File:098 マイルドな独裁
空を黒く染めた純白の死神『ペルディータ』の群れが、日本全土の主要拠点へと音もなく舞い降りた。
それは単なる物理的な軍事占領ではなかった。
前崎の構築した超高度AIネットワークは、街頭のデモ活動家から、インターネットの片隅で反意を呟く匿名アカウント、さらにはSNS上の極めて些細な批判的投稿に至るまで、あらゆるデジタルログを瞬時に解析。
全国民の個人情報を寸分の狂いもなく特定し、その活動を物理的に無力化していった。
ジュウシロウたちの手によって破壊されたはずの「更生施設」は、大陸から搬入されたクローン労働力と資材によって、わずか数日でその粗方が修復・拡張されていた。
(日本という国家が真に変革を受け入れ、落ち着くまでの間、奴ら反乱分子には一旦大人しくしてもらう)
人権をはじめとする基本的人権の枠組みは、建前上は認める。
だが、それは前崎の描く「新社会の構築」を邪魔しないという絶対条件のうえに成り立つ特権だ。
日本中で、突如日常を奪われた人々の悲鳴に酷似した声が上がった。
しかし、前崎はこれを「拉致」とは呼ばず、新政府による「保護」と定義した。
逆らう者を確実に隔離し、従順なサイレントマジョリティに徹底的な生存保障を与えることで、恐怖と安泰の入り混じった奇妙な世論は、徐々に、しかし確実に前崎の方へと傾き始めていた。
だが、これほど完璧な情報網を敷きながらも、前崎の冷徹な思考に唯一の焦燥を生じさせている事実があった。
彼が最も警戒していた「アダルトレジスタンス」の元中心メンバー、そして公安や自衛隊の武装残党たちの姿が、日本全土のどこを探しても全く見当たらないのだ。
「……どういうことだ? 奴ら、ペルディータの目を欺くほどの高度なステルス迷彩でも隠匿しているのか?」
ペルディータの網膜に備えられた、ビル内すべてを見通す『X線広域スキャン』を幾度となく照射しても、彼らの生体反応は微塵も浮上してこない。
「……あり得るとすれば、都市の地下、あるいは天然の洞窟群だが」
地下深くの岩盤や地下に籠もられているとすれば、力任せにペルディータを暴れさせた場合、都市機能の崩落を招く危険性がある。
さすがの前崎とて、自らの再興すべき国土において、これから管理下に置くべき「罪なき一般国民」を巻き添えにして殺すわけにはいかなかった。
だが出入口はすでに完全に包囲し、文字通り塞いだ。
少なくとも、すべての元凶が集まる東京都内に関しては。
そして、天空城でもある『SGⅡ』の地上プラットホームが、現在進行形でテロリスト集団に包囲されている可能性も否定はできない。
であるならば、小細工など不要。
接近する不審物は、撃ち落とす勢いでペルディータの超高出力レーザーによって穴だらけにしてしまえばいいだけだ。
すでに世界の工場、そして最大の軍事資源国家たる中国は私の手にある。
物量も、資金も、技術も、もはや無限だ。
あとは日本創世のための最終的な下準備を進めるのみ。
前崎はペルディータの機体にその身を委ね、厳重に警備された国会議事堂へと堂々と入り込んだ。
直後、SNS、地上波のテレビ中継、ラジオ、電信柱の街頭ビジョンに至るまで、ありとあらゆる通信媒体が強制的にジャックされ、一本の動画が日本全土、そして世界へと同時中継された。
前崎英二による、国民に向けた緊急電波ジャック演説である。
画面に映し出されたのは、議員が一人もいない、静寂に包まれた国会議事堂の壇上にただ独りで立つ前崎の姿だった。
『さて。ごきげんよう、日本国民の皆様。
本日、こうして皆様の前に姿を現したのは、他でもありません。
我が国が直面していたあらゆる閉塞感を打破する、偉大な成果を報告するためです。
我々は、隣国である中国との間に、これまでにない極めて親密かつ強固な友好同盟を結ぶことに成功しました。
今後、エネルギー資源から食料、航空インフラに至るまで、何から何まで我が国が最優先で融通してもらえる約束を取り付けてあります。
これほどの優遇措置を勝ち取れたのは、偏に私に対して深い理解と協力を示してくださった、国民の皆様の理性的で賢明な選択があったからに他なりません』
彼は原稿を見ることもなく、カメラの向こうの数千万人の瞳を射抜くように演説を続ける。
『私は今後、この日本を世界最大の、そして人類史上最高峰の「学術都市国家」へと創生するつもりです。
その至高の理想を成し遂げるためであれば、私はこの国を、停滞を望むいかなる手段を使ってでも、邪魔するすべての不適合者を容赦なく滅ぼしましょう。
そのための布石として、私は既得権益の巣窟であった道州制の強制導入を行い、富を独占する不動産勢力への弾圧を断行してきました。
今後は、富の固定化を防ぐべく、相続税をはじめとした各種税制に関しても、抜本的な修正を施すつもりです。
