File:112 武人と軍人
「逝ったか。カオリ、ジュウシロウ」
閃光と地鳴りが完全に消失した爆心地の空を見上げ、雨宮は直感的にすべてを察した。
長きにわたる執念の決着。
一時は敵、今は少なくとも戦友と呼べた者たちがその命を燃やし尽くしたのだと。
「よそ見をしている余裕があるのかい!?生き残りがッ!!」
狂犬のごとき咆哮とともに突進してきたラスカノの刺突を、雨宮は最小限の頭部傾斜だけで軽くいなす。
生じたわずかな隙へ、カウンターの右肘打ちを電速で叩き込んだ。
バキィッ!! という生々しい軟骨の破壊音。
鼻梁を粉砕され、鮮血を撒き散らしながら後退するラスカノを、雨宮はたった一人で完全に圧倒していた。
実力差は一目瞭然だった。
ラスカノは元軍人とはいえ、メキシコ特殊作戦旅団から放逐されて久しく、長年は麻薬カルテル『ロス・カタス』の幹部として、謀略と密売の泥水に浸かって生きていた男だ。
全盛期を過ぎ、肉体は衰え、本来なら最前線での肉弾戦よりも後方での作戦立案に回るべき性質の人間だった。
前崎のクローン技術と細胞最適化プログラムによって、肉体だけは全盛期の若さと強靱さを取り戻し、戦闘能力は格段に跳ね上がっていたはずだった。
それなのに、目の前の、ただの「人間」である雨宮をどうしても仕留められない。
――それもそのはずだ。雨宮は坂上と同じく、旧陸上自衛隊の最精鋭『第一空挺団』を経て、対テロ・暗殺の専門組織『特殊作戦群(SOG)』の最前線を渡り歩いた真の超精鋭なのだから。
技術の純度と、実戦で培った殺人技術の桁が違っていた。
そしてプラスしてとある技術もプラスされている。
ラスカノは激痛に顔を歪め、苦し紛れに周辺のHoundへ向けて「突撃しろ!」と狂ったように命令を下した。
だが、雨宮はその肉肉しい包囲網すら、冷徹な機械のごとき足捌きでいとも容易くいなしていく。
包囲していたのは、最新鋭の装備を固めた二十人以上のHound――その全員が、一分と経たずに首の骨を折られ、あるいは頸動脈を切り裂かれて地面に転がった。
「なぜだ……、どうしてここまで、個体能力の差がある……ッ!?」
「まあ、お前のようなお下がりのクローンが知る必要のない領域だよ」
雨宮は冷たく言い放つと、前進。防備を固める間もなくラスカノの左肩へタクティカルナイフを深々と突き刺した。
骨と肉が削れる不快な音が響く。
完全に動きの止まったラスカノの頭部を、雨宮は身につけていた分厚い特殊グローブの手のひらで、左右から挟み込むようにして強固に固定した。
「な……!?それは!?どうしてお前たちがそれを持っている!?」
それはかつてケンのクローンへの意識転送を封じるために生み出したマイクロ波が出る手袋だった。
しかも前崎が持っていたはずの。
そんなことお構いなしに雨宮が手袋を作動する。
「ま……待て!! 頼む、待ってくれ!! まだ、俺にはメキシコから連れてきた子供と嫁が……!!」
死の恐怖に直面した元シカリオのリーダーが、無様に命乞いの声を上げる。
「――俺もだ」
雨宮の低く、冷徹な一言。
直後、分厚い手袋の掌心から高出力の指向性マイクロ波が放たれ、ラスカノの頭蓋を透過してその脳組織を一瞬で沸騰・融解させた。
クローン再生の基盤となる脳の電子データを物理的に破壊され、ラスカノは完全な「脳死状態」へと陥る。
どさりと、糸の切れた人形のようにラスカノの巨体が泥水の中へ倒れ込んだ。
(こいつは、当初の予測演算通りイージーに処理できたな)
雨宮は小さく息を吐いた。数の脅威であったHoundだが、前崎が彼らにインストールした基本戦闘モーションのベースは、かつて前崎のデータに組み込まれた坂上の過去の戦闘ログだった。
坂上本人があらかじめ「素人には絶対に見抜けないレベルの、極わずかな隙」をわざと自身の動きに混ぜてインストールさせていたため、その弱点を知る特戦群の猛者たちにとって、Houndの物量は丸わかりの案山子も同然だったのだ。
「……さて。問題は、あっちだな」
雨宮が視線を転じた先。自分と同等の超人的戦闘力を保持しているはずの精鋭――篠塚、縣、穂刈の三人がかりを以てしても、一人のサイボーグの前に完全に攻めあぐねていた。
全身を最新の軍事用サイバーパーツで置換した鋼鉄の剣鬼、銀司。
生身のパーツがほぼ存在しないあの肉体には、内臓破裂によるショック死も、水没による窒息も、通常のコア破壊すら狙えない。
特戦群が携行する携行火器の火力では、あの強固な装甲を突破するには決定的に足りていなかった。
「はぁぁぁぁぁぁッ!!!」
銀司が超高密度のエネルギーブレードを凄まじい旋回速度で振り回し、その衝撃波だけで三人の自衛官を強引に数メートル後方へと引き離す。
「どうした!? 誰も来ないのか!? 特殊作戦群の牙とは、その程度のものかッ!!」
肉体を失い、サイボーグとなってもなお衰えぬ闘争本能。むしろ、戦うことそのものに極上の愉悦を感じている――その金属の貌は、狂気的な歓喜に歪んでいた。
「まったく……、そんなに戦うのが好きかよ、お前は」
雨宮が間合いを詰めながら、呆れたように声をかける。
「当然だ!! 骨が軋み、血が沸き肉躍るこの感覚!!
