File:100 脳死判定
ケンは、人型の骨格を歪な四肢へと組み替えるかのように、地を這う四足歩行の姿勢へと不自然に身を転じさせた。
メリケンサックから高出力のエネルギーブレードが咆哮を上げて伸長し、その狂刃が前崎の肉肉しい生命線を正確に刈り取りにいく。
前崎がそれを紙一重で躱し、後方へ跳躍すれば、今度は退路を塞ぐように色付きのペルディータたちから極大の熱線レーザーが容赦なく降り注ぐ。
これほどの苛烈な連撃を、ただの生身の肉体で凌ぎ、躱し続ける前崎の戦闘機動は、すでに人間の限界値など遥かに超越していた。
だが、正面からの格闘戦と上空からの蹂躙という「点と面」の同時波状攻撃だ。
いずれ限界を迎え、捕まる。
それは傍目から見ても時間の問題であるはずだった。
『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……!!』
前衛に立つ純白の『ペルディータ1』の外部スピーカーから、割れた電子音とともに響くのは、幼子のものとは思えぬおぞましい呪詛の塊だった。
前崎が中国の地から帰還するまでの、わずか10時間。
この極短時間の空白の中で、一体何が行われたというのか。
ケンのアイディア自体は単純にリョータたちを味方につければいいという程度のものだった。
ケンの発案とはいえ、一ノ瀬たちが子供たちの脳に刻み込んだ精神汚職の深さは、ケンの予想を完全に狂わせていた。
(一ノ瀬殿……。元公安だけあってやり方がエゲツないですね。
何をやったんでしょう?相変わらず腹黒い人ですね)
ケンが冷徹に戦況を分析していたその時、憎悪に狂うペルディータ1が、これ以上の猶予は無意味とばかりに、残されたエネルギーの5割を一挙に解放した。
国会議事堂の瓦礫の周囲に強固なエネルギーの障壁を展開し、前崎を絶対逃亡不可能な「鳥かご」へと幽閉する。
そして、収束された最大出力のレーザーが一点に放たれた。
『死ねええええ!! 前崎イイイイイ!!』
純白の死神が放った極大の熱線は、夜空を白銀に染め上げ、すでに半壊していた国会議事堂諸共今度こそ跡形もなく融解させ、その中心にいた前崎の肉体を完全に蒸発させた――はずだった。
だが、噴き上げる白煙を割って、ゆっくりと歩み出てきたのは、衣服が僅かに煤け、焦げた程度の前崎の姿だった。
『な……にぃ……!?』
リョータの絶叫が通信回線を震わせる。
パン、パン、と前崎は生還の驚きなど微塵も感じさせない仕草で、スーツについた灰を軽く払った。
そして、信じがたいものを見るかのように硬直しているペルディータ1へと、極めて穏やかな、慈愛に満ちた視線を向け直す。
「リョータ。……過酷な環境で、よく耐えたな。本当に苦しかったろう」
その声には、冷徹な独裁者のものではなく、傷ついた我が子を包み込む「父親」の響きがあった。
「安心しろ。大丈夫だ。
俺はお前たちを一度も裏切っていないし、今でもお前たちの味方だ。
……俺に銃口を向けたこともすべて許してやる。
今すぐその地獄から助け出してやるから、そこで待っていなさい」
『え……あ……お父さん……?』
ペルディータ1の駆動がガチリと止まる。
システムの奥深くに幽閉されていたリョータの幼い心が、明確に激しく揺らいだ。
子供の精神は脆く、そして移ろいやすい。
恐怖によるマインドコントロールを施したのが一ノ瀬であるならば、その解除コードとしてキーワードとして元々子どもたちに刻み込んでいた「父親」という絶対的な記号を用いて、考えに矛盾を起こさせることなど前崎にとって造作もないことだった。
そして前崎は、リョータの心に生じたその「一瞬の動揺」を、絶対に見逃さなかった。
ドン、と足元のコンクリートを爆沈させ、前崎は神速の踏み込みでペルディータ1の懐へと肉薄した。
リョータが防衛行動をとるよりも早く、その指先に握られた戦闘用ナイフが、純白の装甲を容易く貫き、中枢である「コア」へと深々と突き刺さる。
直後、コアの臨界突破による凄まじい大爆発が前崎を至近距離で包み込んだ。
だが、爆炎が晴れたそこに立つ前崎の皮膚には、裂傷ひとつ、火傷ひとつとして存在していなかった。
ケンの黄金の面が、驚愕に歪む。
「……なるほど。前崎、あなたは……シュウ殿やジュウシロウ殿と同じく、自身の肉体を細胞単位で変質させているのですね……!
