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真珠の父親

 床支村から小麦峠までは、片道五キロ。草世は真珠狐を抱いて、走り続けた。

 草履が脱げた方の足裏が痛い。だが、足を止めることはできない。


「真珠、死ぬな! 頑張ってくれ!」


 真珠の反応はないが、温もりのある体温が生きていることを教えてくれる。


『小麦峠入り口』と書かれた木杭の前に着いた。

 

白裂しらさき様ーっ!! 床支村の草世です!! 真珠が命の危険にあります。お願いします。助けてください!!」


 山を切り開いて作ったでこぼこ道を登りながら、草世は叫び続ける。


「床支村の草世です! 白裂様ーーっ!! 真珠のことで、お願いがあります!!」


 風がどどっと吹いた。山笹が鳴る。

 草世は目をつぶった。

 風がしずまって目を開けたとき。草世の視界の先にいたのは、白裂。人の背丈の倍ある岩の上に立ち、草世を見下ろしている。

 白裂は顎の尖った細面に、笑みを広げた。


「どうした?」

「白裂様、助けてください!! 真珠が毒を飲まされたようなのです!」

「そのようだな。霊力が弱まっている」

「どうか、お助けください!!」

「断る」

「え?」


 思いも寄らない返事に、草世は耳を疑った。聞き間違いなのではないかと思った。


「真珠を助けてほしいのですが……」

「聞こえなかったのか? 断ると言った」

「な、なぜ……。このままでは真珠の命が……」

「ふっ。どうでもいい。私には関係ない」


 白裂は着物の袖で口元を押さえた。愉快でたまらないといった風に、喉奥で「ククッ」と笑う。


「このままいけば、霊力がゼロになる。霊力を失う女に、興味はない」

「ど、どうして……。真珠が、白狐の掟を破ったからですか? だから、怒っているのですか? だったら、僕も一緒に罪を背負います! 責任は、僕にあります」


 草世は、白裂が真珠の許嫁だと疑っていない。白裂は真珠のことを「愛している」と言った。だったら、助けるだろうと信じている。

 しかし、白裂は背中を反らせて高笑いをした。


「なるほど。責任はおまえにあると。罪を背負うというのだな? だったら、死ね」

「え?」

「真珠を助けてほしいのだろう? だったら……」


 白裂は虫ケラでも見るかのような侮蔑の目を、草世に向けた。


「いま、ここで、死ね」


 本気なのか冗談なのかわからず、草世は呆然とした顔で白裂を見つめる。

 

「僕が死ねば、真珠を助けると?」

「そうだ」


 草世は疑問を持った。


(この男は、本当に真珠の許嫁なのだろうか? 真珠への愛情を、ちっとも感じない。軽々しく死を口にする男に、真珠をやりたくない)


 草世は医者として、命の現場に幾度も立ち会ってきた。救えなかった命に、無念とやるせなさを感じてきた。

 たとえ冗談であっても、死ねと口にする者とは、相入れない。


(この男を頼っては駄目だ。だが、どうする? どうやって、真珠を助けたらいい?)


 草世が苦悩していると、突風が吹いた。激しい風に、山の木々が揺れる。

 草世は片腕で目を覆った。風が止み、草世が腕を下ろしたとき──。


 新たな人物が増えていた。

 年配の男だが、目鼻立ちや顔の輪郭が真珠に似ている。


 男は決意を秘めた強い眼差しを草世に据えたまま、朗々とした声で言った。


「私は、真珠の父親。白狐一族の長のお言葉を、伝えにきた」


 草世は息を呑んだ。緊張と不安で、心臓が早鐘を打つ。

 

「真珠は、一族の掟を破った。よって、追放処分とする」

「そんな……」

「命を奪う毒ではない。だが、非常に厄介な毒だ。目を開けた瞬間、霊力が失われる代物だ。真珠は本能的にそれを感じているから、目を閉じているのだ。真珠、どうする? 一生目を閉じたままでいるか? それとも目を開けて、人間になるか?」


 真珠の狐の耳が、弾かれたようにピクっと動いた。


「人間って……どういうことですか? 真珠は、人間になるのですか?」

「霊力を失い、人間と同じ命の長さになる。そういう意味で、人間と言った」


 父親は草世に抱かれている真珠を一瞥し、それから再び、草世を見つめた。


「娘を見損なった。よって、勘当する。真珠、帰る家はないと思え。行きたいところに、行けばいい。真珠は掟を破るのが好きなようだから、婚姻の掟も破るだろう。人間と結婚してはならぬという、禁断の掟」

「人間を伴侶にする! なんて滑稽な!」


 とびきりの冗談でも聞いたかのように、白裂が腹を抱えて笑う。

 

「私たちは神の使者。神聖な白狐なのです! それなのに、人間と婚姻を結ぶとは! あー、おかしい! 神のいる楽園から落ち、地獄に這いつくばる者と結婚するようなものですよ! これ以上ないぐらいの罰だ。真珠め、私になびかないから、こんな目にあうのだ!」


 白裂のひどい言いように、草世は反論しようとした。

 だが父親が、首を横に振った。意味ありげな眼差しを送ってくる。なにも言うな、ということなのだ。

 白裂の嘲笑が響くなか、草世と父親は視線を交わす。


(子を大切に想う、親の目をしている。この人は、真珠に愛情を持っている。だから追放処分に乗じて、真珠を送り出してくれているのだ。真珠が僕の元に来ることを許し、人間として共に生きることを許し、結婚を後押ししてくれている)


 白狐と人間の関わりの掟。また、白裂の存在。そういった事柄から、父親は直接的な言葉では言えないのだろう。

 しかし、草世にはしっかりと伝わった。


「ありがとうございます」

「血止めの薬をありがとう。これが、私の恩返しだ」


 峠を吹き渡る風が、父親と白裂の姿を消した。

 姿が消える直前。草世の耳に、父親のつぶやき声が届いた。


 ──娘をよろしく頼む。


 父親が立っていた場所に向かって、草世は深々と頭を下げた。


「わかりました。幸せにします」


 

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