File:107 黄金の国「ジパング」
あれから、世界の秩序は大きく変貌を遂げた。
世界の秩序、というよりは――この「日本」という島国の構造が、根底から覆ったのだ。
これまでの既得権益や、有象無象の倫理観とやらをすべて冷徹に無視して成立した前崎英二による新政権は、国家のグランドルールを瞬時に、かつ徹底的に書き換えていった。
最も分かりやすい変革は、長年議論だけで放置されていた『道州制』の強制的導入である。
日本全土は「北海道、東北、関東、中部、近畿、中国四国、九州、沖縄」の八つのブロック(州)へと解体・再編された。
そして前崎は、各ブロックに独自の裁量税制を敷いた。
特に関東と沖縄の消費税率を極限まで引き上げる一方、中国四国ブロックの税率を国内最安値に設定するという、極端な傾斜配備を行ったのだ。
さらに、国家の税制そのものに「徹底的なまでの合理化」が施された。
日本政府は全ての所得税、法人税、住民税、固定資産税、相続税を完全に撤廃。
その代替として、消費税率を一律「30パーセント(関東・沖縄などの戦略特区はそれ以上)」へと跳ね上げたのだ。
この究極の一元化により、国内の企業や富裕層は複雑な税金対策やマネーロンダリングにリソースを割く必要が完全に無くなり、脱税などの不正そのものが構造的に不可能となった。
結果として、日本企業は莫大な内部留保を研究開発と新たなる挑戦への投資へと一気に回し始め、市場はかつてない活力を取り戻した。
沖縄ブロックの税率が異常に高く設定されたのには、明確な理由があった。
前崎が以前アメリカ政府を強権的に恫喝・交渉し、在日米軍基地を完全に撤廃させたからだ。
そして、その広大な跡地は全て、最先端の「世界最大級の学園都市群」へと改造された。
現在、沖縄は国内で最も偏差値が高く、世界中から集まった天才児たちによる学術とスポーツの競争率が最も激しい、最高峰のブランド特区として機能しているという。
そして、前崎が最もドラスティックに変えたのは、国家を支える「特定の職業」に対する絶対的な優遇措置であった。
前崎は、命を懸けて国を護る『自衛隊』、および『救急隊(医療従事者)』を「日本が世界に誇るべき最高位の聖職」と定義。
これらの職に就いた人間に対し、現役時の破格の給与だけでなく、退職後の生涯にわたる絶対的な生活保障を約束した。
その莫大な財源に充てられたのは、これまで日本が毎年、思いやり予算などの名目でアメリカに実質的に収め続けていた巨額の防衛・外交資金である。
国を護る若者たちが真の英雄として祭り上げられた結果、自衛隊への入隊を志願する優秀な若者が全国に溢れかえった。
同時に、教育の現場にもメスが入った。
『教師』という職業は、医師免許と同等、あるいはそれ以上の難易度を誇る超難関国家資格へと変貌した。
医師と同じく、6年間にわたる過酷な専門教育と現場実習を経なければ、教壇に立つ資格すら大えられない。
その代わり、国から支払われる給与は破格の次元へと跳ね上がった。
この改革により、旧時代の生ぬるい教育免許で胡坐をかいていた既存の教師たちは、能力不足として一斉に「不適合者向け」の下位クラスの学校へと事実上更生・左遷されることとなった。
また、教師の負担の象徴であった部活動の顧問制度は完全廃止され、引退したプロスポーツ選手や専門のインストクターが国費で直接雇用されたため、教師は純粋な「学問と人間性の育成」だけに集中する環境が整った。
特に、前崎が導入した『信用スコアシステム』と教育改革の連動は凄まじかった。
新社会において、人間を評価する軸は「ペーパーテストの点数」ではない。
網膜スキャンとAIの常時監視により、『不正・犯罪を行っていないか』『社会に新たな価値を生み出せるか』『他者と最高効率で協力できるか』という3点が徹底的に数値化され、スコアとして刻まれた。
『価値を生み出す』という評価軸においては、年齢の概念すら撤廃された。
現に、前崎の提供した個別AI高度教育プログラムにより、小学生でありながら世界の生物学界に多大な貢献を果たした少年が誕生し、彼は新たに導入された『飛び級制度』によって、10歳にして国立大学の特別研究員へと招聘された。
能力の高い子どもは、年齢に関係なく、いつでも大学へ行き社会の原動力となれる。
その一方で、周囲との平均や歩調を気にする日本人の古い悪癖に対し、前崎はメディアと教育を通じて、洗脳のごとき言葉を日々刻み込み続けた。
――「他人の目を気にして、理解できないまま大人になることの方が、日本人として遥かに恥べき大罪である」と。
学びから零れ落ちかけた者であっても、本人が高卒認定試験や再教育の申請さえすれば、民間塾やAI家庭教師の高度なサポート費用を国が全額委託・無償化するシステムも構築された。
だが、この手厚い救済措置の裏側には、冷徹な「義務」の選別が存在した。
高卒認定試験に合格していない者には、一律で選挙権が与えられない。
さらに、たとえ大学を卒業していようとも、社会的な価値創出の実績が基準値に達していない者にも同様に参政権は付与されない。