シュウの肉体を治療と偽ってデータを取った……!!」
「あんな、ただの出来損ないの癌細胞と自爆因子を引き起こした欠陥品と一緒にするな。
アレイスターの失敗作さ。奴らは」
前崎は爆炎の残滓を浴びながら、冷淡に首を振った。
「俺の超再生・超高質化は、あんな不完全なものとは根本的に次元が違う。
しかも治療してやったのにあいつは裏切ったんだ。
恩知らずにもほどがある」
前崎の言葉と同時に、彼の右腕の細胞が金属をも凌駕する密度へと硬質化した。
鞭のようにしなったその一撃が、隣接していた別のペルディータの胸部を文字通り消し飛ばし、内部のコアを瞬時に圧壊させる。
「まあ……言うなれば、クローン兵の精製技術を極限まで突き詰めた、生命の『究極系』だな。
人類がどれだけ時間をかけようとも、到底辿り着くことのできない神域の境地だ」
「……まるで、自らが世界の神にでもなったかのような口ぶりですね」
「あぁ、そうだ。
迷走し、自滅の道を歩むだけの愚かな日本人どもを、正しい方向へ導くという絶対的な自負が、この俺にはある」
言い終えるよりも早く、前崎の肉体がケンの眼前へ肉薄していた。
防御の姿勢をとることすら許されず、ケンの右腕は前崎の手によって、まるで枯れ枝のようにあっけなくへし折られた。
「がぁあああああッ……!?」
痛みに身をよじるケンの膝裏へ、前崎の無慈悲な関節蹴りが炸裂する。
骨が砕ける嫌な音が響き、バランスを崩して崩落しかけたケンの左脚を、容赦ない踏みつけが完全に粉砕した。
瞬く間に右腕と左脚の機能を喪失し、血の海に伏したケンの髪を、前崎は乱暴に掴み上げて強引にその顔を持ち上げる。
「ケン、一つ現実を教えてやる。
この世のすべてが『生まれ』で決まるというのは、確かに間違いだ。
だが、生まれ持った環境によって、その後の人生の有利不利が最初から決定づけられているというのは――覆しようのない厳然たる事実だ」
ケンは死に物狂いで残った左腕の武器を振るおうとしたが、前崎の冷徹なカウンターがそれを遥かに上回る速度で顎を捉えた。
意識が完全に暗転しない絶妙な手加減を保ったまま、ケンの顔面の骨を陥没させる強烈な衝撃が走る。
「ぐっ……!! あ、が……っ」
「俺の生い立ちも知っているだろうが、俺も元は施設上がりだ。
幸運にも、中国の富豪に拾われ、そこでは並の家庭よりも遥かに贅沢で高度な教育を受けさせてもらった。
そのことには今でも心から感謝している」
前崎の無慈悲な拳が、今度はケンの無防備な腹部へと深く突き刺さる。
内臓を破裂させるかのような衝撃に、ケンはもはや、抵抗する肉体的な勇気すら根こそぎへし折られていた。
「であるならば、人生のすべては単なる『運の偏り』という見方もできる。
確かにそれも一理あるだろう。
……だからこそ、俺はそういった理不尽な不確定要素を、この世界から限りなくゼロにしようと考えているんだ」
前崎はゴミ屑でも捨てるかのように、ケンを地面へと手荒に放り投げた。
ケンの意識が混濁し、簡単には立ち上がれないことを確認すると、前崎は残る6機のペルディータたちへ視線を向けた。
神速の機動とも言えるペルディータの動きに全く遅れを取らない前崎の動き。
『うわぁぁぁぁ!!』
ショータが思わず死への恐怖から銃口を向ける。
だが前崎は銃口を手で潰して「大丈夫だ」といい、コアを引き抜いた。
そのまま様子を見ていたアオイはそのまま抵抗することなく、突っ立っていた。
「ありがとうな」
そういって前崎は容赦なくコアを破壊した。
死神と恐れられた自律兵器群は、前崎の硬質化した四肢の前になす術もなく、文字通り紙細工のように次々と破壊され、ただの冷たい鉄のガラクタへと変えられていった。
やがて、ケンが血反吐を吐きながら、死に物狂いでその上体を起こしたときには、議事堂の前庭を埋め尽くしていたペルディータは一機残らず、物言わぬ残骸と化していた。
「……あ、あいつらは、また培養槽で……生き返るんですか……?」
ケンが途切れ途切れの声で、絶望を堪えながら問う。
「いや。こいつらは二度と生き返らない」
前崎は残骸を見下ろしたまま、冷酷に言い切った。
「お前たちのようなクズに簡単に兵器転用され、俺のシステムに牙を剥く程度の脆弱な精神なのであれば、ここで完全に処理しておくのが妥当だ。
せっかく調整した彼らの脳が、これ以上お前たちの手で醜く精神汚染されてはたまらないからな」
そもそもアダルトレジスタンス時代、リョータやショータは、紛れもなくケンの忠実な部下であり、弟分であった子供たちだ。
それなのに、この目の前の男は、彼らの命をただの『汚染されたパーツ』として、あっけなく切り捨てたのだ。
もちろん自分がそんな提案を一ノ瀬たちにしたのが原因だったのは十分に自覚している。
それでも……!!