そして真に人間というものが評価されるために信用スコアシステムの導入を行います。
私がただの理想論者ではなく、言ったことをすべて瞬時に実行してきた男であることは、皆様が一番よく理解しているはずだと思います』
そこで前崎は冷酷に目を細め、画面を切り替えた。
演説画面の横に、20人ほどの男女の顔写真と詳細なプロフィールが、おぞましい赤文字とともに表示される。
ジュウシロウ、カオリ、黒岩、坂上――。
前崎の絶対秩序に牙を剥いた、国家反逆テロリストたちのデータだった。
『さて。ここに提示した者たちは、この国が歩むべき輝かしい未来に泥を塗り、秩序を乱したテロ行為の首謀者たちです。
本日をもって、この首謀者たちの身柄に対して、国家規模の賞金を懸けることを宣言します』
それぞれの顔写真の下に、天文学的な数字が躍る。
最重要指名手配犯として、最大で「1億円」の賞金がその首に提示されているものもいた。
『彼らに関する些細な目撃情報、あるいは些細な違和感を報告していただくだけでも、国家からそれ相応の莫大な謝礼を約束しましょう。
ただし、我々の捜査を混乱させるような、虚偽の通報は決して許しません。
相応の罰を与えます。
では、国民の皆様。すべては、真に美しく、強い、よき日本を創るために。
私と共にご協力をお願いします』
冷徹な微笑を最後に残し、画面は突如として元の画面へと戻った。
静まり返る日本全土に、前崎という絶対的な神がもたらした、圧倒的な恐怖と「賞金稼ぎ」という名の、欲望の渦が広がり始めていた。
電波ジャックから数時間も経たぬうちに、日本の街を行き交う国民の目は、理性を失った飢えた獣のそれへと変貌していた。
前崎は演説の裏で、事前に国民のタイムラインへ「テロリストどもは地下のような施設や人が近づかない場所へ潜伏している可能性が高い」という、もっともらしいフェイクニュースを巧妙に流布させていた。
効果は絶大だった。
一攫千金のワンチャンスを盲信する数百万の国民が、スマホの画面を凝視しながら、全国の森林、天然の洞窟、僻地の離島に至るまで、ありとあらゆる死角をしらみつぶしに捜索し始めたのだ。
国家そのものが、前崎の手のひらの上で巨大な「賞金稼ぎのゲーム盤」と化していた。
「……実に愚かだな」
国会議事堂のモニターに映し出される、金と欲望に躍らされて慌てふためく国民の群相を眺めながら、前崎は鼻で冷たく笑い、彼らを心底見下した。
その眼差しは、従順な家畜の生態を観察するブリーダーのそれと何ら変わりはなかった。
金をチラつかせて欲望を刺激し、エンターテインメントやスポーツを煽って鬱憤をそらし、調子に乗って牙を剥く者がいれば圧倒的な恐怖で従わせ、大人しく従えば相応の飴を与えて褒め称える。
彼が目指しているのは、かつてのスターリン政権やナチス・ドイツのような、血生臭い全体主義の独裁ではない。
時代は変わったのだ。
ただ全員を納得させるのは民主主義しかなかった。
それよりも遥かに高度で、残酷なほど「マイルドな独裁」だ。
価値観が細分化し、多様化という名の迷走を極めた現代社会を一つの方向へ縛り付けるには、この効率的な飼育システム以外に正解など存在しないのだから。
念のため、地下に潜伏する反乱分子の暴動を阻止すべく、先日のバイオハザードの被害を免れた一部のHoundたちを地下水道や旧防空壕のネットワークへと潜り込ませてはいたが、正直なところ、前崎にとって彼らクローン兵の動向などもうどうでもよかった。
なぜなら、空を埋め尽くすこの『ペルディータ』の軍勢こそが、人類には絶対に超えられない絶対的な神の雷であると盲信していたからだ。
漆黒の鋼を纏い、空を自在に舞う人型機械。
ドローンの機動力と、戦車の火力と、戦闘機の速度を極限の次元で融合させた、戦術兵器の究極形態。
これ以上の兵器など、この地球上に存在するはずがない。
前崎の思考はすでに、泥臭い残党処理のフェーズを通り越し、自らが統治する新たな国家のデザイン(地政学的戦略や経済特区の構築)の方へと完全に傾いていた。
油断、あるいは傲慢。
だからこそ、彼は夢にも思わなかったのだ。
前崎の意識や監視を掻き潜り、かつて討ち果たしたはずの「アダルトレジスタンス」の子どもたちの遺志を宿した、独自のチューニングが施された特殊強襲機――通称『色付き』と呼ばれる異形の機体群が、すでに国会議事堂の上空を完全に包囲していることなど。
それらは前崎と信頼関係を築いていたはずだった。
自身のことを父親と呼ぶ程度には。
そして次の瞬間、漆黒の夜空から降り注いだ、八方以上もの方位から交差する極大の熱線レーザーが、前崎の絶対の城である国会議事堂の重厚な外壁を、一切の抵抗を許さずに無慈悲に貫くことなど、彼は想像すらしていなかった。




