第4章:擬似ヒーローの雨宮太陽3
朝、目が覚めると背中からやってくる気怠さに苛まれる。
カーテンを開けると思わず目を閉じてしまうほどの太陽光が入り込んできて脳が覚める。
「おっし。行くか」
白のシャツに袖を通してからネクタイを結んで、普段よりも少しだけ気合を入れた俺はリビングへと階段を下りていく。
「太陽、おはよ」
「太陽君、おはよう」
「おはようございます」
そこには机を囲む家族がいた。
そんな当たり前が音となり心の奥底を優しくノックしてくる。
「三人とも早すぎでしょ。まだ六時だよ?」
「何言ってんのよ。誠司さんなんて五時から起きてるわよ?」
「マジ? そんな時間に起きて何してんですか?」
誠司さんはあははと笑いながらも「読書だよ」と呟いた。
朝から本なんて読めるかよって思いつつも真桜の隣に腰掛ける。
真桜は話すようになったけれど基本おとなしいタイプだからか沈黙が多い。それはそれで心地良さみたいなものがあるんだけどせっかくなら楽しい時間を過ごしたい。
「そういえば、真桜も部活入ったんだよ」
「えっ!」
身を乗り出して驚きの声をあげたのは誠司さんだった。母さんはそんな彼を横目に微笑んでいる。
「ま、真桜は、一体どんな部活に」
そのいき過ぎた反応を見て、恥ずかしがるように真桜が口を開く。
「よろず商業部だよ。生徒からの依頼をこなして、依頼した生徒は奉仕活動をする。動画の編集とか記事を書いたりとかパソコンを使うことが増えた」
「ぱ、パソコン。真桜が、パソコン……」
「そんなに驚かないでよ」
呆れるように父を突き放す声が聞こえてきて口元が緩む。
「それじゃあ、俺は先に行くわ。ちょっと友達に呼ばれてて」
「あんた座ったばっかじゃん。忙しない奴ね」
「母さんの子だからかな」
「やかましいわ」
そんな会話に真桜と誠司さんの表情が綻んだ。
「あ、太陽さん。今日は部室に行きます?」
「一応、放課後は行くと思うけど」
「分かりました。私も放課後は行きますね」
母さんがすかさず割って入ってくる。
「え、あんたも同じ部活なの?」
その質問に対して答えようとするも、面白がるように笑みを浮かべる真桜が答えてしまう。
「太陽さんは最強の助っ人です。そうですよね?」
「んー。まあそんなところかな。じゃあ、行ってきまーす」
家族三人からの「行ってらっしゃい」を受けて俺は自宅を出た。
すっかり寒さの抜けた清々しい晴天を眺めながら並木道を抜けてあっという間に東陵高校に着く。
運動部の朝練組がちらほらと見えるが流石に生徒の数は少なく、校舎内は静まり返っていて逆に居心地が悪い印象だった。
自分の教室に行くわけでもよろず商業部に行くわけでもなく。
俺はただ昇降口で彼のことを待っていた。
てか、今よろず商業部に無断で立ち入ったりしたら、あの狂人二人の仕掛けとかで首とか落とされる可能性あるしね。
理人、浅岡コンビも色々とやりすぎていなきゃいいんだけどな。と、そんなことを考えていると早くも彼は姿を見せた。
「あれ、雨宮先輩。早いっすね」
揚々とした口調と絵に描いたような後輩ムーブ。
「渡辺君こそ、いつもこの時間?」
「そうっすね。サッカー部の集合はもう少し後なんすけど、皆よりやらないとレギュラーは取れないので」
「それは関心だ。ただでさえ朝練が面倒だという人もいる中でさらに早くから練習するなんて」
「いや〜。俺よりも練習してる奴なんていくらでもいますから」
どこまでも謙虚に振る舞う姿に悪印象を持つ人は限りなく少ないだろうな。もしそういう人種がいるのだとしたら嫉妬心に負けてしまった奴らだ。
或いは……。
渡辺君は靴を履き替えながらも口を開く。
「雨宮先輩は俺に何か用でしたか?」
「まあ」
「昼休みとかじゃダメっすか?」
「時間は取らせないよ。一つだけ訊いておきたい事があったんだ」
渡辺君は靴を履き終えて、つま先を床にトントンと打ち付けながら「なんですか?」と返事をする。
「君にとって日暮真桜ってどんな人なの?」
