔だった。
「陛下」
「はい?」
「最近、楽しそうですね」
エリシアは少し驚いたように目を丸くした。
「……そう見えますか?」
「はい」
マリアは静かに頷く。
「以前は、お一人ですべてを抱えておられました」
エリシアは黙って聞いている。
「何か決断をされる時も、
何度もお一人で悩まれていました」
お茶をそっと机へ置く。
「最近は違います」
エリシアは少しだけ照れくさそうに笑った。
「皆様がいますから。
配信では、色々な考え方を教えていただけます」
少し窓の外を見る。
「もちろん最後に決めるのは私です。
ですが――」
小さく微笑む。
「一人ではないと思えるだけで、
支えてくださる方がいてくれると思えるだけで、
こんなにも、心が軽くなるのかと」
マリアは静かに頷いた。
「それは、とても良いことです」
エリシアも頷く。
「ええ」
一口、お茶を飲む。
ふと笑みがこぼれた。
「それに、皆様とお話しする時間は、とても楽しいのです」
その言葉は、少し照れくさそうだった。
マリアもつられて微笑む。
「そう仰ると思っておりましたが……
本当に、『皆様』だけでしょうか?」
「え?」
「他の理由もあるのではないのですか?」
「ちょっと、もう……」
エリシアは横を向き、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
その横顔は、王ではなく、等身大の、年頃の女性でしかなかった。
「……分かりやすいでしょうか」
「ええ」
即答だった。
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
◇ ◇ ◇
その夜。
執務室の灯りは、いつもより少しだけ長く灯っていた。
けれど、マリアはもう心配していなかった。
以前の陛下は、一人で国を背負っていた。
今は違う。
画面の向こうには、顔も名前も知らない人々がいる。
そして。
毎晩、欠かさず応援し続けてくれている、最古参もいる。
(陛下の大きな支えになっているとは、自覚していないのでしょうけどね)
マリアは、星の広がる、澄んだ夜空を見上げた。