かつて水没し、首だけの無惨な姿にされ、閉じ込められていたあの三日間の苦痛が、お前たち生身の人間に分かってたまるかぁぁぁッ!!!」
金属音を爆発させ、銀次は目にも留まらぬ超高速の踏み込みで雨宮の眼前へと肉薄した。
雨宮は即座に神経外骨格の出力を最大まで解放。
先ほど脳死状態にさせたラスカノの遺体を力任せに引き剥がし、肉の盾として銀次の軌道上に突き出した。
だが、銀次は一切の躊躇もなく、かつての同僚であったラスカノの肉体をエネルギーブレードで一刀両断に切り裂いた。
超高温の刃が肉を焼き、背後の雨宮を強襲する。
(あ……しまったな)
バックステップで刃を躱しながら、雨宮が苦い表情をする。
前崎のクローン転生を防ぐためにわざと脳死状態にして生かしておいたのに、銀次の無差別な斬撃によってラスカノの肉体そのものが完全に切断・死亡してしまった。
(まぁ、聞いていた話だと脳死直後に死んだ場合、バックアップが作動する確率は半々らしいがな)
銀次はブレードの切先を雨宮に向けたまま、ふと、その紅く光る光学センサーを細めた。
「……貴様がその手に嵌めているグローブ。どこから手に入れた?」
「……なぜそんなことを聞く?」
「その技術構造、見覚えがある。
なぜ我々のアンチクローン転生兵器ともいうべきものをお前が持っている?
殺すより残酷ということで非倫理兵器に登録されたんだがな」
「まあ……前崎の専横に対抗したがっている国なんて、海の向こうにはいくらでも山ほどあるってことさ」
雨宮は不敵に笑うと、腰から一本の手榴弾を抜き放ち、銀司の足元へと投擲した。
それは、特殊作戦群が極秘裏に調達した強力な『エリア型EMP高周波手榴弾』。
全身が精密な電子機械で構成されている銀次のサイボーグボディには、一撃で機能停止に追い込める特効薬のはずだった。
だが――強烈な電磁ノイズの炸裂を至近距離で浴びながらも、銀司の機動速度は微塵も衰えることなく、そのまま電荷の嵐を突き抜けて突っ込んできた。
(……チッ。まあ、当然の如くEMP対策は施してあるよな)
雨宮はすぐさま思考を切り替え、肉体をジグザグに超高速駆動させながら、銀司が繰り出す目にも留まらぬ剣劇の嵐を紙一重で躱し、その包囲網の死角へと抜け出た。
生身の白兵戦でサイボーグを崩すのは不可能。となれば、当初から用意していた「軍人としての泥臭い戦術」を実行するまでだ。
「――穂刈、縣、今だッ!!」
雨宮が鋭く叫ぶと同時に、背後に控えていた特殊作戦群の精鋭たちが、一斉に特殊な形状をした別種の手榴弾を手に持った。
それを正確な連係で、銀次の鋼鉄の身体に向けて一斉に投擲する。
空中を交差した複数の投擲物が、銀司の装甲へ激突。
パァン! という小さな破裂音とともに、ベチャ……、ベチャ、という酷く不快な重い音が周囲に響き、銀司の全身へ瞬時にその「液体」が張り付いた。
「……何!? これは……!?」
銀司は自身の金属腕を振るい、付着した物質を剥ぎ取ろうとするが、それはナノ粘着性を帯びており、装甲の隙間、駆動関節の細部へと見る見るうちに侵入し、恐ろしい速度で超高温の熱を持ち始めた。
残る三人の隊員も、容赦なくその手榴弾を次々と投げつける。
彼らは一人あたり、この特殊兵器を二つずつ携行していた。
合計八発分の悪意が銀司の全身を完全に覆い尽くし、やがて猛烈な白熱の劫火がその鋼鉄の肉体を包み込んでいった。
「な……なんだ、これは!? 燃える……!?融解しているだと!?」
「米軍が極秘裏に実用化した、超高密度ナノ結晶化ゲル。
――要するに、絶対に消えない『固形ガソリン』の最悪な進化系だ。ゼリー状のな」
雨宮は、激しく炎上し、駆動系を焼き切られながらのたうち回る銀司の姿を、一切の感情を排した冷めた軍人の目で静かに見つめていた。
「じゃあな、銀司。お前は強すぎた。だから、戦ってやる必要すらない」
「……お……おのれぇぇッ!! 卑怯者がッ!! 正々堂々と戦え……!! 私の剣と、正面から戦えぇぇぇッ!!!」
断末魔のごとき叫び。
それが、一騎当千の力を誇る「武人」と、勝つための手段を選ばない泥臭い「軍人」の決定的な違いであり、なおかつ、軍人のどこまでも冷徹で合理的な『汚さ』が、圧倒的な超科学を完全に凌駕した瞬間だった。
銀司のサイボーグボディは、駆動オイルに引火し、内部から爆発を起こしながら、平和記念公園の泥水の中へと崩れ落ち、沈黙した。




