File:099 反逆
極大の熱線レーザーによって文字通り縦横に炙られ、熔解していく国会議事堂。
その崩落する瓦礫の隙間から、前崎は煤み、引き裂かれた高級スーツのまま、超人的な身のこなしで這い出した。
正直なところ、肉体を一つ失ったところで彼にとっては些事であり、どうでもいいことだった。
中国の秘密拠点を始めとしてまだ幾つものクローン肉体のストックがある。
この己の頭脳とシステムさえ健在であれば、新興宗教の設立から国家の乗っ取り、あるいはテロ組織の使役に至るまで、いかなる盤面の覆しも可能であるという絶対的な確信が彼にはあった。
ただ、今の前崎が予想外だったのは、自らの想定を完全に裏切ったこの「現状」だった。
煤煙が立ち込める議事堂の前庭。
そこに、前崎が計画の要として、ある種の歪んだ慈愛を持って、とりわけ「かわいがってきた」はずの特別なペルディータたちが佇んでいた。
「リョータ。ショータ。アオイ。……お前たちまで、俺を裏切ったのか?」
子供を叱りつける親のような、威圧と冷徹さを孕んだ声で前崎が問いかける。
だが、純黒の機体のスピーカーから返ってきたのは、牙を剥く狂犬の遠吠えなどではなく、幼い子供のすすり泣きに酷似した、絶望的な音声シグナルだった。
『ごめんなさい……。パパ、ごめんなさい……。逆らえなくて……痛くて、怖くて……』
アオイと呼ばれた機体が、恐怖に震えながら謝罪を口にする。
前崎の頭脳をしても、その言葉の意味が、そして何が起きているのかが瞬時に理解できなかった。
「……状況が掴めない、という顔ですね?」
その時、背後の濃霧から、何の手応えもなくスッと姿を現したのはケンだった。
黄金の猿の面が、炎上する議事堂の光を反射して不気味に揺れる。
「いいですよ。
教えて差し上げましょう」
ケンは冷たく微笑む気配を漂わせ、語り始めた。
思考を焼かれ、システムのマニュアル通りにしか動かないHoundたちとは違い、この『色付きペルディータ』に接続されている意識の正体は、かつて前崎の手によって壊滅させられた「アダルトレジスタンス」の、元子供たちだった。
それは、かつて公安と自衛隊によるSG共同襲撃作戦の際、前崎が「子供だから」という理由で躊躇することなく、ショットガンのスラグ弾によってその肉体と意識を強制的に切断したことが発端である。
運がいいことに数人の意識のバックアップがSG後から残っており何とか回収した。
いくら前崎とはいえ、罪もない子どもを殺したことは罪悪感があった。
せめてもの「罪滅ぼし」として、バックアップが残っていた彼らを将来、完全適応できる極限の肉体を得るための猶予期間として、ペルディータの機体に乗せて現実空間で遊ばせ、バーチャル空間で遊ばせたり勉強させたりした。
バーチャル空間は王天堂のフルダイブ型ハードウェア『Outendo Dive』の制作段階で世界にリリースされる前から彼らはそこにいた。
いわば、βテスターとして存在していた。
ここで言う「完全適応する肉体」とは、Houndのような妥協の産物ではない。
Houndの量産体は、オリジナル100人の遺伝子を限界までデッドコピーした、いわば機能最優先の「劣化コピー」に過ぎないからだ。
しかし、そのシステムが一部の「弱者」にとって救済であったのも事実だ。
たとえば、生まれ持った肉体の限界に絶望していた女性が、男性の強靭な肉体機能を手に入れれば、それは人生が一変するほどの万能感をもたらす。
実際、Hound<No.34>こと「桃井春奈」はその象徴だった。
かつて女子陸上界である程度優秀止まりだった彼女は、前崎のシステムによって最高効率に調整された男性の肉体機能を手に入れ、戦場で無双の力を発揮した。
持たざる者がすべてを手に入れる、文字通りの夢物語。
だからこそ、Houndのオリジナル構成員には、現実世界で力を持たなかった女性が「7割」という奇妙な高比率を占めていた(中には、精神の変調を防ぐため、見た目まで完全に男性の肉体へ適合させた者もいた)。
もちろん、いわゆる「弱者男性」と呼ばれる層も含まれてはいたが、女性の持つハングリー精神や変革への適合力に比べれば、組織論としては驚くほど使えなかった。
リョータが日本でホテル『コンコルディア』よりシカリオ討伐の際にHoundが使えないと言っていたのは前崎が男性メインで試験的に陣形を組んだからである。
よって今後Houndで男性は利用しない。
それが、前崎が下したデータ評価の結果である。
だが、レジスタンスの「子供たち」は、彼らとは別枠の、不可侵の存在だった。
前崎は彼らに対し、妥協を一切排除した最高峰の肉体を提供しようとしていた。
だからこそ、その前段階の環境としてペルディータの超高機動に脳を同期させ、高度な肉体制御を学ばせ、インターネットに常時接続させて精神のコミュニケーション能力を育ませていたのだ。
