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15/21

第15話 王様にも予定はある

 その日は、朝から雨だった。


 執務室の窓を打つ雨音が、いつもより大きく聞こえる。


「北部街道沿いの河川が増水しており、危険な状態です」

 報告に来た文官が頭を下げる。

 エリシアは資料へ目を落とした。


 ここ数日の雨。山間部ではさらに強く降っているらしい。


「被害は?」

「現時点ではありません。

 ですが、このまま降り続けば氾濫の可能性があります」


 朝一番の報告は、それだった。

 昼前には追加の報告が届く。


「堤防の一部が崩れました!」


 会議室の空気が変わる。

 商務官が顔をしかめた。


「規模は?」

「小規模ですが、周辺農地への浸水が始まっています」


 地図が広げられる。

 北部の、川沿いの村。

 エリシアは立ち上がった。


「避難誘導を」

「既に開始しております」

「備蓄倉庫は」

「使用可能です」


 矢継ぎ早に確認する。

 次々と飛び込んでくる報告。


 確認、判断、指示。


 それの繰り返しだった。

 気付けば夕方になっていた。


 机の上には新しい資料が積み上がっている。


「こちらもお願いします」


 さらに書類が追加された。

 エリシアは小さく息を吐く。


 疲れていないわけではない。

 けれど、止まるわけにもいかなかった。


 王の務めだ。


 窓の外はすっかり暗くなっていた。

 時計代わりの砂時計が静かに落ちていく。


 側近が言った。


「浸水地域の住民移動が完了しました」


 少しだけ安堵する。

 最悪の事態は避けられそうだった。

 だが、終わりではない。


 被害の確認と被災者への支援、復旧計画。

 むしろこれからが本番だ。


「続けましょう」


 エリシアは資料を開いた。

 その時だった。


「エリシア様」

 マリアが控えめに声を掛ける。


「何でしょう」

「そろそろ、いつものご予定のお時間ですが」


 エリシアは一瞬だけ動きを止めた。


 壁に掛けられた魔導時計は、

 まもなく午後十時を差そうとしている。


 小さく息を呑む。

 知らない世界の、知らない人たちと。

 毎晩訪れる、ひとときの夢のような時間。


 勉強会。

 相談会。

 友達について教えてもらった日もあった。

 水族館という場所を知った日もあった。

 おつ王、と呼ばれて困った日もあった。


 思い出して、自分でも少し驚く。

 ほんの数週間前まで存在しなかった時間なのに。

 今では当たり前のように生活の中にある。


 マリアが心配そうに見ている。


「本日は……」


 言葉を探す。

 答えは決まっていた。


「難しそうですね」


 小さく微笑む。


「承知いたしました」


 マリアはそれ以上何も聞かなかった。

 ただ、静かに頭を下げ、後ろに控える。


 会議は続いた。


 被害地域への支援。

 橋梁の安全確認。

 街道の復旧。


 次々と議題が出てくる。

 誰も休まない。


 皆が必死だった。

 気付けば深夜。


 執務室から人がいなくなった頃には、

 窓の外の雨も弱まっていた。


 静寂が戻る。

 エリシアはようやく椅子にもたれた。


「一旦、終わりましたか……」


 誰に言うでもなく呟く。

 身体が重い。


 けれど、少しだけ気になる。


 今頃、あちらではどうなっているのだろう。

 待っていた人もいたかもしれない。

 心配した人もいたかもしれない。

 そんなことを考える自分に、 少しだけ苦笑する。


 机の端には一冊のノート。

 ページを一枚めくる。


 橋。

 税。

 友達。

 水族館。

 荒らし。

 ガチ王。


 様々な言葉が並んでいた。

 何気ない言葉ばかりだ。


 けれど、不思議と力をもらえる言葉でもあった。


 「ちょっとだけなら…」

 小さく呟く。

 誰に向けた言葉でもない。


 壁に向け、魔力を籠める。

 あちらの世界には、誰もいないはずなのに。

 それでも、少しだけ期待してしまう自分がいた。

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