「なんですかその質問」
薄ら笑みを浮かべつつも、そう呟く彼に質問の意図を誤魔化す。
「佐倉にも訊くつもりなんだけどさ。なんで、同じ中学だったからってそこまで日暮真桜を気にかけるんだろうなって思って。俺だったら絶対めんどくさくて気にしないから理解が追いつかなくて。改めて訊いておきたいなって」
すると、渡辺君は考える素振りすら見せずに答える。
「この学校で彼女を助けてあげられるのは俺だけだからっすね」
「そっか」
「じゃあ、朝練行ってきます!」
「うん。怪我だけはしないようにね」
「あざっす」
元気よく昇降口を走り抜けていく彼の背中を見て、どこか儚げな感情を抱いている自分がいることに心底呆れてしまう。
それからいつも通りの日常が動き始めて、休み時間にはツッチーが賑やかしに来て。青葉に小馬鹿にされたりして。理人と浅岡が味噌汁に入れる具材が豆腐かわかめかで喧嘩していたり。
そのどれもが宝物で一瞬で過ぎ去る時間だから記憶に青くこべりついていく。
放課後になり教室から続々と生徒が出ていく中で、俺と理人に浅岡。どういう訳か青葉とツッチーも教室に残った。
皆は示し合わせたように俺の席を囲って集まりだし、浅岡が口火を切る。
「例の件で二人にも手伝ってもらっていたの」
「そういうことね。青葉とツッチーなら正解だ」
「それでどこから話をしていけばいいのかってところなのだけど……」
その瞬間、教室後方のドアが勢いよく開き全員の視線がそちらに向いた。
地を踏み鳴らして堂々と入ってきたのは佐倉だった。
その後ろには申し訳なそうにしている真桜がいた。
「雪音先輩は私が仲間外れにされて怒るって思わないんですか?」
プンスカ鼻を鳴らして近寄ってくる佐倉を前に青葉が「あ、仕事しない子」と呟いた。
「失敬な。私は昨日だけでも一生分の仕事をしました。そこの悪魔に命令されたのでね」
佐倉の指さす先にいるのは理人だ。
「苦い仕事させて悪かったよ。でも、佐倉以外に頼める仕事じゃなかったんだ」
「あー気に食わない。その消去法みたいな言い方気持ちよくない。なんかもっと、特別感が欲しいな!」
「ご、ごめん?」
「次からは気をつけてくださいねっ」
理人からの謝罪を受けて機嫌を取り戻しだした佐倉。
この奔放さを見てツッチーがクククと笑いを堪えていて、青葉は俺に耳打ちで「強烈な子だね」ともっともなご意見を述べた。
「佐倉さんなら必ず来るって思っていたから待っていたのよ。流石ね」
不意打ちのように浅岡が佐倉を褒める。
「えへへ。佐倉先輩に褒められた〜」
そんな姿を見て青葉がまた俺に耳打ちで「雪音ちゃんも煽てるんだね」ともっともらしい事を言う。
まあ、煽ててるだけではないんだろうが。どちらかというと浅岡の計算の中に佐倉の性格が反映されていて思い通りに動いてくれてありがとう。みたいな感じだろ。
「それじゃあ始めましょうか」
浅岡の一言で空気が一気にヒリつく。ただ、一人ツッチーを除いてはの話だが。
理人が鞄からパソコンを取り出して画面を見せてきた。
「昨日太陽にも話した通り、よろず商業部は盗聴されていた。だから、部室の鍵は閉めずにカメラだけ置いて今日に至るんだがしっかりと顔まで映ってるだろ。そいつが犯人だ」
パソコンに映る人物を見て佐倉が声を漏らす。
「渡辺純一郎。やっぱりね」
皆が驚かずにいると意外なところから「えっ」という声が飛び出した。
「俺、ナベ君と仲良んだけど。サッカー部の一年っしょ?」
「だね」と俺が言葉を添えた。
真桜の表情は曇りつつあったが佐倉がその手をぎゅっと握りしめているからかしっかりと顔を上げている。
「まあ、この辺の証拠は取れたけど。日暮と太陽の盗撮画像と暴露依頼を送ってきたことに関しては証拠がない」
冷静に話す理人と対比するようにツッチーが「えっ」と再び声を出す。
理人が見つけられなかったという依頼の件に関しては俺の口から話そうと思ったその時。
「それも渡辺君です」と真桜が言った。
「証拠になるものは何かある?」と浅岡が返す。
