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【☆5.0万PV】アダルトレジスタンス   作者: オレノマツ
第二章 国家騒乱編

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File:068 アンカーハウス

「はぁ……。まだ帰ってこねぇのかな、ジュウシロウさん」


シュウは肺の空気をすべて吐き出すように呟き、日課である木刀の素振りを繰り返した。

今は重々しい神経外骨格を外しており、剥き出しの四肢が朝の冷気を受け止めている。


ここ一週間、シュウは身動きもできずベッドに縫い付けられていた。

カノンとユーリに何度も頭を下げられ、渋々受けた詳細なCTスキャンの結果は最悪だった。

前崎の宣告通り、アレイスターの実験によって強化された肉体は細胞が微細なレベルで変質し、全身の数箇所に悪性腫瘍――癌が発生していたのだ。


だが、死の宣告に怯える時代はすでに過去のものだった。

現代医学の進歩は、メスで肉体を切り開くことなく、皮膚の上から高精度レーザーを照射してガン細胞だけをピンポイントで焼き滅ぼす治療法を確立していた。

数日間の照射治療を終えたシュウの肉体は、皮肉なほど軽快で、これまでの人生で最も調子が良かった。


だが、同時に猛烈な退屈が彼を襲っていた。

治療のために宛がわれたこの施設――確か『アンカーハウス』とか言ったか。


前崎が東京の一等地に建設した、最新鋭の孤児院だという。

かつて既得権益にしがみついていた老害政治家たちが前崎の手によって次々と粛清され、一等地と呼ばれた莫大な土地の多くが、前崎の権力によってタダ同然で強制接収された。

その広大な跡地を利用して造られたのが、この歪なほど贅沢なユートピアだった。


「……今思えば、誰よりもこの腐った国に反抗して結果出(レジスタンス)しているのは前崎かもな。

 正しいのか?奴が……」


「部分的にはね」


背後から不意に声がした。

振り返ると、汗拭き用の白いタオルを手にしたユーリが佇んでいた。


「物事はそんなにゼロかイチかで割り切れるものじゃないわよ、シュウ。

 私たちはコンピューターじゃないんだから」


「……それは、そうなんだが」


「カオリさんはね、その部分的な正しさのために支払われる代償が許せなかったの。

 前崎の歪な管理社会じゃなくて、不完全でも、人間としての泥臭い生き方を望んだから」


シュウは、カオリが別の場所でジュウシロウに語った内容をユーリの口からこの一週間聞いた。

だが、正直カオリがこれでなぜ前崎に反抗するほど反発したのかはわからなかった。


もしあいつの独裁で本当に世の中が平和に、幸せに、豊かになるのなら、それでいいんじゃないか――そんな風に冷めて考えている自分がいた。

もちろん、前崎の掲げる大義名分がすべて真実であるならば、の話だが。


シュウが前崎にどうしても受け入れられないのは、思想の是非などという高尚な話ではない。

ただ単純に、あいつの兵隊として飼い慣らされるのが反吐が出るほど嫌なだけだ。


自分たちの組織(アダルトレジスタンス)を容赦なく破壊し尽くした張本人が、自分たちの血と汗の結晶である神経外骨格の技術を横取りし、平然と世界の支配者として君臨しているそのツラが、反吐が出るほど気に入らない。


