File:111 カオリとエルマー
カオリはこの3年間、ただ一つの執念、ジュウシロウの行方を追うことだけに生きていた。
あの日、全てが瓦解したはずの秋葉原の夜。
それからである。
今から3ヶ月前、カオリはかつて元シンフォニアの底辺にいた少女、カノンを執拗に突き止めた。
現在の政権下の片隅で、過去の全てを秘匿し、改竄し、真っ当な看護師として一般の生活を送り始めていたカノン。
その平穏な日常を暴力的に暴くことには、流石に罪悪感がなかったわけではない。
だが、カオリには綺麗事など言っていられない理由があった。
正直,、カノンに対して憎かった気持ちもなくはない。
なぜならば、彼女は服従の道を選んだのだから。
私はそれでもそんな生き方はできなかった。
彼女は医療機関の極秘アーカイブに僅かに残された3年前の「蘇生記録」をカノンに突きつけ、無理矢理に、恫喝に近い形でその全貌を聞き出したのだ。
カノンとカオリはアダルトレジスタンスでは部下と上司の関係だった。
カノンが口を開くのは時間の問題だった。
そうして知った。
ジュウシロウは生きている。
内側から悪性の癌を何とか除去し、息を潜めて生き続けていたのだ。
だが行先は結局わからなかった。
みんなを巻き込み、戦友を、最愛の男を戦場へと引きずり落としたのは他ならぬ自分だ。
あれからユーリとは一切の連絡を絶ち、口を利くことすらしていない。
裏切られたという思い以上に、自身が掲げた「人間らしくあるべき」という理想の呪いが、私たちの運命を狂わせたという絶望が勝っていた。
自分には、ジュウシロウのような圧倒的な肉体も、一ノ瀬や坂上のような戦闘センスもない。
だからこそ、人型兵器【Λcellion】に頼った。
操縦技術だけをある程度、秘密裏に練習し、Houndの学習技術を盗み取って。
全ては、最期にジュウシロウと共にあるために。
「ごめんね……。ごめんね……、ジュウシロウ。
こんなになるまで……、こんなにボロボロになるまで、あなたを追い詰めて……ッ!!」
純白のΛcellionから転がり落ちるようにして脱出したカオリは、泥塗れのアスファルトへ駆け寄り、炭化して煙を上げるジュウシロウの巨体へと泣き崩れながら抱き着いた。
「もう離れないから。ずっと一緒だから。だから、大丈夫よ……」
だが、ジュウシロウのバイタルはしばらくまだ反応はあったが完全に沈黙していた。
最後に自分を認識できたかどうかもわからない。
【超火炎電磁砲】の極大熱線を正面から浴びた肉体は、すでに分子レベルで崩壊している。
完璧すぎる弱点突破。
エルマーは薄々気づいていたのだ。
ジュウシロウが再び自分の前に立ちはだかる日を予測し、その防壁を中和するためだけに、前崎と共にこのレールガンを開発・調整したのだ。
天才少年が仕掛けた3年間の冷徹な対策の前に、ジュウシロウの執念は呆気なく焼き尽くされた。
カオリは、涙を拭った。
ジュウシロウの炭化した骸をそっと抱き上げ、式典会場の片隅に僅かに咲き誇る、血に染まった百合の花畑の真ん中へと静かに横たえた。
そして、再び純白のΛcellionのコックピットへと舞い戻り、ハッチを閉める。
駆動骨格が不気味な重低音を響かせ、銀色に輝くエネルギーブレードが抜刀された。
「シュウ、そこをどきなさい。あんたに個人的な恨みはないわ」
「……カオリさん、一体何を!! その身体でエルマーとやる気ですか!?」
シュウが愕然として叫ぶ。
カオリはその声を黙殺し、胸元から一本のガラス試験管を取り出した。
中に満ちているのは、網膜が焼けるような禍々しい蛍光色の液体。
坂上達が自決用に持っていたものである。
3年前に念のために受け取っていた。
その正体は「ペルディータ」に対抗するために開発し、その副作用の凄まじさから歴史の闇に葬られた「軍用超高濃度覚醒剤」だ。
カオリは躊躇なくキャップを噛み砕き、その猛毒を喉の奥へと一気に流し込んだ。
「何を……!?」
「エルマー。……死んでもらうわよ」
スピーカーから響くカオリの声は、すでに人間の限界を超えて狂気的に震えていた。
「……逆恨みも甚だしいな、カオリ。
僕とテロリストどちらが正しいか言うまでもないだろう!
