File:106 それぞれの捕縛
ユーリとシュウの潜伏先が特定されるまでに、半時間も要さなかった。
それもそのはず、前崎の監視網を掻い潜る労力を放棄したユーリ自身が、かつての警察組織――今や完全にHoundで統治された組織に自ら現在地を通報したからである。
担当者に絶対服従と全面降伏のシグナル。
それを受理したシステムにより、秋葉原の片隅へ即座に派遣されたのは、前崎直属の猟犬となったソウとアリアの二人だった。
激しい雨がトタンの屋根を叩く、古びたバスの停留所。
ユーリは冷たいコンクリートのベンチで、意識があまりはっきりしていないシュウの体を抱きかかえるようにして、ただ雨風を凌いでいた。
「……まったく。自分たちの都合で暴れるだけ暴れて、いざ詰んだら「助けてください」か。
元アダルトレジスタンスのテロリストだった僕が言うのもなんだけどさ、随分と醜い立ち回りだね、ユーリ」
純黒のペルディータから音もなく降り立ったソウが底冷えするような声をユーリへと浴びせた。
「こら、ソウ!! 帰る早々そんな風に意地悪を言わないの!」
背後に控えていたアリアが窘めるように声を上げるが、ソウの双眸に宿る冷徹な侮蔑が消えることはない。
ソウは一歩詰め寄ると、うなされるシュウの襟髪を掴み、その頑強な肉体を力任せに担ぎ上げた。
「……私も、最初からこんな大層な作戦に参加したくてしたわけじゃない。
カオリさんたちに流されただけよ……」
ユーリは、自らの正当性を必死に主張するように、消え入りそうな声で言い訳を口にした。だが、その言葉がソウの逆鱗に触れた。
「なるほどね。自分は直接人を殺していません、ただ横で殴る蹴るの暴行に加担しただけだから刑を減刑してください、か?
バカだね。
そんな加害者特有の甘ったれた理屈が、この世界で通じると思わないことだね。
お前たちは、前崎総統が施してくれた最大限の温情を、これで何度踏みにじれば気が済むんだ」
それは、かつて同じ戦線を潜り抜けた『仲間』に向けられる言葉ではなかった。
だが、それほどまでに今のソウは、世界の再生を邪魔し、自分勝手に破滅の泥舟へ飛び込んだかつての友人たちの身勝手な態度に、烈火のごとき怒りを覚えていたのだ。
「……」
これ以上の対話の余地がないことを悟り、ユーリはただ深く、深く俯いて雨に濡れた床を見つめるしかなかった。
「ユーリちゃん」
見かねたアリアが、そっとユーリの冷え切った手に自らの温もりを重ねる。
「もう、あのアダルトレジスタンスの時代のことはもう忘れよう。
心の底から誓える? もう二度と逆らわないって」
ユーリは、一切のプライドを捨て、無言のまま何度も深く頷いた。
「よかった。……私からも、前崎さんには上手く話しておくわ。
大丈夫、総統の慈悲の深さはあなたが一番よく知っているでしょう?
きっと、なんとかなるわよ」
アリアの優しくも、完全に管理側の人間としての響きを持つ言葉に導かれ、二人は完全に武装を解除された『囚人』として、夜の闇へと連行されていった。
時を同じくして、秋葉原の迷路のような裏路地に逃げ込んでいた黒岩とマスミの元にも、容赦のない終焉の手が伸びていた。
「ぐっ……、あ……ッ!!」
「黒岩さん!!」
マスミの悲痛な叫び声が、湿った路地裏に木霊した。
「大人しく抵抗を止めれば、命までは奪うなと指示されている。
……そうだろ、エルマー『副総統』?」
背後から黒岩を容赦なく組み伏せ、その頭部へ向けて冷たい銃口を突き立てていたのは、かつて国際犯罪組織でもある『ロス・カタス』のシカリオとして恐れられたリーダー、ラスカノだった。
ラスカノの首元には、前崎のシステムと直結した、生殺与奪の権を握る電子首輪がすでに強固に装着されている。
「うん。そんな感じでいいよ。あまり手荒に扱って、脳のデータを破損させたら前崎さんに怒られちゃうからね」
一歩前へと歩み出たエルマーは、か弱い女の子一人を容易く圧殺できるほどの、禍々しい重量感を放つ『新型・特機化神経外骨格』にその身を包んでいた。
