第36話 地方の現実
翌日。
執務室。
エリシアは、机の上に広げた資料を静かに見つめていた。
学校。
子どもたちへ文字や数字を教える場所。
昨夜から、そのことばかり考えている。
小さく息をつく。
「まだまだ知らないことがたくさんありますね」
知識はある。
けれど、この国で本当に必要な形が何かまでは分からない。
しばらく考えたあと、顔を上げた。
「マリア」
「はい」
「今回採用した補佐官の中に、教育へ携わってこられた方がおられましたね」
「はい。地方で長年、読み書きを教えてこられた方がお一人」
「お時間をいただけるようお願いしてください」
「かしこまりました」
◇ ◇ ◇
しばらくして、一人の男性が執務室へ入ってきた。
五十代ほどだろうか、白髪交じりに無精ひげ。
贅肉がそぎ落とされたがっしりとした体型が、
質素な服装の上からでもはっきりと認識できる。
「お呼びいただきありがとうございます。
アルドと申します」
深く一礼する。
「本日は北部の学校と教育について、お話を伺いたく」
エリシアは席を勧めた。
「文字が読めない方がいらっしゃると。
学校を建てようと考えているのですが、
率直なお考えを聞かせてください」
アルドは静かに頷く。
「それでは……失礼を承知で申し上げます」
一拍置いた。
「学校を建てても、おそらく子どもたちは来ません」
部屋が静まり返る。
「……来ない、のですか」
「はい」
アルドは迷わず答えた。
「理由は単純です。
子どもたちは働いております」
エリシアは思わず聞き返した。
「毎日ですか」
「毎日です」
静かな返答だった。
「羊の世話。薪拾い。畑仕事。
家によって事情は違いますが」
アルドは視線を少しだけ落とす。
「子どもも立派な働き手です」
エリシアは言葉を失った。
「私は……」
学校へ行くことが当然だと思っていた。
だが、その当然は、王国全土に存在するわけではなかった。
「もしよろしければ」
アルドが静かに言う。
「一度、村をご覧になりますか」
「是非、お願いします」
◇ ◇ ◇
数日後。
北部の村。
エリシアは護衛とアルドを伴い、村の中を歩いていた。
朝だというのに、村は活発だ。
大人たちだけではない。
十歳ほどの少年が羊を追い、
少女は、桶を抱えて井戸へ向かう。
さらに幼い子どもまで、薪を抱えて歩いていた。
「遊んでいる子が……いません」
思わず漏れる。
「朝は皆、仕事があります」
アルドが答える。
「仕事が早く終われば遊べます。
ですが、大体、日暮れの後ですね」
想像していた姿とは、まるで違っていた。
畑仕事がひと段落した一人の農夫を見つけ、
エリシアは声をかけた。
「お仕事が大変なところ失礼いたします。
少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
農夫は慌てて頭を下げた。
「これはこれは陛下。このような辺鄙なところまで。
もちろんですとも」
「お子さまは今どちらへ?」
「ああ、せがれは出荷作業に行っております。
連れてきましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です。
お子さまは……学校へ通いたいと思ってたりはしませんか?」
農夫は少し困ったように笑った。
「……そりゃあ、思いますよ」
その答えは意外だった。
「文字が読めれば便利でしょう。
計算もできた方がいい。
できることなら学ばせたいです」
エリシアの表情が少し明るくなる。
「ですが」
農夫は静かに続けた。
「学校へ行く半日があれば、その半日で畑を耕せます」
風が吹いた。
「子どもに勉強をさせたくない親は、一人もいません。
そうすれば、こんな苦労は……きっとさせなくても良くなります。
字が読めて書けるようになれば、王都で働けるかもしれません。
それよりも……」
農夫はどこか申し訳なさそうに、畑を見つめた。
「毎日、家族を食べさせていかなければなりません。
陛下。どうか、子ども達に未来をください」
エリシアは何も言えず、拳を強く、静かに握りしめた。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車。
窓の外には夕日に染まる村が流れていく。
「私は」
エリシアが静かに口を開く。
「学校さえ建てれば良いと思っていました」
アルドは何も言わず耳を傾ける。
「私は、学校へ来られない理由が、
正しく認識できていませんでした」
「陛下」
アルドは穏やかに微笑んだ。
「だからこそ、今日ここへ来られた意味があります」
エリシアはゆっくり頷く。
「まず、国を、民を知ること。
それが、王の仕事なのですね」
夕日に照らされた村を見つめながら、エリシアは静かに心へ刻む。
学校を建てることは、目的ではない。
子どもたちが学べる未来を作ること。
そのために何が必要なのか。
エリシアは、自らに問い続けていた。




