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第3章:シュレディンガーの箱に秘めるモノ 2

 壊れるような心の音を抑えながら久しぶりにアスファルトの上を全力で走っていた。

 先週、引っ越してきた時よりも気温は高くなっていてすぐに息が切れてしまいそうになるけれど、この足だけは止められないと思っていた。

 溢れるな涙。

 挫けるな私。

 今はただ、先輩の元に行くんだ。


 最寄駅に着いてからは辺りを見渡しつつ隠れるように行動した。

 いつチャージしたかも分からないICカードの残高を確認してみると三千円分も入っていた。

 中学時代の三年近く通っていたフリースクール、その乗り換え駅でもあった北千住駅に先輩はいる。

 草加駅からは一本だったので迷うことなく到着出来た。

 道中電車に揺られている間も周囲からの視線が気になって物凄く長い時間に感じられたけれど、降りてからもさほど変わらず心細い。

 そう思っているとスマホが激しく振動し出し、慌てて先輩からの着信に応答した。

「今、北千住にいます」

『たまに寄ったりしてたファミレス覚えてる?』

「はい」

『じゃあ、そこまで来れる?』

「すぐ行きます」

 久しぶりに都内に出て、久しぶりに人と会話して。心臓の音がいつもよりうるさくて。

 ぐちゃぐちゃに丸められた紙クズのような、くたびれた感情の皺を少しずつ伸ばしながら懸命に歩き、先輩の待つファミレスへと辿り着いた。

 私は一度深呼吸をしてから足を踏みれる。

 中に入って辺りを見渡すと先輩の金髪頭が目立っていて、言い方が悪いけれど目印のようだった。

 合流できそうなことに安堵をしつつも、先輩のいる座席には私の知らない人もいて途端に足がすくんだ。

 でも、私の方から『会いたい』と連絡して時間を作ってくれたというにここで引き返すわけにもいかず、意を決して声を出した。

「先輩」

 自分でもびっくりするくらいに小さな声だった。

 先輩は私に気が付いて、ニカっとお日様みたいな笑みを浮かべてくれた。

 その表情が見られて相変わらずだなと思わされていると、二人の前の座席に座るよう促され腰を下ろした。

 その時、先輩の横に座る女性が東陵高校の制服を着ていることに気が付き、思わず会釈をした。

 学校に行けていないくせに後輩マインドがあるなんて笑えてしまう。

「え〜と。初めまして。茜の友達の七海紗季です」

 先に名乗らせてしまったことに慌てながら私も名乗る。

「日暮真桜です。茜先輩にはフリースクールの時に良くしてもらって」

 不完全にも先輩との関係を話すと、七海さんはにこやかで可愛らしい笑みを浮かべ「うん聞いてるよ」と返答した。

 人を見かけで判断してはいけないなんてよく聞くけれど、それは迷信だ。目の前にいるこの人が善良な人でないのならこの世には悪しかいない。そう確信させるほどの柔らかく温かいオーラが滲み出ていた。

 先輩が「それで」と話を切り出した。

「真桜は何があった? 突然、会いたいって言い出すから驚いて電話しちゃったじゃん」

「ごめんさい」

 先輩は私の謝罪が嫌いだったということを忘れていた。

 つまらない映画でも見ている時のような視線を向けられてから話を戻される。

「何があったのか聞いてるの! すぐ謝るその癖治ってないね。まあすぐには無理か」

 自己完結されたのがちょっぴり悔しかったけれど事実である以上何も言い返すことができない。

 私は、先ほど起きたことを赤裸々に語る。

 太陽さんが学校から帰ってくるや暗い表情をしていて、心配していたんだけど。突然私の過去に起きた『いじめ』というワードを耳にして驚いてしまったこと。

 その時に出てきた名前から情報の出所を知って怖くなってしまったこと。

 そして私が入学式当日、学校にまで行っておきながら引き返した理由なんかも個人名を避けて大体話した。

 ダラダラと話すのは二人に失礼だから、起きたこと感じたことを淡々と話して、ひと段落着いた時に七海さんが「ドリンク行こうか」と言った。

「あ、あの。私ドリンクバー頼んでないです」

「もう、追加してるから合法だよ?」

「はい」

 私たちは仲良く白ぶどうジュースをグラスに注いで再び席に戻って喉を潤した。

 ほんのり香るぶどうの匂いが身心的なリラックス効果を生んでいると勝手に思い込んでしまうくらいに安定剤の役割を担っていた。

 そして、私の話を聞き終えた先輩が口を開く。

「まず、紗季がいるって言い忘れててごめん。あと、ここで一緒に話聞く流れにしたのもごめん。家庭の問題で今はお父さんの再婚相手の家にいる話も事前に言っててごめん。東陵高校の一年生ってのもバラしててごめん。あと他には何かあったかな」