真桜は首を横に振りながらも昨日俺に話してくれた一片を語りだした。
「一昨日の夜。葉月ちゃんとご飯を食べてからの帰宅途中に渡辺君に会いました。渡辺君は中学から同じだったから以前の私の家は知っててもおかしくないのに、なんで今の家を知っているんだろうと怖くなって。でも、偶然出会ったのかもと思い込むことにしたんです。でも、渡辺君の方から私と太陽さんの写真を見せきました、それで……」
真桜の呼吸が少し荒れだしそうになるも本人の気合いに似た想いで踏みとどまる。
大きく深呼吸をした後に、真桜はゆっくりと口を開いた。
「付き合ってくれないんなら。葉月ちゃんの過去も私の過去もまとめて校内に広めるって。ネットに拡散されるのも嫌でしょ? って」
青葉が首を傾げつつ「佐倉さんの過去?」と呟く。
真桜のことはある程度情報として入っているのかもしれないが佐倉のことまでは知らされていないようだな。
その事については当人の口からさらっと補足される。
「両親と関係悪くてグレてた時期があったんです。今の私とは別人だからバラして嫌がらせしようってんでしょうね」
「こいつ最低だね」と青葉が吐き捨てるように言った。
真桜は唇を振るわせながらも話を続ける。
「中学生の時、私は自分をいじめる女子達の陰に隠れて彼がいるって知ってた。私をいじめさせて弱ったところにいつも甘い言葉をかけてくる。見え透いていて気持ち悪くて。だから、入学式で彼の姿を見かけて心挫けてしまったんです。そんな相手が私だけじゃなく葉月ちゃんまで標的にし始めてしまったから、それが一番怖くて」
それからもう一呼吸息を吸った真桜は訴えかけるような叫びに似た声で言った。
「葉月ちゃんも苦しめるのな退学しようって思ったんです。友達の将来を潰してしまうくらいなら私が諦めようって思ったんです」
佐倉は瞳を潤わせながら真桜のことを強く抱きしめた。
「馬鹿。私は元不良だっつの。あんたが諦めるなよ」
「ごめん。葉月ちゃん」
二人の目に涙はなかった。けれど、その跡は頬に残っている。すでに済ませていたんだろうな、と微笑ましく見惚れていた。
そして佐倉がスマホを取り出しボイスメッセージのアプリを開いて一つのファイルを再生すると、見知らぬ女子の声と佐倉の声が流れ始めた。
内容としては真桜をいじめていた女子に当時のことを聞き取りしているものだった。そこでもはっきりと浮上してくる『渡辺純一郎』という名前。
「空木先輩に頼まれてた仕事の成果です。真桜の証言と、このボイスは証拠になり得るんじゃないですかね」
ここまでの流れを受けて浅岡は表情一つとして変えることなく言い切った。
「でも、強制退学にはできないわね。決定打がないし、そもそも揉み消されて終わりな気もするわ」
その返答に対して青葉も口を開く。
「カネ先だったらそういう大人の力に屈しないんじゃない?」
一応、あの人も大人だから厳しいのではないかと思っていると理人も話し出す。
「そもそも決定打に欠けるんだ。さっさと退学まで追い込んで日暮に安心させてやりたいが証拠をもっと集めないといけない。場合によっては日暮自身が囮になることも視野に入れて……」
「それはダメだ!」とツッチーが声をあげて話し出す。
「正直、俺や青葉は話についていけてないんだろうって思うが、大体のことは理解してるつもりだ。その上でナベ君を退学にさせたいという考えも二千歩譲って受け入れるよ。ただ、女の子を危険な目に合わせるような真似を男がしちゃいけない。その線は踏むことすら許されない。俺は馬鹿だから分からないが、手段は選んで欲しい。以上!」
気持ちの良いくらいに真っ当なことを言ってから後は何も言うまいと固く口を結んだツッチー。そんな彼らしさがこの緊迫した空気感を若干和ませつつ引き締めてくれた。
「そうだな。俺ももうちょっと考えて発言する。日暮、ごめん」
「いえ。私のことを思ってくれたんですもん」
この場の空気感。流れを察するに皆の共通認識として渡辺君を退学に押しやることがこの一件の結末なんだろうな。