彼らが一流のサッカー選手、野球選手、有名な会社に所属、起業家になりたいと願ってもいとも簡単に体現できるほどに。
しかし――その「コミュニケーションの場」こそが、今回ケンたちが突いた致命的なセキュリティホールだった。
先ほども話したように前崎は、子供たちに健やかな精神を保たせるため、王天堂のフルダイブ型ハードウェア『Outendo Dive』の仮想空間内で、同世代の一般の子供たちとオンラインゲームをさせ、自由に遊ばせていた。
そこに、反逆の思想を持ったケンたちが侵入したのだ。
操作にそこまで難がないシュウ、そして一ノ瀬を引き連れ、アバターを偽装してゲームの世界へと潜入し、リョータたちに接触した。
(シュウは作戦に乗り気ではなかったが、一応作戦にはついてきていた。
そしてケンの作戦から参加した)
そして、徹底的な「恐喝」と「精神汚職」を開始したのだ。
一ノ瀬は、かつて公安が裏の尋問で用いていた、人間の精神を最も効率的に破壊する暗黒の拷問心理術を躊躇なくアバターに適用した。
子供たちの間で誰が誰を裏切っているかという不信感を煽り、前崎がお前たちを肉体の実験体にしようとしているというネガティブな偽情報を脳へ直接吹き込み、仮想空間内でお互いを残虐に殺し合わせるよう誘導した。
電子の箱庭で行われた、おぞましき洗脳工作でもある。
その一方で、現実世界での物理的な工作も完遂されていた。
京都にある王天堂の本社ビルへと乗り込み、開発ルートの開示を要求して脅迫を行ったのは、坂上を中心とするメンバーたちだった。
彼らは、今や政府崩壊によって紙切れも同然となった、しかし一般企業相手ならいまだに絶大な威圧感を持つ「自衛隊特務班」の名刺を突きつけた。
王天堂の経営陣の聞き分けは、恐ろしいほどに早かった。
すぐに地下の基幹サーバーへと案内された。
彼らは冷淡にこう語った。
目先の利益に目が眩み、フルダイブ技術を軍事転用された時点で、いずれこのような事態(脳の直接ハッキングや恐喝)が起こる予測はできていた。
だが、それは利用する当事者同士の問題であり、メーカーの関知するところではない、と。
そうして坂上たちは、リョータたちの脳が実際に接続されている物理的な「ハードウェア(Dive本体)」の設置場所を特定した。
それは驚くべきことに、東京・秋葉原の片隅――かつて前崎たちの敵であった『Mr.オスカー』の、元隠れ家の地下だった。
前崎が中国から帰還する直前まで、黒岩やジュウシロウたちは、まさに灯台下暗しと言うべきその場所で静かに息をひそめ、子供たちの脳の同調システムを書き換えていたのだ。
そこでリョータたちを完全にその現実に目を覚まして抵抗されないようにハッキングに精通していた元前崎班の山本まで連れ出して、ゲームの電源やリョータたちがいるシステムから安全解除装置を完全に引き抜いた。
ちなみに、坂上たちが京都の王天堂本社でハッキングを行っていた際、ペルディータたちによる超高度網羅監視ネットワークに一切検知されなかったのには理由があった。
王天堂の地下深くには、前崎すら存在を知らなかった「完全遮断式電波防護室」が存在していたのだ。
それは、世界的な一流企業としてのインサイダー情報や知的財産、コンプライアンスを絶対的に死守するため、同社が一切公表していなかった超高密度の電磁シールド技術の一つだった。
要するに、前崎の完璧な統治は、現実(秋葉原の拠点と京都の防護室)と、ゲーム内(一ノ瀬による精神拷問)の両面から、完璧に切り崩されていたのだ。
ペルディータを操る子供たちは、逃げ場のない仮想空間で極限まで脅迫され、仲間同士で殺し合わされた果てに精神を完全に掌握され、その復讐の牙を、唯一の依存先であった「前崎」へと向けさせられたのである。
それでもアオイは何をどう信じていいかわからず泣いていたが、他の2人からはおぞましいほどの怒りを感じる。
他の色付きの機体もそうだ。
公安のそんな技術をまさか子ども相手にするとは。
「クズめ」
吐き捨てるような前崎の言葉には、計画を狂わされたことへの苛立ち以上に、子供の精神を蹂躙した者への純粋な嫌悪が冷たく宿っていた。
「なんとでも。ですが、あなたにだけは言われたくないですよ」
ジャキン、と硬質な金属音を響かせ、ケンは衣服の奥から一対の禍々しいメリケンサックを引き抜き、その拳へと装着した。
「あなたが大陸に渡り、中国政府の最高指導者たちを暗殺して全員クローンの影武者に挿げ替えたという、あの狂気的な国家侵略に比べれば、我々の工作など可愛いものでしょう?」
「……何のことだ?」
前崎は無表情を崩さなかったが、その内心には未曾有の激震が走っていた。
(どうしてこいつがその事実を知っている?