 情報が筒抜けすぎて逆に怒る気すら湧かずにいると、七海さんがイタズラな笑みを浮かべて「金髪にしたこととかじゃん?」と呟いた。

「あーそうか、金髪にしてごめん。って、真桜と出会った頃から金髪だわ。あんたにはもう謝ったじゃん。謝る意味すら分からなかったけど」

「ふふっ。まあまあ、そんな軽い謝罪なら何回しても意味ないから多めにしといた方がいいよ」

「紗季、あんた中学の時より性格悪くない?」

「そうかな? でも、もしそうなんだとしたら…太陽君のせいだね」

 二人のじゃれ合いを見せられて私には関係のない世界が広がっているんだな、と置いてけぼりになっていると七海さんの口から太陽さんの名前が出て心臓がドクンと脈打った。

 先輩がすかさず私に向けて話し出す。

「ちなみに紗季は真桜と暮らしてる太陽君の知り合いで」

 そんなことまで話しちゃってるんだ。

「知り合いというか、秘密の空気感を共有しあうような。言葉じゃ説明できない親密な仲かな」

「だから、それが意味分からないんだって。なに、もしかして付き合ってんの?」

「付き合ってはいない」

 この人は、太陽さんに対して特別な感情を抱いているんだ。

 そこに恋心的にな感情があるのかどうかまでは私に分からないけれど、他人が踏み込むことのできない素敵な関係を築いていったんだろう。

 いいな。

「もう、私のことはいいから。真桜ちゃんの話!」

 七海さんが本題に戻してくれると先輩がすかさず入り込んできた。

「んで、雨宮太陽にいじめを深掘りされて嫌いにでもなったか!」

 その瞬間に七海さんが「それはない」と断言した。

 なんで七海さんがムキになるんだろうと思いつつ、私も何度も頷いて先輩を否定し口を開く。

「太陽さん。私がいじめに遭ってmそれが原因で不登校になって今に至ることを知ってしまって」

 私の言葉に七海さんは真剣に向き合ってくれた。

「過去のことを知られるのが嫌だったの?」

 言われてみて考えたけれど、仮にも家族になった人に過去を知られて嫌だなんて思わない。短い付き合いだけど私と向き合おうとしてくれた人に言えないことなんて何もない。

「私は。背中を押して欲しかったのかもしれないです」

「うん」

「遅くとも来週には頑張って復帰するつもりでお父さんにも連絡してて、喜んでくれた。だから太陽さんにも喜んでもらいたくて伝えたつもりだったのに。何故か、急いで復学しなくていいって否定されたんです。最後に、突き落とすように私をいじめたグループのリーダー的存在の子が私のクラスにいるって」

「うんー。でも、あれだね。それは太陽君の優しさだと思うよ」

「優しさですか」

「せっかくの想いで復帰してもまた心を折られるかもしれない。或いは、我慢して生活していくことになるかもしれない。そういうリスクを抱えた復学なんだと知ってしまったから。世の中には学校なんていくらでもあって安全な選択が転がってるのにリスクを取る必要はないじゃない? って私も思うけどね」

「そ、それは…はい」

「そもそも、真桜ちゃんはなんで東陵を選んだの?」

 一番訊かれたくない質問だった。

 この質問の答えを知っているのは私と先輩の二人だけだ。

「紗季、それは別にいいんじゃないかな」

「良くない。というか、少し腹が立ったから訊くんだけど、太陽君の家族の前で一切話さないって本当の話なの?」

 語気を強めた七海さんに気圧されて小さく頷くくらいしか反応出来ずにいた。すると、七海さんから出ていた温かなオーラは一変していった。

 もう顔すら見れないけど目の前にいるこの人が怒りを露わにしていることくらい感じ取れる。

「あなたには言葉も声もある。今こうして普通に話せるのに家族と会話をしないのは逃げているだけだよ。自分を一生大切にしてくれる人達とすら向き合えてない甘ちゃんが当時のいじめっ子グループのリーダーとどう向き合うの?」

「紗季…もうそのくらいに」

「太陽君に突き放されたとか背中押して欲しかったとか。全部他人任せじゃない。突き放されたのならしがみつくの。背中押して欲しかったら行動で応援させるの。来週には復学しますとかいつかこうしますとか、そんなふわっとした言葉を信じて応援できるわけないでしょ。復学するために今はこれをやってます。これだけ準備して臨みます。そうやって黙らせるの」

 七海さんの言っていることは正しい。

 誰もが憧れるような物語のヒロインみたいな輝かしく正義を語り体現できるような人なんだろう。

 でも。

 それを私にまで押し付けないでほしい。全ての人があなたのように強くあれるものだと思わないでほしい。

 私だって、七海さんのように生きられるのなら…。

 醜く溢れそうになる涙を堪えていると、フッと吐く息の音が聞こえてきた。

「って、色々偉そうなことは言ったけどね。太陽君がいなけらば今こうして前向いてないんだよね、私も」

 顔を上げた先で七海さんはどこか気まずそうに笑みを浮かべていた。

「真桜ちゃんと同じとは言わないまでも、似たようなことになった時期があるの。期間にして二週間くらいかな? 学校に行かなかったのは」

 こんな人にもそんな時期あるのかと、驚いているとすぐ横に座っている先輩が一番驚いているものだから私は静観した。

「えっ。こんなに強心臓な紗季が?」

 七海さんは自分自身を嘲笑するように話し出す。

「女子の色恋に巻き込まれちゃってね。そこに母さんが入院したりとか色々重なったりして、もう学校やめようかなって思ったんだよね。それこそ、定時制の学校とか選択は無数にあるから。でもそんな時にね、偶々委員会とかで少しばかりの交流があった太陽君が母さんの病室にやってきたの!」