冷酷な電子の輝きが、路地の暗闇の中でマスミを完全な射程に捉えている。
エルマーの全身を強固に包む軍事用の怪物骨格を前に、マスミが身に纏う薄型かつ旧式の簡易神経外骨格など、おもちゃ同然のゴミ屑に等しかった。何かができるはずもなかった。
エルマーは無表情のまま、その巨大な機械の駆動腕でマスミの華奢な身体を片手で軽々と掴み上げると、肉体を固定したまま、彼女の骨格フレームの基幹部分に物理的な圧力を加えた。
メキメキ、バキィッ!! という不快な破壊音。
「痛っ……、あぁッ……!!」
神経外骨格の安全リミッターを無視して粉砕された硬質プラスチックと金属の破片が、マスミの柔らかい肌に深く突き刺さり、鮮血が衣服を赤く染めていく。
「さぁ、これで残党のネズミたちも、あと残すところ僅か数人だね」
エルマーは、手のひらの中で苦痛に身をよじるマスミを玩具のように見下ろしながら、興味を失ったように冷たく呟いた。
「残りの処理は、彼ら『Hound』の物量に任せるよ。
もう大人しくしてほしいからね」
暗黒の包囲網は、逃げ場を失った最後のテロリストたちを完全に圧殺すべく、今度こそ完璧に閉じようとしていた。
激しい雨がフロントガラスを叩く夜の国道。
憐れな敗走を続けていたカオリと怜のハイエースの前に、それは突如として、悪魔のように立ちはだかった。
サイボーグこと銀次。
回避の猶予すら与えられず、銀次の放ったエネルギーブレードの極大の光刃が、闇夜を両断した。
一瞬の閃光。凄まじい金属の烈音と共に、ハイエースは車体の中心線から真っ二つに叩き切られた。
慣性を失った鉄の塊が左右に泣き別れ、激しく火花を散らしてアスファルトへと転がる。
怜とカオリは、防護の殻を呆気なく奪われ、冷たい土砂降りの雨の中にその身を無残に晒されることとなった。
「――抵抗は無意味だ。大人しく従え。命だけは可能な限り奪うなと、総統から命令されている」
叩きつける雨を浴び、鈍い金属光沢を放つサイボーグの人工肉体を露わにしながら、銀司は怜の腹を蹴り飛ばす。
「ぐふっ!!」
「……よくも高速道路ではやってくれたな。おかげで俺は組織の笑いものだ」
その声には、生物としての感情が一切排除されていた。
もう終わりだ。
ユーリにも言われ、作戦も失敗し心が折れかけて泣き崩れそうになっていたカオリだったが、迫る終焉を前に、最後の本能が動いた。
手元にあるナイフを手に取る。
泥塗れになりながらも、なお何か抵抗の手を試みようと、震える腕を伸ばす。
しかし、そのささやかな抵抗は、背後から音もなく忍び寄った影によって一瞬で圧殺された。
「ダメっすよ。今さら何をやっているんすか?」
軽薄な、しかし心底冷え切った声。
背後に立っていた符宵の手のひらから、至近距離で強烈な衝撃波が放たれた。
ドン、と鈍い衝撃がカオリの首筋を打ち、彼女は声を上げることもできず、糸の切れた人形のように泥水の中へと意識を失って倒れ込んだ。
「……チッ。できればここで二人とも息の根を止めて、あのジュウシロウという奴に、こいつらの無惨な死体を特等席で見せてやりたかったのだがな。
借りを返したかった」
銀次はブレードの出力を下げながら、昏倒した二人を睨み、忌々しげに本音を吐き捨てた。
「相変わらず悪趣味っすねえ、銀次さんは。
別にいいでしょ?
文句を言わずにお仕事をとっとと終わらせましょう?」
符宵は肩をすくめると、一切の労を惜しむように、気絶したカオリと戦意を完全に喪失した怜の身体を、まるで屠殺場へ運ぶ家畜のように引きずりながら、闇に待機していた回収車へと連れて行った。
こうして、地上の反乱分子たちは一人、また一人と完璧にハントされ、前崎に跪かされていった。
――しかし。これほどまでに完璧な残党狩りが全土で繰り広げられているにもかかわらず、システムの全リソースを以てしても、日本最強の軍人の坂上の行方だけは、未だ一切の足取りを掴めないまま、不気味に隠蔽され続けていた。




