二つの障害
草世は白裂と対峙すると、深く息を吸った。真珠を返せと責め立てられるのだと、覚悟を決める。
だが、白裂は思いも寄らないことを口にした。
「私は真珠を愛しています。だが、真珠はそうではない。だったらどうすればいいのか、散々悩みました。愛とは、なにか。それが答えをくれました。愛する者の幸福を祈る。それが愛ではないかと思うです。ですから、決めました。真珠があなたを愛しているなら、あなたのそばにいたほうがいい」
「え……」
草世は虚をつかれ、返す言葉が見つからない。
白裂は草世の返事を待っているのか、眼球の見えない細い目でこちらをじっと見ている。
草世は迷った末に、思ったことをそのまま述べる。
「驚きました。てっきり、真珠を返してほしいと言われるものだと……」
「そう言ったら、どうしますか?」
「それは……真珠がどうするかは、本人が決めること。僕が、どうこう言うことではない」
白裂は(気弱な男だ)と、見下した。だが勘付かれないために、唇に笑みを張りつける。
「強引に連れ戻したら、嫌われますから。嫌われるとわかっていることをすることに、意味はない。私としては、自己満足ではなく、愛の名の元に動きたいのです。真珠の気持ちを尊重する。これが、私の考えです。真珠があなたといたいなら、婚約を解消してもいいと考えている。私としては、ですが」
含みのある言い方だが、草世は期待感から息を飲んだ。真珠を一緒にいられる未来があるのかもしれない。そう、希望を抱いた。
白裂はもったいぶるように長い間をあけたのち、薄い唇を舐めた。
「結婚とは、当人だけの問題ではない。人間もそうでしょう。双方の親と一族が関わってくる。そういうわけで、私の独断で決めることはできません」
「そう、ですよね……」
うなだれた草世に、白裂はほくそ笑んだ。
理解がある風を装っているが、でまかせ。そもそも、婚約者でもなんでもない。
すべては、演出。理解者のふりをして、草世の心を引きつけ、粉々に打ち砕いてやる算段だ。
白裂は微笑を張りつけたまま、穏やかな声音で話し続ける。
「真珠があなたと人生を共にするには、二つの障害があります。そのことは、聞いていますか?」
「いいえ。なんですか?」
「一つ目は、あなたが人間であること。二つ目は、白狐族の掟です」
白裂は、指を二本立てた。
「同じ種族で結婚して、子を成す。それが本来のあるべき姿。白狐と人間が結婚ごっこをしても、子供は生まれません。真珠の両親が、あなたたち二人の結婚を喜ぶと思いますか?」
「……いいえ」
草世は苦い塊を飲むように唾を飲み込むと、沈痛な声で否定した。
(僕は、覚悟が足りていなかった。一緒にいたいと願うだけでは、どうしようもない)
白裂は攻撃する手を緩めず、二つ目の障害を口にする。
「白狐族には、人間同士の争いに関わらないという掟があります。下手に関わって、巻き添えを食らってはたまりませんから。人間同士の争いは、人間が解決する。無論、神様が諍いを止めるようお告げを寄越したなら、従います。我々は、神の使いですから。ですが、丹野風呂屋については神様は沈黙している。つまり、人間が解決するべき問題。真珠は、関わってはいけないのです」
「真珠は、関わっていません」
「そうでしょうか?」
白裂は意図的に不思議そうな表情をし、小首を傾げた。
「風呂屋の煙突に、人間であって人間ではない者がおりました。その者と、少し話をしましてね。あなたは友人を救うために、奔走している。しかし成果を上げることができずに、苦しんでいる。それを見た真珠が、どうするか。私とその者は、同じ予想を立てた」
白裂の声音が低く、冷たくなる。
「真珠は、あなたを助けようと動く。つまり、白狐族の掟を破る」
「そんなっ!? あの、もし、破ったら、どうなるのですか!!」
「いかなる事情があれ、見逃すことはできません。掟を破った者には、罰が与えられる」
「罰とは……」
「長が決めます。どのような罰が下るのか、私にはわかりません」
草世から血の気が引き、足元がふらついた。
白裂は人間に絶望を与えられたことに満足し、帰ろうとした。
身を翻した白裂に、草世が駆け寄る。
「待ってください!」
草世の手が、白裂を掴もうとする。だがそれより早く、白裂は白狐の姿に戻った。飛び跳ねて、草世の手から逃れる。
(人間ごときが、俺様に触んじゃねーよ!!)
白裂は心の中で悪態をつくと、土手の上から草世を見下ろした。
「掟を破らなければいいだけの話。簡単だと思いますが? 人間の問題は、人間が解決すればいいのです。私の話を、理解していますか?」
「……はい」
「だったら、なにを迷っているのですか。丹野風呂屋の問題は、あなたが解決すればいい。……魔に取り憑かれて理性を失った人間など、殺せばいいんですよ。ためらう必要などない」
血が通っていない、突き放した言い方。
草世は目の前が暗くなり、崩れ落ちた。
「あなたがもし捕まるようなことがあっても、心配いりません。私が真珠を迎えに来て、村に連れて帰ります」
「…………」
草世は地面についた手に、力を込めた。土が抉られ、太陽の熱で温まっていない冷たい土に触れる。
人間を絶望の底に突き落としたことに、白裂はほくそ笑んだ。
(そうだ、白狐と人間とでは格が違う! 人間は我ら白狐を敬い、讃え、頭を下げればいい。……そうだ、口止めせねば。内緒にするよう約束することに、意味はない。人間は信用できないからな)
真珠に告げ口をしないよう、白裂は知恵を働かせる。
「人間の問題に関わることはできませんが、もし真珠に困ったことが起きたのなら、それは白狐の問題。そのときは、喜んで力になります。私を頼ってください」
草世は、幽霊のような青白い顔をあげた。虚ろな目で、白裂を見つめる。
「小麦峠に来てください。そこで白裂と、私の名を呼んでくだされば、すぐに駆けつけます。ただし私と会ったこと、話したことは真珠には決して言わないでください。もし話したら、真珠は私を嫌って遠ざけるでしょう。助けに来ることができなくなりますので、私とのことはソウセイ様の胸の中に留めてくださいますよう、お願いいたします」
「……わかりました」
白裂はニヤリと笑うと、立ち去った。
草世はズキズキと痛む頭を押さえて、家へと帰る。足取りは重く、頭は真っ白でなにも考えられない。




