File:113 坂上と前崎
二人はかつて、互いを唯一無二のライバルと認めた男たちだった。
一人は公安警察の超エリート、もう一人は自衛隊の若き至宝。
ひょんなことから特殊共同訓練で拳を交え、その規格外の才能を競い合うようになってから十数年の月日が流れた。
だが、運命の歯車は狂暴に二人を狂わせた。
アダルトレジスタンス台頭後、
一人は国のためにアダルトレジスタンスへと潜入した2重スパイへ。
一人は国の指示に従ってライバルを捕縛した人間へ。
その4年後。
一人は英雄として祭り上げられた。
一人は組織のパーツの一つだった。
やがて、
一人は国を根底からひっくり返した未曾有のテロリストへ。
もう一人は組織を追われ、牙を隠した無職の根無し草へ。
そして一人は、国の全主権を力づくで担う絶対的な「総統」となった。
もう一人は、そのライバルに隷属を装うだけの、地を這う敗北者となった。
だが、その半年後。
一人はさらに強大な世界の主権をも握り続け、もう一人は友を殺すための「反逆のテロリスト」へと反転した。
それは後者の失敗に終わったはずだった。
それからさらに3年が経った今日。
彼らの魂の根底にある歪んだ関係性は、何一つとして変わってはいなかった。
坂上は、今日この『8月6日』という記念日に、自身の人生のすべてを賭けていた。
超人AIの頭脳を得たこの怪物を、無限の命に等しい命を持つものたちを自らの手を血に染めてでも力づくで引きずり下ろし、止められる日は今日、この大衆の面前を置いて他にない。
「おおおおおおおッ!!!」
咆哮とともに、坂上は携行する神経外骨格の全リミッターを火花が散るほどに強制解除。
肉体の限界を遥かに超越した神速の駆動を以て、前崎へと肉薄する。
超硬質特殊ナイフが空間を切り裂く金属音が、雨の平和記念公園に爆音となって木霊した。
だが、細胞の質そのものを最適化し、もはや生物としての次元を異にする前崎は、重厚な神経外骨格を纏わずとも、生身の超反応だけで坂上の暴風のような連撃をすべて紙一重で受け流していた。
火花を散らすブレードの風圧。
現状の戦術的優位は、圧倒的に前崎にあった。
なぜならば、坂上の神経外骨格のエネルギー残量が過負荷によってゼロになるまで、防衛に徹して耐え忍べばそれで勝負は決するからだ。
しかし、坂上はそのエネルギー残量をこの一瞬で使い切る執念の猛攻を仕掛けていた。
点と線の隙間を埋め尽くすような斬撃の嵐。
前崎とて、一歩間違えれば五体を両断されかねない防戦一方の極限状態に追い込まれていく。
本来、前崎がこのような泥臭い肉弾戦に自ら付き合ってやる必要など毛頭ない。
周辺のHoundや重火器で蜂の巣にすれば済む話だ。
だが――友が。理由は完全には理解できなくとも、自らの命を捨ててまで俺という存在を死に物狂いで止めようとしてくる。
(ならば――その歪んだ執念に、相応の絶望で応えてやらねば不作法というものだ)
キィンッ! と激しい金属衝突が起きた一瞬の刹那。
前崎の弾き出した演算回路が、坂上の重心移動のわずかなブレを検知した。
前崎が一転して攻勢に出る。
超高速の連撃ナイフが坂上の装甲を削り、彼が大きくバランスを崩したまさにその瞬間だった。
前崎の戦術蹴りが、坂上の外骨格の膝関節へと容赦なく叩き込まれる。
ベキキッ、と強固なフレームが歪み、制御信号が途絶した。
坂上の体勢が、完全に、無残に崩れる。
「……く……そ……っ!!」
視界が歪む。前崎の冷徹なナイフの切先が、坂上の眼球を貫かんと眼前に迫る。
死の予感が脳髄を駆け巡った、その時だった。
ドガガガガガガッ!!!
猛烈な重金属弾の嵐が斜め後方から飛来し、前崎の足元のアスファルトを爆裂させた。
「……チッ!」
前崎がやむを得ず大きく後方へ跳躍し、間合いを取る。
射線を割り込んできたのは、銀司とラスカノとの死闘を制し、血煙の中から生還した雨宮、篠塚、縣、穂刈の四人だった。
「……助かった!」
坂上は歪んだ外骨格のフレームを自力でへし折り、再び泥塗れの足で立ち上がる。
対する前崎のバイタルは、未だ呼吸一つ乱れていない。圧倒的な余裕。
これを見て、自衛隊の精鋭たちは誰もが覚悟を決めた。これ以上の通常戦闘は不可能。
ならば、地獄へ道連れにするのみ。
「全員。……いいな」
坂上が静かに告げる。
「ああ……。いつでもいけます」
五人の男たちは、胸元から全く同じガラス試験管を取り出すと、カオリが飲んだものと同じ、坂上たちが携行していた最後の切り札――【軍用超高濃度覚醒剤】を、迷いなく喉の奥へ流し込んだ。
「貴様ら……正気か。何を……!!」
前崎の肌が五人の心拍数と脳波が爆発的にスパイクした数値を検知する。
前崎はその正体を知っていた。
だが、そこまでして、己の肉体を消滅させてまでなぜ俺を殺そうとするのか、その狂気の理由が前崎には分からなかった。
「――全人類へ、そしてこの国に向けて宣言する!!」
薬物の暴力的なブーストにより、眼球から血の涙を流しながら、坂上は手にしたナイフを天に向けて突き上げ、声高らかに叫んだ。
その声は、式典の中継カメラを通じて、全世界の電波へと強制介入していた。
「我々は、現在の日本の姿を一切認めない!!