でも、決定的な証拠どころか盗聴の写真でさえもこちら側の盗撮についての言及をされて口を塞がれ、揉み消されるオチが見えている。
直近での打つては無いかに思えた瞬間、浅岡がポツリと呟いた。
「自主退学させましょう」
全員の顔が勢いよく上がり、彼女に視線が集まった。
「私は初めからそのつもりだった。よろず商業部に舐めたことをした愚か者。しかも、私の可愛い後輩二人を傷つけているクズをこれ以上野放しにはしないわ」
いつになく熱のこもった感情を露わにする浅岡に触発されるよう皆が頷いた。俺と真桜の二人を除いて。
「いつ仕掛ける?」と理人が浅岡に問いかける。
「本当は日を置きたいけれど明後日からはゴールデンウィーク。明日、決着を付けましょう」
「分かりました。真桜は私が守るから!」
「う、うん。ありがとう」
「俺と青葉はいない方がいいか?」
「そうだね、私達は後から結末を訊くことにするよ」
「分かったわ。月森さんがカメラを貸してくれなければ話は進まなかった。本当にありがとう」
「お礼なんていいよ。てか、ペット用のカメラでも役立てて良かった」
それから浅岡は土田の方に向き直って口を開く。
「土田君も……。いや、いいわ。あなたは多分自分がどう役に立ったのかも理解がないだろうし」
「え、ひどくない? ねえ理人、お前んとこの部長キツくない?」
「まあいいじゃん。事実だし、それがお前の良さだろ」
理人の言葉を受けてツッチーは即復活してだははと笑っていた。
話が固まり皆の目指す方向が明確になったことで話し合いは終わりを迎え、それぞれの放課後へと向かった。といっても俺以外は部活に行くだけだ。
本来は今朝真桜に言った通りよろず商業部へと行くつもりだったのだが、急遽予定を変更しカネ先がサボっているであろう桜木の元へと足を進めた。
そこには案の定、腰を丸くした酷い姿勢で煙を加える姿があり声をかける。
「美味いですか?」
「あ? あー、美味いよ」
そう言ってカネ先はもう一度煙をスウッと吸い込み吐き出す。
「それで話し合いは終わったのか?」
「浅岡から知らされてたんですか?」
「まあな」
「随分と信頼されてますね」
カネ先は眉間に皺を寄せて「まいったよ」と言って話を続けた。
「自分の不始末で盗聴されていた事実を公表されたくなければ、渡辺の自主退学に一枚噛めと脅されてな」
「容赦ないっすね」
「ったく。飼い犬に噛まれるとはこういうことを言うんだ」
マジで本当にこの人噛んでくれる犬とかいねーかな。ここもずっと禁煙エリアだし。
「それでわざわざ私を訪ねて、決意でも鈍ったか?」
不適な笑みを浮かべて煽るように言われた俺は自分の抱いている感情と皆の選んだ結末の先に何をしよとしているのかを赤裸々に語った。
「あはは。お前マジか。マジの本心でそれを言ってんのか」
小馬鹿にされた気がして頬が熱くなる。
「マジだし、本心だし。でも、こんなこと皆許さないですよね」
カネ先はクククと笑いを継続しつつもとびきりの笑みをこちらに向けて言った。
「まあどう思われるかは分からんが、私も七海も他の連中も。そういうお前の事が好きなんだ。大分、自分を理解できるようになったんじゃないか? 擬似ヒーローの雨宮君」
カネ先から若干の肯定を受けて背中にのしかかる重圧や不安が和らいでいった。
「マジでその呼び方恥ずいんでやめてくださいね」
「まあ考えとくよ」
曖昧な回答を得ては可笑しくて静かに笑いながらこの場を後にした。
そして、決着の日をあっという間に迎えることとなった。
明日からはゴールデンウィークに入るということもあり昼休みの校内には浮き足立つ生徒の姿が多く見える。けれど、そんな空間とは外したよろず商業部の部室に集められた六名の生徒。それと一人の教師。
俺はかつてないほどの手汗と腹が捩れるような不快感を覚えていた。
誰一人として席につくことなく、対峙する構図で渡辺君が口を開く。
「えっと。これって何の集まりですか?」
