File:097 弱点
「さて。やるべきことは決まっている。
我が国に巣食う、愚かな反乱分子どもの徹底的な排除だ」
中国から日本へ向けて日本海を荒々しく突き進む、軍用の超高速隠密艇。
その吹きさらしのデッキに立ち、前崎は脳内ネットワークを介して大陸側のシンクタンクへ次々と冷徹な指示を飛ばしていた。
移動手段に航空機を選ばなかったのは、制空権の不確定要素や撃墜されるリスクを極限まで排除するための合理的な選択であり、同時に、ここらで一度「状況を整理したい」という前崎の意図もあった。
今、あの島国で一体何が起こっているのか。
前崎の合理的な思考をもってしても、本質的な意味で理解が及ばない部分があった。
自分は結果を出している。
停滞し、腐り落ちる寸前だったこの国を、クローン技術と徹底的な能力主義によって再生へと導いていたはずだ。それにもかかわらず、自らの命を賭してまで自分を止めに来る人間が後を絶たない。
それはつまり、自分が描き出す完璧な未来図を、頑なに否定し拒絶する人間がまだあの国に大勢残っているという厳然たる事実を示していた。
「……目障りな不適合者どもは、更生施設にあらかたぶち込んで間引いたはずなのだがな」
前崎は潮風に髪を揺らしながら、自嘲気味に冷たく苦笑した。
「結局のところ、日本人はどこまでも傲慢で保守的だ。
自らの手では何も変えられないくせに、他者がもたらす新しい変革の波を試すことすら嫌悪する」
だが、彼の眼眸の奥にある傲慢の炎が消えることはない。
「しかし……俺のやり方は絶対に間違っていない。
少なくとも、バブル崩壊以降の失われた70年で、何もできずに国を切り売りしてきたあの愚かな先人たちとは違う。
この俺の手で、日本を真の意味で再興させてみせる」
前崎はそう呟くと、ゆっくりと視線を鉛色の曇天へと向けた。
彼の視線の先――上空の雲を割り、その「絶望」の群れが姿を現した。
極限まで無駄なデッドウェイトを削ぎ落とされた、その黒色の機体。
それは、球体関節を数珠繋ぎにしたかのような生物的で不気味な四肢を備えていた。
装甲の各所には、猛毒の針を内包する蜂の巣のように無数のスラスター穴が空けられている。
空気抵抗という物理的な概念すら嘲笑い、排除したかのような、まるで異世界から舞い降りた災厄の使徒を彷彿とさせる人型自律兵器――それこそが、前崎の技術の結晶『ペルディータ』であった。
それも、一機や二機ではない。
前崎が中国の莫大なリソースを貪り、秘密裏に製造させていた『ペルディータ』の大群が、まるで空を覆い尽くす黒いイナゴの群れのように、日本海の広大な空を物理的に染め上げていく。
数千、数万の駆動音が重なり合い、空間そのものを震わせていた。
「確かに認めてやろう。Houndたちへのバイオハザードは、俺の想定を超えた盲点だった。
遺伝子の画一化が招いた手痛い敗北だ」
何年か振りに前崎はタバコを口にした。
マズイ。
だが頭は冴えわたる。
「それでもまあ、あそこで死んだHoundたちは全員このぺルディータに意識を移管した」
前崎は、黒く染まっていく空を見上げながら、獲物を睨むような笑みを浮かべた。
「ならば――この肉体を持たず、病原菌も通じず、慈悲も恐怖も持たないこの神兵を、お前たちはどうやって攻略する?」
前崎の脳内から「殲滅」のゴーサインが出された瞬間、無数の『ペルディータ』が牙を剥き、灰色の海を渡って愛しき祖国日本へと次々に急降下を開始した。
作戦は成功した。
前崎英二の首を獲るという絶対防衛線の突破には確かに成功したのだ。
だが――世界の状況は、それ以上に最悪の方向へと転がり落ちていた。
前崎が世界を相手に立ち回る際、大国であるアメリカと中国のどちらに擦り寄るのか、坂上たちは幾度となくシミュレーションを重ねていた。
しかし、前崎の選択はそのどちらでもなかった。
彼は擦り寄ったのではない。