結果として、「知的怠惰は市民としての権利剥奪を意味する」という風潮が、静かに、だが確実に日本人の意識に定着していった。
高卒認定を取得せぬ者は政治を語る資格すらなく、実績なき高学歴もまた、等しく発言権を認められない選別社会の到来であった。
さらに前崎は、この信用スコアを肉体の領域――『健康状態のスコア連動化』へと拡張した。
日々のバイタル、栄養バランス、運動量がウェアラブル端末とAIによって常時解析され、健康維持基準をクリアするごとに「健康ポイント」が累積していく。
このポイントは、かつてのふるさと納税の返礼品のように、高級食材やインフラ減税、あるいは超精密な個人最適化サプリメントと交換可能な経済的インセンティブとして機能した。国民は自らの肉体を最適化することすら、前崎のシステムに依存し、歓喜したのである。
国家の根幹たる「司法」と「立法」にも、かつてないスピード感がもたらされた。
司法においては、殺人や強盗殺人、偽札造入、あるいは国家転覆を狙うテロといった最重要重犯罪を除くすべての民事・刑事裁判について、例外を除き「半年以内での完全決着」が義務付けられた。
泥沼の長期裁判は構造的に廃止され、迅速な判決が下される。
しかし同時に、いかなる犯罪者であっても、確定判決後に新証拠やAIの再演算による矛盾が検知されれば、即座にノーリスク(弁護士費用を除く)で再審を請求できる絶対的なチャンスが担保された。
迅速さと冤罪防止を両立させる、デジタル法廷の完成である。
立法権は事実上、前崎一人の頭脳へと集約された。
国会という形骸化した議事堂での不毛な議論をスキップし、前崎の演算から出力された新法案は即座に発布される。
ただし、これらすべての法律には必ず「試用期間」が設定された。
社会全体の動向をリアルタイムで観測し、システムとして有効に機能した法案のみが正式採用され、不具合の生じた法案は即座に修正・破棄される。国家そのものが、一つの巨大なソフトウェアのようにアップデートを繰り返す構造となった。
さらに前崎は、個人や法人の私有地を問答無用で「完全国有化」するという究極の地殻変動を断行した。
これにより国内の不動産業はすべて構造的に廃業へと追い込まれ、土地や建物の利権を巡る利得行為は一掃された。
旧時代の遺物であった「敷金・礼金」や法外な仲介手数料といった概念は完全に消滅。
すべての居住区や開発用地の割り当ては、国家AIの最適化演算によって一元管理され、人口移動や都市開発は恐ろしいほどの流動性とスムーズさで駆動し始めた。
これ以上は枚挙にいとまがないほど、前崎英二は超人的な演算速度で、強引に、かつ完璧に政治の歯車を回し続けた。
外交においても、彼の無双は続いた。
中国を事実上、内側から完璧に乗っ取り「超友好国(実質的な属国)」としての関係性を構築したことで、アジア圏の物流とエネルギー資源の問題は一瞬で解決した。
さらに、不条理な防衛戦の末に勃発した『第2次日露戦争』によって壊滅的打撃を受けたロシアに対し、圧倒的な外交・軍事介入を敢行。長年の悲願であった北方領土の完全奪還を瞬時に成し遂げた。
また、中東のイスラム諸国とは旧来の良好な友好関係をさらに強固なものへと昇華させ、アメリカとの関係性も冷徹に維持し続けた。
当初、アメリカ政府は前崎の専横と米軍基地撤廃に対して激怒し、経済制裁の構えを見せて揉めたものの、世界の工場であり核大国である中国の中枢を完璧に握り、国際社会の「間調(仲介役)」として君臨する現在の前崎に対し、アメリカ側は最終的に何一つ文句を言うことができなくなった。
結果として。
日本は、あの狂乱のバブル期以来、数十年にわたって失われ続けていた『世界第1位のGDP(国内総生産)』の座を、僅か数年という驚異的な短期間で、圧倒的な数値とともに奪還した。
街には、前崎のシステムによってもたらされた未曾未の富と、溢れんばかりの金を手にした日本人が溢れかえっている。かつて停滞に喘いでいた国民たちは今、自らの思考を完全に放棄し、極上の生存保障と絶対的な富を与えてくれた神に向けて、狂気的な崇拝の声を上げ続けている。
「――前崎総統、万歳。我らが代表に、永遠の栄光あれ」
その狂熱の歓声は、世界の中心となった日本全土で、今も止まることなく鳴り響いている。
そして、この新しき黄金世紀の幕開けを象徴するように、日本の英語名は従来の「JAPAN」から、公式に『JAPANGU』へと改称された。
マルコ・ポーロが『東方見聞録』に書き残した伝説上の奇蹟の島――今後の日本が、世界を切り拓き、あまねく富を統べる「黄金の国」として君臨するという、前崎の絶対的な意思が込められた名称であった。
だが――。
国家を最高効率で叩き直した前崎英二のその手腕は、裏を返せば、世界の犯罪史において最も悍ましく、最もおぞましい大不義の積み重ねの上に成り立っている。
首相を含めた要人の暗殺、クローン技術の不正利用、そして兵器開発。
それらは決して、人類の歴史において真に尊重されるべき手段ではなかった。
富と繁栄に狂う『JAPANGU』の眩すぎる栄光の裏側には、決して消えることのない血塗られた大罪の陰が、底知れぬ漆黒となって、今も静かに潜み続けている。




