File:067 追跡者②
「……やっと見つけたぞ」
トンネルでの痛恨の失態から、すでに一時間が経過していた。
狡猾に車種を偽装したジュウシロウたちの足取りを掴めず、随分と遠回りを強いられた。
手元にあるのは被害者から聞き出した「赤いカローラ」という凡庸な車種名と、奪われた車両のナンバープレートの情報だけ。
深夜の道路網からその一台を炙り出すのは困難を極めたが、上空から獲物を監視し続けていたMr.オスカーの強襲ドローンが、ついにその座標を特定した。
銀次の網膜ディスプレイに、上空からデジタルズームされた赤い車両の熱源グラフィックと、合致したナンバーの数値が滑り込んでくる。
相手は法定速度を完全に無視し、狂ったような速度でハイウェイを逃走していた。
追いつくまでにこれほどの時間を要したのは計算外だったが、同時に銀次は確信していた。
これが遮蔽物の多い山道であれば、さらに手こずっていただろう。
だが、奴らが選んだのは平坦で直線の続く高速道路だ。
……そう、障害物のないこの場所こそが、今の己の独壇場であることに気づくべきだった。
「キィィィィン――ッ!!」
高回転駆動するインラインホイールが、夜のハイウェイに鋭い金属悲鳴を響かせる。
銀次は背中のブースターから強烈な光条を噴射し、車線変更を繰り返しながら、行く手を阻む大型トラックの巨体を軽やかなステップで躱していった。
時速二百キロを超える世界の中、飛ばされてきた虫が銀次のボディで爆ぜる。
前方に、猛スピードで車群を縫う赤いカローラのテールランプが大きく迫る。
画像認識が働き、プレートナンバーの文字がディスプレイ上で緑色にロックされた。
間違いなく、あのネズミどもの籠だ。
「逃さん……ッ!!!」
同じ過ちは二度と繰り返さない。今度は引きずり出して尋問するような慈悲は無用。
追いついた瞬間、高周波ブレードで、車体ごと奴らをごまめのようにはじき飛ばし、真っ二つに叩き切ってくれる。
銀次の全身を走る黄色の発光ラインが、その殺意に呼応するように輝きを増した。
インラインホイールの回転数が限界を突破し、爆発的な加速と共に、赤いカローラの背後へと肉薄していった。
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カローラのリアウィンドウを透過して迫る、あの禍々しい黄色の閃光。
「また来たわ……!! どこまでしつこいのよ、もう!!」
カオリが忌々しげに吐き捨て、顔を顰めた。追跡者の執念は、すでに常軌を逸している。
「どうする!? 兄貴!?」
小室がバックミラー越しに絶叫した。限界まで踏み込まれたアクセルペダル、悲鳴を上げるカローラの細いエンジン音が車内に充満し、不穏な振動となって全員の足元を震わせている。
「……迎撃する。トンネル内なら、奴の機動力を制限できる」
ジュウシロウの低い声が助手席から響く。その声音には、焦りも恐怖も一切混じっていなかった。
「いや! 危険すぎます、そんなの!!」
後部座席でシートベルトにしがみついていた長谷部が、裏返った悲鳴を上げた。
「相手は前崎のサイボーグですよ!?
それに、さっきみたいに壁を縦横無尽に走られたら、いくらジュウシロウさんでも防ぎきれません!
車ごと細切れにされます!!」
長谷部の理にかなった恐怖の叫びを、しかしジュウシロウは冷徹な一言で切り捨てた。
「……いや、逃げるのは終わりだ。ここで殺す。
小室、次のトンネルまであとどれくらいだ」
「あ、あと少し、三分くらいっす!!
