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【☆5.0万PV】アダルトレジスタンス   作者: オレノマツ
第二章 国家騒乱編

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File:074 苦悩

「横浜から兵庫までだ! ちょうど丸一日もありゃあ到着する!」


波飛沫を上げるトロール漁船の操舵室で、森川がエンジン音に負けない大きな声を張り上げた。

今回の逃避行において、森川が船の操舵を完璧にこなし、ハーフのジョージが密航外国人たちの通訳と船内業務を統括している。

聞けばジョージもそれなりに船の操縦はできるようだ。


だが、ジュウシロウの鋭い観察眼は、ジョージの無駄のない身のこなしから、彼が単なる雑用係ではなく「いざとなれば護衛としても十分に動ける男」であることを見抜いていた。

小室が信頼してこのルートを任せるだけのことはある、とジュウシロウは密かに評価を固める。


一方で、いまだに得体が知れないのが、客室の隅で息を潜めている「ナオヤ」と呼ばれた包帯の男だった。


(……どこかで、会ったことがあったか?)


ジュウシロウは記憶の糸を手繰り寄せるが、正直に言って見覚えはなかった。

しかし、その立ち振る舞いや、時折包帯の隙間から漏れ出る特異な気配(オーラ)にだけは、過去の戦場か修羅場のどこかで肌に触れたことのあるような、奇妙な既視感(デジャヴ)を確かに感じていた。


「ジュウシロウの兄貴も、今のうちに少しでも身体を休めてください。

 銀次とも戦ってそれから寝てないでしょう?

 いくら頑丈でも疲労は限界のはずっすよ」


小室が気遣わしげに声をかけてくる。


「あぁ。……そうさせてもらう」


ジュウシロウは短く応じると、壁に背を預けて深く瞼を閉じた。

船底のエンジンの重々しい振動に包まれながら、張り詰めていた意識は瞬く間に深い眠りへと沈んでいった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


翌朝、甲板(デッキ)から響いてくる賑やかで楽しげな笑い声に、ジュウシロウは静かに意識を浮上させた。

外へ出て眩しい朝光に目を細めながら甲板を見上げると、そこではカオリ、長谷部、そして小室の三人が、即席の釣り糸を海へと垂らしていた。


「お、あんちゃんも目が覚めたか! どうだ、一緒に釣りをやらないか!?」


長谷部が潮風に吹かれながら、満面の笑みで手招きをしてくる。


「いいや、遠慮しておく」


「そうか! 気気が向いたらいつでも言ってくれよな!」


「ところで……トイレはどこだ?」


「あぁ、あそこのハッチを降りて、左に曲がった突き当たりだ」


「助かる」


ジュウシロウは軽く手を挙げ、船内の狭い通路へと足を向けた。


だが、薄暗いトイレに入り、個室のドアを閉めた瞬間だった。

喉の奥から、焼け付くような猛烈な吐き気が突き上げてきた。

激しい船揺れによる船酔いか? ――いや、違う。

堪えきれずに胃の中のものを便器へと吐き出す。


「……ッ!?」


吐瀉物に混じって床を汚したのは、どす黒い鮮血の塊だった。

視界が微かに歪む。

どうやら、あの忌々しい前崎が宣告した通り、度重なる肉体の酷使によって、自身の「寿命」は確実に限界へと近づいているようだった。

細胞が内側から崩壊していくような感覚。


「持ってくれ。せめて目的地に着くまで、頼む……!!」


ジュウシロウは込み上げる焦燥を噛み殺すように呟き、口元を拭った。

そして、少しでも肉体のエネルギーを補給するため、クーラーボックスから取り出したコンビニの弁当を無機質に口へと運び始めた。

厳重に冷蔵保管されていたため品質には全く問題はなかったが、舌に残る鉄錆のような血の味が、どうしても気に入らなかった。


それでも、甲板に戻り、何事もなかったかのように水平線を眺めながら楽しそうに釣りに興じているカオリの横顔を見ると、張り詰めていた胸の奥が不思議と穏やかに落ち着いていくのを感じた。

