File:110 ジュウシロウとシュウ
激突する鉄拳と鋼刃。ジュウシロウとシュウの二人には、本来であれば互いの命を奪い合う理由など、どこにも存在しなかったはずだった。
だが、ジュウシロウは傷だらけの肉体に宿る「大義」と戦士としての「矜持」を守り抜くため。
シュウは前崎にコントロールされた混沌の世を生き抜くために、かつて持ち合わせていたはずの矜持を自ら無残に捻じ曲げた。
ただそれだけの違いが、かつての恩人であり、師であり、友人であり、戦友でもあった人間と血塗られた戦場へと引きずり戻していた。
あの夜から、シュウはユーリから裏で多くの事実を知らされた。
かつてレジスタンスを影から支えたケンは、前崎の手によって葬られた。
脳のすべての機能を至近距離によるマイクロ波で不可逆的に融解させられ、システム上の死すら許されぬまま脳死状態となり「生ける屍」として幽閉される――。
そして処理されたと。
シュウにとって、その最悪の凶刃がいつかユーリの首元へ向けられるかもしれないという恐怖は、正気を失うほどに圧倒的だった。
前崎の作る世界に盲目的に従い、牙をすべて抜かれ、家畜として飼われてさえいれば、彼女に危害が及ぶことは絶対にない。
それにそれなりの幸福を手に入れられる。
シュウ自身、不器用な戦う技術しか持たぬ男だからこそ、愛する者を守る手段は「絶対的な服従」以外に持ち合わせていなかったのだ。
一方のジュウシロウは、三年前のあの夜、前崎の超人的な暴力の前に完全なる死の淵へと追い込まれていた。
それを、前崎の陣営で副総統の座に就いたエルマーが、総統の眼を盗んで秘密裏に回収させ、高度医療施設でその命をつなぎ止めさせた。
それは、かつて「アダルトレジスタンス」として同じ理想を追ったエルマーなりの、無言の優しさだった。
同時に――『もう二度と表舞台には現れず、大人しく静かに生きてくれ』という、かつての仲間への決別のメッセージでもあった。
だが、ジュウシロウはその情けを無下に踏みにじることを承知の上で、再び前崎への反旗を翻す道を選んだ。
もう、止まれないのだ。
自分には、この不器用に抗い続けること以外の生き方が分からない。
何より、かつて最愛の人であったカオリが、前崎の敷いたこの偽りの楽園を激しく否定している。
……シュウの口ぶりによれば、その彼女はすでに俺のことを死んだものと思い、すでに別の男と新たな関係を築いているらしいが。
正直に言えば、胸の奥を抉られるような裏切られたという気持ちがないわけではなかった。
だが、生き延びながらも大人しく息を潜め、彼女に何のコンタクトも取ろうとしなかった自分自身が悪いのだと、ジュウシロウは無理やり感情を押し殺した。
そのために坂上たちといた3年間だったのだから。
だからこそ、雑念のすべてを振り払うように、ジュウシロウは巨大な質量となってシュウの懐へと肉薄する。
しかし――シュウの戦闘能力は、ジュウシロウの予測を遥かに凌駕していた。
この三年間、シュウは牙を磨くこと、ただ己を肉体的・戦術的に鍛え上げることだけに全てを捧げていたのだ。
それは身に纏う神経外骨格のカスタマイズ、および兵装の進化においても同様だった。
ジュウシロウが全身の細胞膜から電磁バリアを展開した瞬間、シュウの放った超高速の剣劇がそのわずかな出力の隙間を完璧に突いた。キィン、と硬質な音が響くと同時に、ジュウシロウの強靭な肌へ無慈悲に一本の赤い血線が刻まれる。
火花を散らし、刃を交える中で、シュウの胸中を占めたのはどす黒い「悲しみ」だった。
敵を屠るためにここまで自分が強くなってしまったこと。そして、かつて暗黒街から自分を救い出してくれた最大の恩人を、この手で無残に殺めなければならないという狂気的な状況に追い詰められていること。
(クソッ……もう、たくさんだ……!)