そう口走る彼の姿が俺たちには白々しく映ってそれぞれの感情を昂らせていた。
そんな中でもカネ先は口を挟む気が毛頭ないようで、一人近くの椅子に腰掛け出す。その姿を見てから浅岡が口を開く。
「何故、よろず商業部の部室に盗聴器を置いたのか説明してもらえるかしら?」
「えっ。そんなこと起きてたんですか。大丈夫ですか?」
「あくまでも白を切るつもりなのね。それならそれでも良いわ」
渡辺君は身振り手振りで「本当に何の事か分からないんです」と盗聴を否定する。
その姿を見ていて怒りを堪えられなくなった佐倉が口を開こうとした瞬間、理人が彼女の肩を押さえて静止させる。
「ちなみに俺が気になっているのは。どうしてお前がよろず商業部の、この部室にちょくちょく来ていたのか何だが。その説明はできるか?」
「だから何の話なんですか? 俺がここに来たのって佐倉と一緒に来た時以来なんですよ。雨宮先輩なら分かってくれますよね?」
「……」
「なあ、真桜。俺、そういうことする人間じゃないよな?」
俺と同様に真桜も沈黙を貫いていた。でも、渡辺から視線を逸らす事なく震えながらも力を振り絞って向き合っているようだった。
その時、理人がスッとスマホをいじり始めて、数秒後に渡辺君の体がピクリと動いて申し訳なさそうに言った。
「ちょっとメッセきちゃったみたいで大事なやつかだけ確認しても良いですか?」
この追い詰められていくような緊張感の中で少しでも時間が稼げるのなら、とそういう気持ちが前面に出ていた。だけど、そのメッセージの送り主は。
「あ、いいよ。大事なメッセージ見逃せないしな。俺も今スマホ見てたし」
「助かります」
そう言って渡辺君がスマホを開いた瞬間、表情は青ざめていきスマホを操作する指が完全に停止した。
瞳孔は開き、明らかに正常な状態ではない動揺をしている。
たった今、理人がスマホを操作していたのは暴露依頼のあったアドレスへ渡辺君の盗聴器を仕掛けている画像と盗聴器自体の画像をセットで送るため。
暴露依頼の犯人が渡辺君だという証拠がなくとも確信はあった。
そして、その操作が終了してすぐに渡辺君のスマホにメッセージが飛んできて、この取り乱しようだ。
一つ一つの逃げ道を潰しながらじわじわと抜け道のない行き止まりへ追い込むようなやり方に浅岡と理人の怒りを感じる。
浅岡は渡辺君を煽るように「どうしたの? 緊急事態?」と言う。
それに対して渡辺君が「そうっすね。ちょっと電話してきて良いですか?」と言葉を凝らした。
「別に良いけれど、潔白を晴らしたいのならば行かないことをオススメするわよ?」
理人も続けて言葉にする。
「まあよろず商業部ってどんなことしてるか気になってる人も多いし、盗聴は許せないけど気持ちは分かるしな。認めないなら話はここで終わり。認めるなら普通に謝ってくれればいいよ。まあ、今回だけね」
理人にしては柔らかい物言いだった。空木理人がどういう人間か知っていればこんなのハッタリに過ぎないって気が付けるが可哀想なことに一瞬たりとも関わりがない渡辺君に見破る術はない。
しばらく沈黙の時間が続いたが、渡辺君が諦めたかのように息を吐いて「すみませんでした」と謝罪の言葉を漏らした。
あっさり認めている姿からしても彼は極悪人ではないんだろう。でも、素直に頭を下げないあたりに彼なりのプライドを強く感じた。
それと、そういう姿勢を最も嫌うのがよろず商業部の部長である浅岡雪音という女子だった。
「ちなみになんで盗聴なんてしたのか教えてもらえる?」
「そうですね。出来心というのもありますし、今言われたようにどんな部活なのか知りたかった好奇心に負けたのもあります。なんか楽しそうだなって。俺は毎日走り回って先輩にも顧問にも怒られてるのに、ここの空間は賑やかで良いなって」
「だからってして良いことではないと分かってはいるの?」
「はい。本当にすみませんでした」