前崎の呪縛から解き放たれ、彼女の瞳に少しでも本来の笑顔が戻ってくれたことが、今のジュウシロウにとっては唯一の救いであり、何よりも嬉しかった。


「あ、タイが釣れた!! すごい、大きいっ! ほら、ジュウシロウ見て!」


カオリが歓声を上げ、跳ねる見事な真鯛を掲げてみせる。


「おぉっ、見事な大物じゃねぇか!! よし、今夜はこいつで美味い刺身だな!!」


森川が我がことのように喜び、手慣れた手つきで出刃包丁を握って魚を捌き始めた。


そんな甲板のささやかな喧騒を、客室の影から、ナオヤと名乗った包帯の男は寝たふりを装いながら、ただ静かに、冷徹な観察眼で凝視し続けていた。

その異常な視線の意図を、まだ誰も知る由はなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


丸一日の航海は驚くほど平穏であり、トロール漁船は森川の言葉通り、正確に二十四時間後には兵庫の港へと接岸を果たしていた。

周囲には重油と潮の香りが立ち込め、静かな活気を帯びた朝の港湾風景が広がっている。


「あとはジョージに船の片付けや事後処理をすべて任せてあります。兄貴たち、俺と一緒に付いてきてください」


小室がタラップを降りながら周囲を警戒し、一同を誘導し始めた。

だがその時、客室の影から現れた包帯の男――ナオヤが、誰に言葉を掛けるでもなく、足早に一同とは真逆の方向へ立ち去ろうとした。


「……あ、あの、ナオヤさん……?」


カオリが怪訝そうにその背中へ声をかけようとするが、小室がそれを手で制した。


「ほっとけ、姉御。奴からの支払いは横浜で森川が全額きっちり回収してる。

 あの人との契約は、この港まで安全に送り届けることで完了なんだよ。

 お互い、詮索なしがこの世界のルールっす」


小室の言葉通り、ナオヤは一度も振り返ることなく、まるで朝霧に溶けるように港のコンテナの隙間へと消え去っていった。


「ここにうちの若い衆が車を回してあります。乗り込んでください」


小室が手配していた黒塗りの大型セダンへと一同を促す。

助手席には、その巨体ゆえにシートを限界まで下げたジュウシロウが収まり、後部座席には長谷部とカオリが腰を下ろした。


「ここから組の本拠地までは、車で十分程度で着きますっす」


小室がステアリングを握り、手慣れた様子でアクセルを踏み込む。


「案外、海から近いのね」


カオリが窓の外を流れる兵庫の街並みを眺めながら、ぽつりと呟いた。


「まぁ、もともと俺たちの組織は(小室組)、港湾の荷役や海の男たちの互助会から発展してヤクザになったようなもんですからね。

 海沿いに根を張るのは当然なんすよ」


車は入り組んだ旧市街へと入り、やがて威圧的なコンクリートの塀に囲まれた、一際大きな屋敷の前で停車した。

門柱には『小室組』と金文字で深く彫られた重厚な表札が掲げられている。


「本当に、あんたの実家って本物の暴力団だったのね……!」


カオリが改めてその物々しい佇まいに息を呑む。


「今更なに疑ってんだよ、姉御! 散々説明したじゃねえか!」


小室が呆れたように応じる。だが、門の直前で車を止めた一同の目に、異様な光景が飛び込んできた。

小室組の総本部の門前で、数人のヤクザと「一人の女」が激しく揉め合っていたのだ。


「……だから何度も言っているだろうが!!

 ここにはお前の言うような奴は来てねぇし、預かってもいねぇ!!

  とっとと失せろ、このアマ!!」


「そんなはずはないです!! 確実にここに逃げ込んでくるはずなんです!!

 上の者に私の名前を出してください、話が通じるはずです!!」


「こんの、舐めやがって……っ!!」


苛立ちを爆発させた若い組員が、女の胸ぐらへと凶暴に掴みかかろうとした、その瞬間だった。


「あれ……!? マスミ!!?」


後部座席から窓の外を見ていたカオリが、驚愕のあまりシートから身を乗り出して叫んだ。


「あ!! 久しぶり、カオリ!!」


ヤクザに胸ぐらを掴まれ、一触即発の窮地に陥っているにもかかわらず、マスミは平然とした顔でカオリに向けて手をヒラヒラと振り返した。その傍らには、マスミが乗ってきたと思われる一台の乗用車が止まっている。


ヤクザたちが突然現れた小室の車に気づき、動きを止めた。

その直後、マスミの車のドアが勢いよく開き、中から切迫した表情の二人の人物が姿を現した。


そこにいたのは、前崎の監視網を潜り抜け、マスミと共にここまで追ってきたシュウ、そしてユーリの姿だった。

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