「でも、争いは確実に減っている」


ユーリの言葉は、感情を排した純然たる事実だった。


「私ね、シュウが動けない間に色々と勉強したの。

 ここでは、私も子供たちのお姉さんだから、無知じゃいられないでしょう?」


「……お前、もしかして前崎に付くつもりなのか?」


「カノンのように、理不尽に子どもが売春へ買い叩かれるような世界が本当に終わるなら……

 私は、あいつの靴でも舐めるわ」


「そりゃ、そうだよな……」


シュウは木刀を下ろし、複雑な視線を落とした。

守るべき現実がここにある以上、ユーリの選択を責めることなど誰にもできない。


「実はね、前崎総統と少しだけ直接話をする機会があったの。

 その時あいつ、これからの世界は二分されるって言ってた」


「二分……?」


「ええ。メタバースの深層に引き籠もって理想の仮想世界に逃げ延びる人間と、崩壊しかけた泥塗れの現実で泥水をすすりながら頑張る人間」


「……どういうことだ?」


シュウの怪訝な問いに、ユーリは手にしたタオルを小さく折り畳みながら、淡々と、しかし核心を突くように言葉を重ねた。


Hound(ハウンド)のことは、シュウもよく知っているわよね?」


「あの一銭も貰わずに前崎の管轄下で働いてる、警察モドキの連中だろ。

 利権まみれの警察が機能しなくなった今じゃ、事実上の政府公認の自警団って呼ぶ方が正しいのか?」


「そう。けれど彼らは最初から超人だったわけじゃない。

 元々は、社会の底辺にいた弱者の人間たちよ」


「……あいつらが、底辺だと?」


シュウは木刀を握る手にわずかに力を込めた。

治安維持の名目で街を闊歩する彼らの傲慢な態度からは、およそ弱者の面影など想像もつかなかったからだ。


「前崎総統が、彼らの絶望的な状況にいた連中を巧妙にヘッドハンティングしただけよ。

 更生の余地もないとされた犯罪者、再起不能になった元スター選手、社会に無視され続けた売れないアーティスト……。

 前崎は彼らの困窮につけ込み、完全にその心を掌握(グリップ)したの。

 ――すべては、あの『経験機械』に入る権利を得るためにね」


「経験機械……。

 人間としての生を泥臭く全うするか、それとも麻薬のように脳を溺れさせて、都合の良い居心地のいい仮想現実に浸り続けるか、ってことか」


「この世の幸せや不幸せなんて、結局は他人との『比較』で決まる脳のバグらしいわ。

 であれば、自分の都合の良い記憶と快楽だけを貪れる世界は、彼らにとってさぞ甘美でしょうね。

 現実の惨めさを忘れられるなら、魂を売るなんて安いものよ」


ユーリの言葉には、冷徹なまでの客観性が宿っていた。

シュウは彼女の横顔をじっと見つめ、核心的な問いを投げかける。


「……なら、お前はどうしたい?」


「もし、ここにいる子供たちが、現実に絶望してその『経験機械』に入りたいって言いだしたら――私は全力でそれを止めるわ」


「……どうしてだ? 楽になれるんだろ」


「やっぱり、どんなに現実が残酷で、つらくても……自分の足で立って、前を向く力をつけてほしいから。

 かりそめの楽園に脳を差し出すだけの存在にはなってほしくない」


「なるほどな」


シュウは静かに息を吐き、近くの古びたベンチに深く腰掛けた。

そのまま視線を上げ、東京の一等地に広がる、不自然に澄んだ青空を仰ぎ見る。


「……今さらだけどさ。俺ももっと、学校の勉強とかしとけばよかったな」


「ふふ、みんな後悔する時はそう言うわよ。

 でもねシュウ、その『勉強』っていう概念自体が、もう時代遅れになりつつあるかも」


「?」


「前崎の創り出した『メタトロン』によって、脳内での知識共有が完全にシステム化されたからよ。

 まだ簡易的なフェーズらしいけれど。

 その恩恵を受けているHoundの連中のIQは、理論上は『210』近くまで到達するらしいわ。

 ちなみに、現生人類の平均は『100』よ」


「210……!? まじかよ……!」


シュウの顔に驚愕が走る。

天才の領域を遥かに超越した、人工的な知能のインフレ。


「驚くことじゃないわ。

 だって、人間一億人分に相当する知識と経験を統合した、超巨大な電脳ネットワークよ?

 むしろ、そこまでのビッグデータを脳に直接入れておきながら、人間の脳というハードウェアの処理速度が追いつかないせいで、IQが210止まりになっていることの方が驚きだわ」


「その巨大なシステムの一部としてネットワークの歯車になるか。

 それとも、ちっぽけな『個人』のままで生きるか。

 ……クソ、絶望的な戦力差だな。

 戦う前から勝負になってねぇ」


「そう。だからこそ、自分の無力さに絶望した人たちが、Houndへの志願書を出し続けているの。

 後を絶たないらしいわ。

 特に――社会から承認されず、家で引きこもっていた『弱者男性』と言われる人間たちがね」


もはや今の時代では随分NGな言葉をユーリが使うとは思わなかった。


「……ずいぶんな差別用語だな、それは」


「でも、今のこの国で彼らの立ち位置を的確に形容できる言葉が、他に存在しないもの」


「……クソ喰らえな時代だな、本当に」


シュウは自嘲気味に呟き、再び空を見上げた。


「アァーーーーッ!?」


突如として、アンカーハウスの静謐(せいひつ)な中庭に、場違いなほど高音の女性の悲鳴が響き渡った。

何事かとシュウが木刀を構え直し、ユーリと共に声のした方へ振り向くと、そこにはあまりにも見覚えのある、奔放な佇まいの女が立っていた。


「えっ……マスミさん!?」


「久しぶり――っ!! シュウ!!」


「うおっ!?」


マスミは文字通り弾丸のような勢いで突っ込んでくると、シュウの首に両腕を回し、全力でその身体を抱きしめた。


マスミ――。

彼女はかつて、前崎がアダルトレジスタンスの正式加入のために殺した元最高権力者、つまり森田前総理大臣の愛娘だった。

かつてのアダルトレジスタンスが政治的交渉のカードとして拉致した人質だったが、現実世界での父親の強欲と欺瞞に満ちた生き方に辟易(へきえき)していた彼女は、あろうことか誘拐犯である組織の思想に共鳴。


そのままアジトに居着き、カオリとは実の姉妹のように固い絆で結ばれるに至った奇特な人物だ。

カオリが前崎に反旗を翻して逃亡する際、前崎との「二度とカオリとは接触しない」という契約を受け入れ、東京の学生として戻されたと聞いていたのだが……。


「よかった、本当によかったぁー!! 生きてたのねシュウ!!」


「ちょ……マスミさん、締め落とす気ですか! 痛いですって!!

 手術痕の場所押さないでくださいっ……!」


シュウは戸惑いながらも彼女を引き剥がそうとするが、それ以上に、少し離れた場所から自分たちを凍り付くような目で見つめているユーリの視線が、物理的な痛みを伴って突き刺さっていた。


「いやぁ、だってみんな死んじゃったと思ってたから、嬉しくって嬉しくって!

 アンカーハウスからの連絡で君の名前を聞いたときは、本当に心臓が跳ね上がるかと思ったんだから!」


「……あの。再会の喜びの最中に申し訳ないのですが。

 何をしにここへ来たのか、早く喋っていただけますか?」


ユーリが、一滴の温度も含まない冷徹な声で言い放った。

そのただならぬ威圧感に気圧されたのか、マスミはようやくシュウを解放し、真剣な面持ちで居住まいを正した。


「……そうね。会ったばかりで、しかも病み上がりのシュウには酷だけど、少し残念なお知らせを持ってきたの」


「残念なお知らせ……?」


シュウが眉をひそめ、嫌な予感に身を硬くする。

マスミの口から告げられたのは、彼にとって完全に寝耳に水の、世界の均衡を揺るがす重大な異変だった。


「ジュウシロウがね、カオリを更生施設から力ずくで連れ去ったの。

 ――二人は、そのまま突破して逃亡したわ。何人か殺してね」

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