渡辺君的にもこの程度で済むのなら謝ったほうが得策だと思っての対応なんだろう。ただ、この場にその思惑を想定できないような奴が一人もいない事実を彼は知らない。
その時、佐倉がスマホに録音していた真桜をいじめていたという女子達かの証言音声を流し始めた。
「渡辺君が好きだった時期があって。でも渡辺君は日暮が好きだって。でも、日暮が生意気にも振り向いてくれないから痛い思いさせたら、私とも仲良くしてくれるって……。正直、そんなこと言っても言い訳にしかならないし、私は日暮をいじめたっていうレッテルを自分に貼ってくよ」
その瞬間、渡辺君の手からスマホが落ちて都合よくこちらに転がってきた。
そのスマホを佐倉が拾いながら話し出す。
「この子、中三の時には転校してたでしょ。罪悪感に負けて耐えられなくて住む場所を変えたんだって。まあ私からした逃げんなよって話だけどさ。あんたよりかはマシ。大体、盗聴以外のこと詰められないって本気で思ってんなら、あんた相当バカがだから退学した方がいいよ」
佐倉が彼のスマホを操作して写真アプリを開く。
「ほら、ちゃんと盗撮してんじゃん。雨宮先輩と真桜の写真。お前、マジで気持ちわり〜んだよ」
そう言って、スマホを捨てるように下投げで返す。渡辺君にぶつかるも彼は微動だにせずスマホは足元に落下していった。
渡辺君は、はあっと深いため息を吐いて髪をかきむしり、涙ながらに呟いた。
「何がしたいんだよ」
佐倉は一貫して怒りに満ちた声を返す。
「こっちのセリフ。お涙流して同情しろってか?」
「うるせーよ。ゴミみてーだったやつが説教すんな。もう、黙れよ……」
「悪党にもなれない陰湿野郎になんて言われも響かないね」
そんな佐倉の言葉を浴びせられると、渡辺君は力無くしゃがんでいき両膝に顔を埋めて泣き始めた。
想像しなかった光景を前に誰もが言葉を失い、彼の静かな泣き声だけが室内に反響していた。
どのくらい時間が経ったかは分からないが、渡辺君が落ち着き始めたのを確認して浅岡が口を開く。
「あなたは日暮さんに接触して怖がらせた。証拠はないけれど証言通りなら脅迫もしている。今更泣いたって誰も許さない。この事実を暴露されて恥ずかしい想いしながら三年間を過ごすか、自主退学するか。選ばせてあげる」
非常な選択。
せっかく入った進学校を自ら退学するなんて家族がどう思うか。ましてや、彼がしてきたことを公表されたまま過ごす三年間だって地獄。
浅岡は渡辺純一郎という後輩に地獄以外の選択肢は用意していなかった。
再び嗚咽を漏らす渡辺君は罵詈雑言を口にする。
「ただの不登校生徒がきどってんじゃねーよ。不良上がりが学級員とか猫かぶって気持ちわりーんだよ。クールぶって話してくるけどお前みたいな陰キャ知らねーよ。見透かすような口調が中学の時から気に食わねーんだよ、クソ女が。死ねよ。ふざけんなよ」
この場にいる一人一人に対する気に食わない思いを打ち明けていく中で、渡辺君は一瞬言葉に詰まり、こちらに殺気を込めた視線を送って口を開く。
「雨宮。お前が一番気色わりぃ〜んだよ。偶然家族になったからって調子乗ってんじゃねーよ、ただの女たらしだろ。そんな女たらしにつけ込まれた女にももう興味ねーし。あー。なんかもう全部どうでも良くなってきたわ」
そう言って立ち上がった渡辺君は、薄ら笑みを浮かべて「で、辞めればいいの?」と呟く。
チッという舌打ちが理人の方から聞こえた。
「そうだよ。さっさと退学届出せ。連休終わってもし登校してたら、マジで……」
俺はそっと理人の口を手で塞いだ。
予定にないシナリオを描き始める俺を皆はどんな目で見ているんだろうか。
困惑してるのかな。
怒っているのかな。
それとも幻滅してるのかな。
もしかしたら俺がトドメを刺すって期待なんかされていたりしてな。
でもさ、そんなことしないよ。
これは、この光景はやっぱり俺の正義に反しているから。
真桜の願いとは反しているから。
渡辺君の方へと歩みより彼からの怒りに満ちた眼差しを受けても目を逸らさない。
「なんだよ」
強い言葉を吐く彼の瞳が揺れている。