倫理を破壊し、法を破壊し、罪なき人を殺し!!
そうして出来上がった『偽りの楽園』を、我々は断固として拒絶する!!
これから見せる姿は、日本人としての矜持の証明である!!
しかと見届けるがいい!!」
ドッ!!! と大気が爆ぜた。
先ほどとは次元の違う、音速を超えた五本の人間の残像が、まるで大蛇のごとき軌跡を描いて前崎の全方位へと絡みつく。
最適化された前崎の超人脳を以てしても、完全にそのフレームレートを凌駕した速度。簡単には視認すらできない。
「ガッ……、バリアを――」
前崎は瞬時に電子電磁バリアを最大出力で展開し、攻撃をやり過ごそうとした。
だが、精鋭たちのナイフの刃先が、激しい不協和音を立ててその不可視の壁を容易く引き裂いた。
(……抗バリア刃だと!? クッソ……!!やはりアメリカと組んでいたな!!)
肉肉しい斬撃の嵐が前崎を襲う。防ぎきれない。
前崎の端正な顔、四肢、体幹から、ドンドンと鮮血が滲み、雨の中に飛び散っていく。
だが、肉体修復能力をフル稼働させれば、このブーストが切れる数分間を耐え抜けばこちらの勝ちだ。
それに肉体などいくらでもくれてやる!!
再生すればいいだけの話なのだから!!
前崎は一瞬の隙を見て、戦術的な逃走・後退を測る。
しかし。その王の退路を、肉体で阻むものたちがいた。
それは、坂上の部下たちでも、テロリストの残党でも、思想を持った政治活動家でもなかった。
「……な、一般市民……!?」
前崎の光学センサーが捉えたのは、避難を拒み、その場に文字通り人間の壁となって立ち塞がった、数数の一般市民の姿だった。
(なぜ、この期に及んでこの場に残っている!?)
すべては、前崎英二という暴走する独裁者を止めるため。
坂上の魂の叫びに鼓舞され、自らの意思で立ち塞がったのだ。
坂上の言葉を信じるならば、この凄惨な映像は現在、全世界に同時生中継されている。
世界一の富を誇る『JAPANGU』の総統が、自国の丸腰の一般市民を力づくで殺傷し、踏み越えて突破したとなれば、彼が築き上げた統治の正当性は一瞬で瓦解する。
政治的敗北を意味していた。
殺せない。
無理矢理にでも、肉体を傷つけずに突破せねばならない。
だが、その立ち塞がった一般市民たちの先頭にいたのは――この広島の地で、かつて国家の過ちによって引き起こされた原爆被害者たちの、気高き遺族たちだった。
彼らが掲げる古びたプラカードには、血のような文字でこう刻まれていた。
【私たちは、過ちを繰り返さない】
(過ち……?)
その言葉が、そして彼らの放つ絶対的な拒絶の眼差しが、前崎の超高速演算を、ほんの一瞬だけ――ミリ秒単位のノイズとなって完全に停止させた。
取り返しのつかない、絶対の静寂。
その刹那の隙を、死神たちが逃すはずもなかった。
未来予知の速度へと達した五人の男たちの刃が、前崎の死角から一斉に突き出された。
ドスッ、ドスウッ、ドス、ドス、ドスッ!!!
肉体が激しく肉を抉る、鈍く凄惨な感触。
五本の超硬質ナイフは、前崎の後頭部、心臓、脇腹、肺尖部、そして頸動脈を、寸分の狂いもなく「同時に」深く、深く刺し貫いた。
その刃から流れるのは強力なマイクロ波。
自分が死んだという通知がバックアップに行くことすらない。
「が、はっ……、あ……」
前崎の口から、どす黒い鮮血が溢れ出る。
細胞の超高速修復すら追いつかない、中枢組織の完全なる同時損壊。
人類の頂点、神の座へ登りつめた男は、泥塗れのアスファルトの上へと、力なく、ゆっくりと崩れ落ちた。
それと同時に。
心臓の限界駆動を超え、脳細胞のすべてを焼き尽くした坂上、雨宮、篠塚、縣、穂刈の五人の自衛官たちもまた、役目を終えたように、同時にその場へ倒れ伏した。
土砂降りの雨の中、日本を世界一の資産国に導いた指導者と、それを命懸けで引きずり下ろした最精鋭たちの死体が、爆心地の泥水の中で静かに並んでいた。
この誰も救われない、しかし人間の尊厳のすべてを賭した凄惨な結末の映像は、遮断されることなく全世界へ同時中継され、決して消えない巨大な波紋を呼び起こすこととなった。