「この……クソ野郎が……っ!!」
怒りと屈辱に駆られ、残った左腕で切りつけようとしたケンだったが、その顎を、前崎の容赦ないアッパーカットのような蹴り上げが容赦なく粉砕した。
「ガキを道具にして洗脳工作を働いたお前たちが、どの口でそれを言う」
前崎は冷ややかに言い放つと、ケンの残された両腕を完全に踏みつぶし、その胸部へと馬乗りになった。
「さて。もうお前たちの小細工には飽きた。
正直、もはや手間を増やすだけの面倒な存在だ。
ここで終わりにしよう」
前崎は、衣服のポケットから極薄の、奇妙な金属繊維で編まれたグローブを取り出し、それを右手に滑らかにはめ込んだ。
そして、身動きの取れないケンの頭部を、万力のような力で掴む。
それでも、ケンは視線を逸らさなかった。
自身の死が確定したこの瞬間でも、彼の眼眸には微かな希望の光が残っている。
なぜなら、中国の大陸のどこかに、まだ前崎の知らない自分の意識バックアップとクローンの器が隠されていることを、確信しているからだ。
自分はここで死んでも、また別の場所で前崎を破滅させるために這い出てくる。
「……こんなところで、私を殺し尽くしたと思うなッ……!!
私はまた、クローンの器から這い出て、お前の作る世界を地獄に……っ!!」
ケンの不敵な笑みを見つめながら、前崎の唇が、酷く歪んだ弧を描いた。
「……お前、医療における『脳死判定』の定義を知っているか?
脳の機能が完全に停止していても、システムのサポートがあれば、肉体としては『生きている』状態が成り立つんだよ」
「何を……!?」
ケンの顔から、初めて本物の「理解できない恐怖」によって血の気が引いていく。
前崎がはめた極薄のグローブから、不気味な高周波の駆動音とともに、ケンの頭蓋へ向けて超高密度のマイクロ波が一点照射された。
これこそが、前崎が開発した、クローン転生技術を逆手に取った『アンチ・クローン兵兵器』の最終回答。
人間の意識データが別の器へと転送されるトリガーは、本人の「完全な心停止」または「生物学的な死亡確定」の瞬間にネットワークへ送信されるシグナルにある。
ならば、心臓を生かしたまま、脳の全機能をマイクロ波で完全に融解させて『脳死状態』にすればどうなるか。
システム上は「生きた状態」が維持されるため、クローンのバックアップが覚醒するシグナルは永久に発信されない。
あとはその肉体を、絶対零度のカプセルで永久に冷凍保管すれば、死亡判定を出さずに、魂を永遠にその肉体へ監禁することができる。
それにそんなことをしなくても死亡時に脳から発せられる微弱な電波のようなものを拾って死亡判定はでるので脳を壊した後で脳を破壊すれば全く問題ない。
転生などという真似は、二度と不可能なのだ。
「じゃあな、ケン。
お前とは仲良くできると思っていたのだがな」
マイクロ波の照射が完了した瞬間、ケンの眼眸から一切の光彩が消失した。
心臓だけが不気味に一定の拍動を刻む中、完全に思考の光を失い、目を見開いたまま物言わぬ人形となったケンの瞼を、前崎はそっと、憐れみを込めて閉じた。
その後、ペルディータの黒い影がケンを覆った。
360°の一斉掃射。
前崎は振り返ることすらしなかった。