「怖いの?」
「は?」
「怖いの?」
「怖くねーよ」と目を逸らす渡辺君。
「渡辺君が退学することで悲しむ人がいるのになんでそうあっさりと認めちゃうんだよ」
「そういう説教が一番臭いんだわ」
「目を逸らすなよ。ちゃんと向き合え」
俺は真桜から話を聞いてずっと考えていた。
渡辺純一郎がなぜ真桜に執着して知らず知らずのうちに恐れられる存在になってしまったのか。
なぜ、真桜がここまで恐怖を覚えてしまうのか。
「真桜が好きだったんだろ。さっき音声でも言われたよな。本気で好きだったんだろ」
挑発をしているつもりはなかった。でも彼にはそう映ったんだろうな。
突然頬に衝撃が走って、足元に赤い液体がポツリと落ちた。
いきなり顔面殴るなんて男らしいとこもあるんだな。って、そういう話ではないわな。
「ちょっと、何やってるの!」
浅岡の叫び声に渡辺君が一歩後退した。
俺は浅岡に手のひらを見せて大丈夫だよと合図する。でも、一番キレてそうなのは理人だったのでふいに笑みが溢れる。
真桜も佐倉も暗い表情をしていて心配してくれてるのか。
ほんと、俺は恵まれてるんだな。多分、渡辺君と俺の差は周囲にどれだけ良い人が集まったかどうかのそれだけなんだよ。
「渡辺君、震えてるよ」
「もういいよ、もう辞めるから。退学するから」
「真桜は自分が東陵にいることで佐倉に迷惑が掛かるって言ってた」
昨日、川辺で真桜の口から聞いた話を思い出しながら彼に伝わるよう丁寧に発する。
「真桜は、渡辺君にも迷惑が掛かるって言ってた」
「俺に?」
きっと、疑問に感じたのは彼だけでなく、俺と真桜を抜いた全員だ。
「真桜は渡辺を狂わせたのが自分のせいだって本気で思ってるんだよ。学校に行けなくなるほどのトラウマを背負った女の子が目の前の理不尽と向き合って、それでも自分のせいだって全部引っくるめて歩こうとしてるんだよ」
話している中で感情が溢れ出て、気が付けば声も荒げていた。
多分口の中も切れているし、痛みで顔周りの感覚もないし、決死の思いで話しているつもりなのに、それでも彼には届いていないように思えた。
本当に、言葉ってやつは中々伝わってくれないんだよ。
「もう関係ないから。全部俺のせいだから、それでいいんだろ」
そう言って立ち去ろうとする彼の手を掴んでから、俺はずっと胸に秘めていた言葉を口にする。
「退学しなくていい」
俺の吐いた言葉で辺りの時間がピタリと止まったかのように静まり返った。
「は?」と声を漏らしたのは渡辺君。
「辞めなくていい。こっちで持ってる証拠も消す。ゼロからやり直そうよ」と俺が言った。
「俺が何したか知ってんだろ」
「それ、君が言うの?」
渡辺君自身、今何が起きているのか。何を提案されているのか理解が追いつかないんだろう。
彼は目の焦点も合わずに沈黙しつつ、俺の手を力強く振り解いて見せた。
「どちらにしてもこの事実を知ってる人がいる以上、このままここでの三年間を過ごす方が罰になると思うし、君の家族だって悲しまなくて済む。真桜や俺の想いが今の君に届かなくても伝え続けるから。だからその時間が欲しいんだ」
淡々と一方的な話を進めていく中で背後から「ふざけんじゃねよ!」という罵声が飛び交った。
振り返ると、すぐさま理人に胸ぐらを掴まれる。
「カッコつけんのはいいけど時と場所選べ。なんでこんなクズをノーダメージで解放しなきゃならねぇんだ」
「ダメージならある」
「日暮や佐倉。よろず商業部が受けたダメージと。こいつがいることでこの先喰らうかもしれないダメージはこんなもんじゃねーだろうが。それに、お前だって……」
正しいよ。理人は何も間違っちゃいないよ。どう考えても頭がおかしいのは俺。
だけど、どちら一方が望む未来を手に入れた時に不幸な未来を辿る誰かがいるんだとしたら。
そんな結末をハッピーエンドとは思えないんだ。
胸ぐらを掴む理人の腕を振り解いてから確固たる意志を持って言葉にする。