だが、今のシュウには、かつての恩情を切り捨ててでも守らねばならない明確な「光」があった。
恋人、いや、この世界でようやく手に入れた、ユーリとの平穏な「家庭」だ。
たとえそれが、過去の絆のすべてを裏切る大罪になったとしても、彼は引き金を引く。
「……ッ、伏せろ、シュウ!!」
叫び声と同時に、シュウが地面へと滑り込むように低く構える。
その背後の空間から突如として突き出されたのは、ジュウシロウがかつてその身で浴び、かつて跳ね返せた兵器のはずだった。
――【超火炎電磁砲】
直後、平和記念公園の全域を激しい地鳴りと共に揺るがす、圧倒的な質量衝撃波が炸裂した。
その極大の光線は、ジュウシロウが展開した絶対の電磁バリアの固有振動数を容易く透過・破砕し、彼の無骨な肉体を正面から呆気なく貫通した。
「何……だと……ッ!?」
驚愕の声すら光の本流にかき消され、ジュウシロウの巨体は瞬時に炭化の炎に包まれる。
バキバキと音を立てて崩壊し、そのままアスファルトの上へと力なく崩れ落ちていった。
「せっかく、静かに余生を生きるチャンスをあげたのに。
やっぱり君は学ばない生き物だね、ジュウシロウ。
無駄な3年間だったね」
立ち込める白煙を鋭く切り裂き、滞空状態で現れたのは、【Λcellion】を駆るエルマーだった。
機体のコクピットから、冷徹な少年の声がスピーカーを通じて響く。
「君の欠陥だらけの細胞構造に関しては、すでに徹底的に調べさせてもらったよ。
君が前崎総統に半殺しにされて、僕の医療施設で意識を失って手術を受けている最中にね。
だから、君が細胞単位で増幅させるあの電子バリアの周波数も、発生プロセスもすべて解明済みさ。
このレールガンの出力も、君のバリアを分子レベルで中和できるように最初から完全調整していたんだ」
エルマーは冷酷に告げると、機体の自律型攻撃端末【EA(高性能ドローン)】を周囲に一斉展開し、ジュウシロウの完全なる息の根を止めるための絶対包囲網を形成した。
「それにしても、案外呆気なかったね。
僕たちがこの3年間で積み上げてきたテクノロジーの重みと、引きこもっていたの君たちじゃ、ハナから格が違いすぎたんだから。大人しくしてくれればこうはならなかったのに」
「……そうだな」
シュウは刃を収め、ただ重く目を伏せた。
(すまない。ジュウシロウさん)
そんな様子を見てエルマーは吐き気を覚える。
「……ふーん。そんなに自分でトドメを刺すのが嫌だって言うなら、僕が代わりにやってあげるよ」
エルマーは興味を失ったように冷たく吐き捨てると、虫の息となったジュウシロウの頭部に向けて、Λcellionの重砲口を正確に照準した。
放っておいても良いがせめてもの情けだ。
だが、まさにその刹那だった。
ドゴォォォンッ!!!と、強烈な金属の激突音が戦場に響き渡った。
「……っ!!?? 何だ!?」
エルマーのΛcellionが、側方からの凄まじい質量の一撃を受け、激しく機体を揺らして後方へと数メートル弾き飛ばされた。
一体、誰が。この前崎の絶対制空権の中で、誰が重機動兵器を駆って奇襲を仕掛けてきたのか。
センサーが捉えたその機体の固有バイタルを網膜で確認した瞬間、エルマーの口からは、心底不快そうな深い溜め息が漏れた。
「また君か……。一体いつまで、僕たちの新しい世界の足を引っ張れば気が済むの? カオリ」
白煙の向こうから、エルマーの機体と同じく、純白の【Λcellion】の駆動骨格を荒々しく震わせ、泥塗れの戦場へと立ちはだかったのは――かつて「白の隊」を率い、すべてを失ってもなお、地獄の底から這い上がってきたカオリの姿だった。