あろうことか、中国という巨大国家そのものを、文字通り「征服」し、内側から丸ごと乗っ取ったのだ。
それがわかったのは日本側に明らかに有利な条約や制度が次々と改訂された内容の読み上げをリアルタイムで中国政府が発表したからだ。
中国は極限まで中央集権化された、独裁に近い政治形態を持つ。
それは前崎の合理主義からすれば、ピラミッドの頂点にいるわずかな絶対権力者を挿げ替えさえすれば、国家の持つ全リソースを即座に掌握できることを意味していた。
銃器が氾濫し、個の自由が叫ばれるアメリカの制御不能な治安の悪さに比べれば、強権的な国家管理システムが完成している中国の方が、自らのシステムを適合させやすく、御しやすいと考えたのだろう。
坂上を初めとした反逆者たちはまさか中国の重役たちを全員殺してHoundに挿げ替えたなどとは夢にも思わなかったが、中国と前崎が組んだことは衛星写真から送られてくる黒いぺルディータの影を見れば明らかだった。
通信の向こうで、坂上は自らの見通しの甘さを呪うように、痛恨の呻き声を漏らした。
『すまない……。俺の読みが浅かった。
やはりあいつは、人間の枠に収まるような器じゃない。
本物の化け物だ』
「……責める気はねえよ。
中国とそこまでことが進んでいることすら俺たちも読めなかった」
黒岩が、苦渋を滲ませながらも坂上へ向けた慰めの言葉を絞り出す。
『……これから、どうする?』
坂上の問いに、黒岩は『SGⅡ』の冷たい床を見つめたまま言葉を詰まらせた。
「ペルディータが相手となれば、そもそも正面からでは勝ち目がない。
どう転んだってな……。空中を文字通り自在に機動し、個としての殺傷能力も桁外れだ。
あれに包囲されたら、俺たちの戦術や神経外骨格がどれだけ優秀だろうが、物量と速度で一瞬で消し炭にされる」
思う以上の速度で絶望へと暗転していく現状に、一行は重苦しい沈黙に沈まざるを得なかった。
現在、黒岩たちは『SGⅡ』の最下層から地上へと繋がる、常設型の『転送ゲート』の設置プラットホームに身を潜めていた。
見上げる空には、いまだ機能を完全に停止していない天空の要塞が、不気味な巨大な影となって世界を威圧するように鎮座している。
だが、その要塞の影から、一条の光の軌跡を描きながら「何者か」がこちらへ向かって高速で降下してきていることに、彼らはまだ気づいていなかった。
「……誰か来る。上だッ!」
いち早くその異常な気配を察知したのは、ジュウシロウの野生的な直感だった。
「チッ……新型の襲撃か!?」
全員が弾かれたように武器を構え、上空へと銃口を揃えて警戒網を敷く。
しかし、猛烈な風圧とともに彼らの前に舞い降りたその影は、怪物でも、純白の自律兵器でもなかった。明らかに、彼らの記憶に深く刻まれている見覚えのあるシルエット。
その男は、あたかも周囲の重力そのものを自らコントロールしているかのように、一切の着地音を立てず、軽やかに金属の床へと降り立った。
「ケン……。お前、前崎の側に付いていたのか?」
ジュウシロウが驚愕と警戒の混ざった声を上げる。
対峙した男は、衣服の乱れを静かに整えると、自身のトレードマークである、黄金に鈍く光る「猿のお面」へとゆっくりと手を触れた。お面の奥の視線が、彼らを値踏みするように見つめる。
「どちらかと言えば、あなた方の方が、前崎から自ら出て行かれた、と言う方が正しいのですがね。
ホログラム転送装置を使って何とかここに来ましたよ。
かなり電力を消費しましたがね」
ソウ、あるいはケンと呼ばれるその男は、静かに、だが低く確信に満ちた声で呟いた。
「『ペルディータ』でしょう。
今、あなた方を最も苛んでいるものの正体は。
機械の体、圧倒的な機動、空からの爆撃。
地上のアリが何をどうやったところで勝ち目はありませんからね」
ケンはお面の口元を微かに歪め、不敵な気配を漂わせる。
「ですが、安心してください。
あの完全無欠の自律兵器にも――明確な『弱点』が存在します」