君たちは負けたんだよ!!」
漆黒と純白。二機のΛcellionが凄まじい推進炎を噴射し、平和記念公園の雨空を引き裂いて正面から激突した。
金属が超音速で噛み合う凄まじい衝撃波。
本来の操縦能力、空間認識、機体の最高速度、あらゆるスペックにおいてエルマーが圧倒的に上回っている。そのはずだった。
だが、エルマーの網膜に映し出される純白の機体は、彼の超高速演算の「予測限界」を遥かに超える、異次元の不規則な機動を繰り返していた。
「……馬鹿なッ!! 回避が追いつかない……! なぜ僕のフレームレートについてこられるんだッ!!」
「覚悟しなさい……。ジュウシロウを殺した、その報いを受けろッ!!」
薬物の過剰摂取により、カオリの脳内演算速度は数万倍にブーストされていた。
眼球から血を噴き出し、脳細胞を一本ずつ焼き切りながら、彼女の反射速度は「未来予知」の域へと達していたのだ。
ガキィィィンッ!!!
純白のエネルギーブレードが、漆黒のΛcellionの防御フィールドを文字通り縦一文字に一刀両断した。
そのまま機体の側面へとブレードが深々と突き刺さり、超高温の熱線が駆動機関を内部から爆破する。
エルマーの機体が機能を停止し、地面へと激しく墜落した。
カオリは間髪入れず、自らのΛcellionの金属腕を叩きつけ、漆黒のコックピットハッチを力任せにベキベキと抉じ開けた。
ハッチが吹き飛び、内部で煙に燻されるエルマーの怯えた素顔が剥き出しになる。
「……ッ、そんな……!! 嘘だ、僕の、僕たちの技術が、この程度で……!!」
「じゃあね。エルマー」
同じくコックピットハッチを開放したカオリは、限界まで充血した両眼で少年を見下ろし、手にした特異な形状の拳銃を迷いなく突き付けた。
引き金が引かれる。
銃口から放たれたのは、強力なマイクロ波パルスを放射しながら標的の細胞組織を瞬時に壊死させる、対クローン特殊暗殺兵器【アンチ・クローン・弾頭】。
なぜその兵器が彼女の手元にあったのか――それすら、坂上が用意した周到な「準備」の欠片だった。
ドォン、という鈍い発射音。
弾頭を至近距離で浴びたエルマーの脳殻は、悲鳴を上げる間もなく内側から一瞬で焼き尽くされた。
かつての天才少年は、何の抵抗も許されぬまま、一瞬にして物言わぬ肉塊へと変わり果て、コックピット内で事切れた。
「……正直、あんたは悪くなかったかもしれない。
でも私の障害になるなら誰でも殺すわ……ハァ」
そういってシュウを睨みつけてゆっくりと【Λcellion】を動かした。
「……ハァ、ハァ……、次、は……前崎……」
カオリは復讐の第一段階を終え、返す刀で総統の演説台へと機体を向けようとした。
息が詰まる。
だが、その瞬間。カオリの肉体に、世界崩壊のカウントダウンが訪れる。
「――が、あぁ、あ、あああああッ!!?」
視界が真っ赤な幻覚で埋め尽くされ、超高度の動悸が心臓を内側から爆破せんばかりに暴れ狂う。
エルマーを瞬時に屠るための神の速度。
その代償として体内に摂取した軍用覚醒剤の激烈な毒性が、彼女の全臓器を一瞬でメルトダウンさせていた。全身の毛細血管が破裂し、皮膚から夥しい血が噴き出す。
だが、彼女の顔に絶望はなかった。
歪む視界の向こう、満開の百合の花の中に横たわる、ジュウシロウの幻影が見えた気がした。
(待たせて……ごめんね、ジュウシロウ……。今、行くから……)
ドサリ、とレバーを握ったまま、カオリの身体から完全に力が抜けた。
直接の死因は、心臓の過剰駆動による完全な「急性心不全」。
手段はどうあれ、最後まで愛した男の仇を討ち、その誇りを守り抜いた、悲しき反逆者のあまりにも凄惨で、美しい結末であった。
純白のΛcellionは、機能を停止し、静かに雨の中に沈んでいった。




