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怪しい薬

 時間は少し遡り──。


 真珠が、丹野風呂屋の前で僧侶と話をした日。

 僧侶は黒装束の袖を風にはためかせながら、笑った。


「明日、呪詛を燃やせ。……かかっ! 愉快なことになりそうだ! さらば!」


 僧侶は真珠に別れを告げると、風に逆らうようにして飛んでいく。

 そして、辻道で降り立った。

 尺八を吹き、厳かな音色を風に乗せる。


 春子は共同の洗い場で洗濯を終え、家へと戻る途中。

 聞こえてきた尺八の音に、春子は目つきを険しくした。辻道に立っているのは、深編笠を被った虚無僧。

 春子は虚無僧が胸に掛けている偈箱げばこを見て、すぐに顔を背けた。


「お布施なんて、しない」


 春子は知らんぷりを決め込んだまま、僧侶の前を通り過ぎようとした。

 尺八の音がやむ。


「村を出て、都会に行きたいのだろう?」

「え?」


 春子は足を止めた。


「しかし、恋路の邪魔をする者がいる。名は、真珠」

「なんで知っているの!?」


 春子は感心の吐息をついた。


「さすがはお坊さん。お見通しなんだ。そうなのよ! お医者様と結婚して村を出たいのに、真珠という女が邪魔するの! 憎たらしい!」

「力を貸してやろうか?」

「でもあたし、お金を持っていない。家に戻って、取ってくる!」

「いやいや、その必要はない。そなたは人相は、才気にあふれている。このような辺鄙な田舎で一生を終えるのは、実に勿体無い。都会でこそ、そなたの才は花開く」

「本当!?」


 春子は興奮のあまり、洗濯物が入ったタライを落としそうになった。慌てて、タライを抱え直す。


「あたし、都会に行った方がいい?」

「だが、若い女が都会に出るのは難しい。住むところを借りるのも、仕事を見つけるのも、難儀だ」

「そこなのよねぇ。親が助けてくれたらいいんだけど、全然。三郎と結婚したらいいじゃないかって、言うのよ。木こりなんて、嫌よ。あたしは、立派な人の奥さんになりたいの! それなのに草世先生は、はっきりしないんだから。あたしのこと、好きなくせに! これも全部、あの女狐のせい。あたしと先生の邪魔をするんだから!」

 

 春子は刺々しい口調で、真珠を非難する。僧侶は、背中を反らせて笑った。編笠が揺れる。


「女狐か。さすがだ。よく、正体を見破った」

「なに? どういうこと?」


 僧侶は、袂から包み紙を取りだした。


「拙者が特別に作った薬だ。そなたが飲む分には害がないが、狐が飲むと毒になる」

「なにを言っているの? 真珠が狐だって言いたいの?」

「拙者はな、苦難の中にあっても貫き通す、誠の心を見たいのだ。美しい心に触れ、この世は見捨てたものじゃないと思いたいのだ。おぬし、協力してくれまいか?」

「なにが言いたいの? さっぱりわからない」


 春子は冷めた目で、僧侶を見る。


「やっぱり、あんた怪しい。その笠の下にある顔を見せなさいよ」

「世俗との関わりを断つために素顔を隠している修行僧に、顔を見せろとは。恐れを知らぬ女だ。この薬は、二人分。半分は、おぬしが。あとの半分は、真珠に飲ませよ。真珠が狐なら、毒が体を巡る。いいか、くれぐれも他の者には飲ませるな。拙者は正しいことを言った。あとはおぬしが、正しき行いをせよ」

「ふーん」


 春子は包み紙を受け取った。


「気が向いたらね」

「そなたの気まぐれがどう出るのか、楽しみだ」


 僧侶は深編笠の中で、「くくっ」と低く笑った。



 ◇◆◇◆



 春子は三郎を家に呼んだ。縁側に座らせ、粉薬を溶かしたお茶を勧める。

 僧侶は春子が飲むように言ったが、怪しげな虚無僧が作った薬など飲みたくない。


「体がおかしくなったら、嫌だもの」


 春子に惚れている三郎は、喜んでお茶を飲み干した。

 本当に害がないのか。様子を見るために、しばらく他愛ない会話をする。

 三郎は毒が抜けた柔らかな表情で、春子を見つめている。


「おいら、嫌われていると思っていた。でもこうやって、お茶とぼたもちを出してもらって、嬉しいよ。夫婦になったら、こういう生活が待っているんだろうな。いいよな……」

「なにを言っているのよ。あんたと夫婦になる気なんてない。さ、もう帰って。あたし、忙しいんだから」

「あのさ……」


 三郎は着物の袂から、かんざしを取り出した。宝物を持つかのような丁寧は手つきで、春子に差し出す。


「町に行ったときにさ、女にかんざしを送るのは、一生守りますという意味だと教えてもらった。おいら、春ちゃんのことを考えた。やっぱり、春ちゃんが好きだ。受け取ってほしい」


 紅色の花の飾りがついた、品のある簪。艶のある輝きと滑らかな曲線が美しい。木こりが買うには、勇気のいる値段であっただろうと予想がつく。

 粗野で無骨だと思っていた三郎が、春子のために簪を買った。

 春子の胸が不思議な熱を帯びる。


「あ、あたし……」

「おいら、待っているから! 三年でも五年でも、待っているから!」


 三郎は顔を真っ赤にし、逃げるようにして去った。

 春子は三郎の後ろ姿を見送ると、しばらくかんざしを見つめた。それから、三郎が飲み干した湯呑み茶碗を見る。


「ど、どうしよう。他の者には飲ませるなって言われたのに……。だ、大丈夫だよね?」


 春子は、庭をうろうろと歩き回る。


「どうしようどうしよう。怪しげな虚無僧が作った薬なんて、捨てればよかった」


 とりあえずのところ、三郎に害はない。だが、真珠はどうだろう?

 春子は心配になり、草世の家に向かう。

 田舎の人は家に鍵をかけない。玄関を開けっぱなしにして、畑に行くものが多い。

 草世も、玄関に鍵をかけない。

 春子は今朝、草世の家に忍び込んだ。そして、水瓶に粉薬を入れた。

 

「大丈夫よ! 真珠は人間。狐じゃない!!」


 春子は草世の家に着くと、戸を叩いた。反応はなく、家の中は静まり返っている。


「いないの? 良かった。水を捨てなくちゃ……」


 春子は戸を開けた途端、悲鳴をあげた。


「きゃあーーーーーっ!!」


 水瓶の前に、真珠が倒れている。水を飲んだであろう、お椀が落ちている。



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