「うげっ。ストーカーじゃん」

「あはは。確かにそうだね。当時の私も同じこと思ったよ。異性の気持ち悪い下心とか同性からの嫉妬に苦しめられてた時だから余計にね。でも、なんていうのかな、あの子って怖いくらいに頭が悪いんだよね」

「太陽さんは頭悪いように見えないですけど」

 私が言うと七海さんはニヤリと笑みを浮かべて話を続けた。

「雨宮太陽って人は貪欲で傲慢で夢見がちで恐ろしいほどの偽善者なんだよ」

「なんだよ。やっぱ変質者じゃん」

「んー少し違うね。善人ってさ誰かにとっては悪人で。スポーツとかも敵と味方がいてどちらも正しく間違ってなんかいない。互いの正義がぶつかるから競い合うし、戦争だって起こってしまう。そうやって善と悪。光と闇。表裏が一体している世界を私たちは生きてる」

「なんかややこしくない? ねえ真桜そう思うよね?」

「先輩。聞きましょう」

 私には、七海さんから何かを得られるようなそんな予感がしていた。

 純粋に太陽さんのことをもっと知りたいと考えるようになってしまった。

「私はある程度のいざこざも犠牲も必要だと思うタイプなんだけど。それ事態は結構普通な考えだよね。でも、雨宮太陽って男はそう考えない。どちらも善ならばどちらもハッピーエンドじゃないと気が済まないんだろうね。超がつくほどのお人好しで、究極の八方美人。物語で描かれる正義のヒーローでさえも多少の犠牲は受け入れて強さの糧にするのに。彼は、本気で世界から戦争がなくなるって思ってるんだよ」

 七海さんは語りながらも終始笑いを堪えているようにも見えた。あまりにも楽しげに話しているからか私の心から悲観的な感情が影を潜めていった。

「それで、その太陽君はどうやって紗季を助けてくれたの?」

 先輩からの質問に七海さんが口元を緩ませながら話した。

「私と私を好きになった男子、それに嫉妬心を抱いた女子の三人の間に入ってそれぞれの想いを届け続けてくれた。最初は何度も追い返されただろうに、諦めなかったんだろうね。人には言葉があるからって。声にし続ければきっと分かってくれるって、自分を信じて。相手を信じて」

「そんなんでどうやって解決したわけ?」

「あー、うん。太陽君が告白されたの」

「「は?」」

 私と先輩の声が重なって、互いの顔を見合わせた。

 この状況に七海さんはあはははと愉快な笑い声を上げて再び口を開く。

「私に嫉妬してた女子が太陽君の熱にあてられたんだね。結局、この問題で一番の被害を被ったのは彼だったってわけ。その結果は少し気に食わなかったけど、こんなハッピーエンドがあるのならそれも良いなって思わない?」

 ドクン。ドクン。と静かに心臓がリズムを刻み始め、その音はどんどん大きくなり加速していく。

「私も、ハッピーエンドは大好きです」

「うん。大丈夫だよ。太陽君ならどんな声にも本気で向き合ってくれるから。まとまりきらない感情をぶつけて大丈夫。あなたのお兄さんになった人はそういう偽りのヒーローなんだ!」

「正直、まだ怖さはあるんですけど。もう後ろ向きでいたくないので。私なりの精一杯で向き合ってみます」

 ファミレスに来た時よりも軽い体で席を立ち上がると先輩が「ここは奢りだから」と早く行くように合図してくれた。

 私を見てくれた二人の先輩にできたこの恩を必ず返す。その日までに私は私の問題を乗り越えるんだ。

 二人に会釈をして立ち去ろうとした時、七海先輩が「待って」と声をかけてきたので足が止まる。

 振り返ると出会った時と同じ優しく温かな笑顔で尋ねられる。

「どうして東陵に来たいの?」

 さっきは答えられなかった。

 この質問の答えはあまりにも自分にとって分不相応なものに思えて、笑われるようなものだと考えて恥ずかしくなったから言えなかった。

 一度、否定されたことでもあったから。誰にも触れられたくないそんなモノでもあった。

「私……。文化祭で歌いたいんです」

 高鳴る胸を押さえながらも七海先輩の様子を伺うととびきりの笑顔で応えてくれる。

「いいね。じゃあ、今年の文化祭では一生記憶に残るような青に塗れた歌を頼むよ」

「意味分かんないです!」

 口元を緩ませながらも言い切ると七海先輩は今日一番の笑顔を見せて見送ってくれた。

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