露見せぬよう、情報網には何重ものプロテクトをかけ、こいつらは日本国内の盤面に釘付けにしておいたはずだ――)
「とぼけても無駄です。
私はね、最高指導者である梁智衡と、個人的なルートで定期的に独自の暗号通信を行っていたのですよ。
それが、ある日だけぱったりと無くなりました
ケンは前崎から一瞬たりとも視線を外さず、一歩、また一歩と間合いを詰めていく。
「それだけではありません。
突然発表された、中国側の一方的な不利益とも言えるほどの異常な日本優遇措置。
かつて日本側へ寝返ったはずの暗殺者、符宵の不可解な中国入国履歴。
そして何より、あなたが中国からこの『ペルディータ』の大群と、自身の強固なバックアップを携えて再び日本へ舞い戻ってきたという事実そのものが、何よりの動かぬ証拠です。
……真実を受け止めるのには、流石の私も少々時間を要しましたがね。
だが、あなたならやりかねないと思いましたがね」
「……なるほどな。
妄想もここまで肥大化すれば、甚だしいを通り越して感心すら覚える」
「まだ白を切り通しますか?
それなら付け加えておきましょう。
あちらの同志から、北京の人民大会堂の奥深くで、あなたが隠蔽しきれていなかった不自然な『微量血痕』が採取されたと報告が入っています。
……そのDNA鑑定の結果、血の海を作った被害者は誰か教えましょうか?」
「いや……」
いくら符宵でも完全隠蔽は無理だったか。
まあそれでもいい。
そこまで完全に退路を断たれ、前崎は小さく息を吐いた。
自身の傲慢な笑みを消し去り、ただの冷徹な獣の目でケンを睨み据える。
「もうすべてが露見しているというのなら、これ以上の釈明も無意味か」
前崎の右手が滑らかに動き、その指先には戦闘用ナイフの鈍い銀光が握られていた。
ペルディータの包囲網、そして目の前のケンという、圧倒的な数的・物理的不利に立たされてなお、彼の眼眸から生存の意志は一滴も失われていない。
「さて、前崎。私が『メタトロン』のシステムから受け継いだ超人的な知識と戦闘マニュアル――それが元々、どこの国の、誰の遺伝子に由来するものだったか、あなたなら当然覚えていますよね?」
「あぁ。オリジナルはお前の故郷を潰した中国人民解放軍30人の記憶だろ?」
その肯定を聞いた瞬間、ケンの全身から、周囲の空気を物理的に歪ませるほどの凄まじい「憎悪」の波動が噴き出した。
金の猿の面の下で、彼の呼吸が復讐の業火となって燃え盛る。
「让铁锤狠狠落下,玷污我们国家的敌人ッ!!(我が国を穢した敵に、死の鉄槌を下せッ!!)」
「……もうお前の国は俺のものだ。
諦めろ」
中国語の血を吐くような咆哮。
それと同時に、ケンの肉体は爆発的な踏み込みで地を割り、精神を掌握された色付きの死神『ペルディータ』たちの極大レーザーの雨と共に、前崎の視界のすべてを奪う神速で飛び掛かった。