「俺はこの件を揉み消したい。渡辺君にやり直させる機会が欲しいんだ、お願いします」
理人からも殴られる覚悟を持って頭を下げた。だが、彼は深いため息を漏らして出口の方へと歩き出し、ドアを開ける。
廊下には青葉とツッチーの姿もあって理人が一瞬驚きを見せるが、すぐにこちらを振り向いて悲しげな表情で口を開く。
「残念だよ、太陽。絶交だ」
最大級の針に胸を突き刺され、遠ざかっていく理人の足音を噛み締めていた。
「太陽。私も理人に同感かな。それとね、真桜ちゃんのこととか今回の件とか、私はあんたの口から言って欲しかった。ツッチー、理人追うよ」
理人に続いてまた二人、離れていった。
自らを嘲笑しつつも呆気に取られている渡辺君に向かって話を続ける。
「これで退学は無しだ」
彼は青ざめたまま言った。
「あんたがなんと言おうが俺は退学届を出す」
「俺がどんな手を使っても揉み消すよ」
「じゃあ、不登校になってやるよ。そこの奴みたいに」
「毎日、君の家まで迎えにいく」
渡辺君は歯を食いしばり思考を凝らすも次にぶつける言葉が見当たらないようだった。その表情からはもどかしさとか悔しさとか安堵とか色んな感情が滲み出ていて、実に人間らしい。
「あんたが一番気味悪い。やってらんねーよ」
酷く弱い言葉を漏らして彼もまたこの部屋を後にした。
計画を散々にした挙句、理人や青葉との関係も散々にした俺を浅岡はどう思うだろうか。
佐倉は怒るかな。元から口悪いしな。
真桜は責任感強そうだから気にしちゃうかな。
もう、どんな反応があろうとも怖くて顔を上げることが出来ずに佇んでいた。
そんな俺の背をカネ先がポンポンと叩いてから部室を後にしていった。最大限の元気を分けてくれたんだろうけど、俺の心は何も回復しない。
自分の業を優先して目の前の加害者に手を差し伸べてしまった。佐倉を散々言った俺がだよ。
その結果として親友をも傷つけてしまった。理人の、青葉の思いを踏み躙った。
胸が痛くて苦しくて、手の震えも止まらない。
瞳が熱くて、ポタポタと床に溜まる真っ赤な液体を薄めるように透明な何かが混じり合っていく。
「私はこういう結果でも良いわよ」
そんな優しい声がふわりと脳に入り込んできて、柔らかく心地よい香りに包まれた。
俺の体を抱きしめるように回された細い腕。
「まあ、なんていうか。空木先輩も熱くなってただけですよ。私もね。だから、これはこれで良いんじゃないって私も思ってます。真桜の意思でもあるみたいだしね」
佐倉の言葉も受けて、少しずつ顔を上げることができた。
そして、振り返ると俺以上に涙を浮かべている浅岡の姿があって、今抱いていた感情全部吹っ飛ぶくらいに驚いてしまった。
「え、浅岡。大丈夫。つーか、お前まで泣くなよ」
「泣いてないわ」
そう言って微かに笑みを浮かべつつも浅岡は頬を伝う雫を拭っていた。
俺もぐしゃぐしゃになっているであろう自身の顔を制服の裾で拭い、静かに泣いている真桜の方へ視線を向けた。
「真桜。これはハッピーエンドまでの途中だから。本当の結末で皆笑ってられるようにこれから彼とも話し合っていこう」
真桜は何も言わずに、というよりも言えない状況で大きく頷いた。
俺は真桜が歌っている姿を思い浮かべながら言葉にする。
「人には言葉がある。人には想いがある。例えその言葉が届かなくても、声を枯らしても。気持ちを言葉に乗せて分かり合うことができたのなら……。俺は、そんなハッピーエンドがいいな」
佐倉に抱えられ、涙ながらに笑う真桜を見て気持ちが安らいでいた。
この世界にもしヒーローがいるとするのなら、それは理人のように悪を罰する覚悟を持っている真っ直ぐな人間だ。
善と悪に線引きをして非情になることは自身を蝕むこともあるけれどその業と向き合い続けられる強さのある人が英雄と称えられるべき人物。
だとしたら、善も悪もどちらも善だと考えてしまう業を抱えた俺はやはりやはり似て非なるヒーロー像に当てはまっているのだろう。
そんな姿を見て彼女らは擬似ヒーローと呼ぶ。




