第3章:シュレディンガーの箱に秘めるモノ(プロローグ)
『私は真桜のママじゃないから』
心臓を握りつぶすような、あるいは鋭利なもので突き刺すような言葉だった。
「また、思い出しちゃった……」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いてからスマホの画面に映る時刻を確認した。
まだ夜が明けない静かな時間。
カチカチ音を鳴らす秒針がいつもよりうるさく、そしてゆっくりと時を刻んでいるように感じる。
今日みたいに目が覚めてしまう日がたまにあって、そういう時は潔く起きないと思い出したくないことばかりを考えてしまう。
私は臆病で壊れかけた自分の心と向き合えない。だから逃げるように勉強をした。私が勉強をするのは何か言い訳が欲しいから。
気を紛らわせたいから。
でも、今はそんな逃げの勉強をやめてみようかな。
過去や自分の気持ちと向き合うのは怖いけど、変わりたいって思うから。
ベッドから起きて勉強道具の入った鞄から日記帳を手に取る。
この家に越してきてまだ二日だからか、他人のお家にお邪魔している感が強く落ち着かないけれど、この日記を綴っている時だけは自分一人と向き合える。
今日起きたこと、感じたことを思い返す。
日が変わってしまったから実質的には昨日のことなんだけど。私にとって凄く良いことがあった日だった。
雨宮円香さんとパパが再婚して、引っ越してきて太陽さんと出会ったのがもう五日ほど前。最初は少し怖い感じの人なのかなって感じがしたけど、彼はとても気遣ってメッセージでのやり取りもしてくれた。
越してきた日も終始私のことを気にしていて、その優しさに嬉しいと思える気持ち半分、疑う気持ち半分だった。
だから、私に何も訊かないの? と尋ねてしまった。
訊いたのは私なのに、いざ太陽さんからの質問が溢れ出てくると、怖くなって。
だけど『どうしたいの?』と聞かれて学校に行きたい気持ちを隠せなかった。誰かに話したかった。
それと、私の気持ちなんて関係なく学校に行ったとしても上手くやれないんだということも知って欲しかった。それなのにどんな反応されるのか想像して答え合わせを放棄するようにドアを閉めてしまった。
私はバカだ。
自分で自分の居場所を壊す行為をしている。
ドアを強く閉める行為とかじゃなく、私の本心を身近の人に知られる行為が私の居場所を奪う。
だから、私は口を塞いだ。
次にこの口で話すとき、きっと私の想像なんて超えていく何かが飛び出てしまうから。二度と開けられないびっくり箱のように想いは肥大していってる。
でも、昨日の朝。部屋を出た時に太陽さんと出会ってしまった。
どんな顔を見せれば良いのか分からなくて顔を隠すように会釈だけして階段を下りたんだけど、そんな私を彼が震える声で呼び止めた。
それから自分ごとみたいに必死な顔して、私の話を聞くからと言っていた。もう良いよって言われるまで全部聞くと言ってくれた。
この人はなんて真っ直ぐで情熱的な人なんだろうと驚きながらも私の心は確かに彼の熱に当てられていた。
お父さんは私をこれ以上傷つけないようにと踏み込まない。
円香さんはお父さんから何を言われたのか突然話しかけてこなくなった。
不登校支援の学校の先生は私を馬鹿の一つ覚えみたいに褒めるばかり。悪い気はしないけどそこに意味があるとは思えなかった。
太陽さんは多分、私の知ってる大人よりも不器用。だけど、大人達よりも私を分かろうと努力してくれている気がした。
とてもお節介。
ありがた迷惑。
お人好し。
甘い話すぎて逆に怪しい。
色々思うところはあるんだけど、全てひっくるめて向き合う覚悟を決めた。
どちらにしても私はこれ以上学校に行かない選択をし続けると強制退学になってしまう可能性が高いし、もう十分休んだでしょう。
入学式の日に偶然見かけてしまった『あの人』に怯えて、人生をこれ以上無駄にしたくない。
思いのままに書き綴った文字達の中に『太陽さん』という名前がいくつも出てきていることを確認して、胸がトクンと音を立てる。
学校に復帰した私を見て喜ぶお父さんを想像して心臓が激しく脈打つ。
気が付くとカーテンの隙間から日が差し込んできて朝を迎えてしまったんだと知る。バッとカーテンを両端に追いやって太陽の光を全身に浴びた。
窓も少し開けてみると、心地よく温かな風と冬の余韻を残すような冷風が入り混じった春風が部屋に舞い込んできた。
「おはよう…」
風にかき消される私の声はもうあの頃のものと違のかもしれない。