だけど次のトンネル、めちゃくちゃ長いはずだけど本当に大丈夫なんすか!?」
「飛ばせるだけ飛ばせ」
小室の目が据わった。「分かったよ、兄貴!!」と叫びながら、カローラのギアシフトを叩き込み、アクセルを文字通り床まで踏みちぎる。
大衆車であるカローラがかつて経験したことのないレベルの暴走。
凶悪な加速Gが乗員を襲い、まるでジェットコースターの急降下のように、全員の背中が強引にシートへと押し付けられた。
窓の外の景色が完全な光の線と化し、路面の細かなギャップがダイレクトに脳髄を揺さぶる。
前方に、山腹をくり抜いた巨大な闇の口が開いた。
猛烈な風切り音を置き去りにして、赤いカローラは滑り込むようにしてトンネルへと突入した。
オレンジ色のナトリウム灯が、断続的に車内を狂ったように照らし出す。
「その横につけろ」
暗闇の中で、ジュウシロウが静かに命じた。
「えっ!? 横って……いいんすか?」
小室が驚愕に目を見開く。
「いいからやれ。問題ない、あとは俺がやる」
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日本の高速道路、特に長大トンネルにおいては、災害時の避難や車両火災、予期せぬ事故に備え、一定の間隔で「避難連絡坑」――すなわち非常口を設けることが法的に義務付けられている。
それは本来、極限状態から命を救うためのセーフティだ。
だが、怪物から身を隠し、それを逆手にとって罠に嵌めるためにこの扉を利用しようと考えた人間は、歴史上存在しなかっただろう。
トンネルの奥へ向かって黄色い閃光を引きながら突進する銀次の網膜に、車の行列の壁が飛び込んできた。
トラックと一般車両が織り成す、不自然なまでの急渋滞。
それは奴らが先に進めないことを意味していた。
(運に見放されたな、ジュウシロウ……!)
奴らの赤いカローラは、もう先へは進めない。
狭い車線が完全に塞がれている以上、車を乗り捨てて逃げるか、ここで大人しく肉片になるかの二択だ。
銀次は勝ちを確信し、並ぶ一般車両のわずかな隙間を縫うようにして、さらに加速した。
だが、トンネル中央のなだらかなカーブを曲がりきった瞬間、銀次のシステムが警告の電子音を乱打した。
トラックの巨体の陰に隠れ、発見が致命的に遅れた。
その大渋滞の最前線で、まるで壁を作るようにしてわざと速度を落とし、後続の進路を完全にコントロールしていたのは――他でもない、銀次が追っていたあの赤いカローラだった。
「……なっ!? どういうことだ……!?」
あまりにも計算された減速。
そして、意図的に作り出された超過密空間。
時速三百キロを超える世界に身を置いていた銀次は、その瞬間、己の致命的な過失を悟った。
この圧倒的な速度は、直線であれば無敵の推進力となるが、ひとたび逃げ場を失えば、ただ己を破壊するためだけの狂暴な慣性へと変わる。
「……装備に依存しすぎたな、サイボーグ」
静寂の中で、ジュウシロウの冷徹な声が脳裏に直接響いた気がした。
銀次は外骨格のインラインホイールに強烈な逆位相のロックをかけ、地面を金属の手で引き裂きながら、狂ったような制動を試みた。
凄まじい摩擦熱で手が溶け、強烈な火花がトンネルの壁面を真っ白に照らし出す。
だが、300㎞/h出し、体重は120㎏以上ある慣性は、そう簡単に殺せるものではなかった。
減速しきれない身体が、トラックの狭い隙間へと吸い込まれていく。
その隙間の先、並走するカローラの開け放たれた窓から、ジュウシロウの太い腕が真っ直ぐに突き出された。
狙い澄ました、完璧なまでの待ち伏せ。
「――エアブロウ」
空気を極限まで圧縮した、凶悪な質量爆弾が拳とともに0距離で放たれる。
銀次自身が作り出した凄まじい突進のエネルギーと、ジュウシロウが放った絶対的なカウンターの衝撃波が、真正面から激突する。
凄まじい爆音と共に、衝撃の余波だけで周囲の車のガラスが木っ端微塵に弾け飛んだ。
近くにいた運転手は失神した。
自慢の神経外骨格が悲鳴を上げ、金属のフレームが歪む。
銀次の強固な身体は、まるで暴風に弄ばれる紙くずのように、激しく回転しながら高速道路のコンクリート壁へと叩き付けられ、夜の闇の中へ無残に舞い散っていった。
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激しい衝撃音がトンネル内に反響し、周囲の一般車両から一斉にクラクションが鳴り響く。
だがそれは意味がない。
ジュウシロウより少し前の車の持ち主はエアバックに突っ伏しているからだ。
割れたガラスの破片が路面に飛び散る中、ジュウシロウは静かに腕を下ろし、背後の分厚い鉄扉へと声をかけた。
「出てきていいぞ」
重い避難連絡坑の扉が内側から開き、強張った表情のカオリと長谷部、そして小室が姿を現した。
万が一の巻き添えを防ぐため、ジュウシロウの指示であらかじめ非常口の奥へと退避していたメンバーだった。
「……こんな手がありましたか」
長谷部は驚きに目を見張りながら、コンクリートの壁際に打ち付けられ、ピクリとも動かなくなった銀次の姿を見つめていた。
最新鋭の神経外骨格は無残にひしゃげ、禍々しかった黄色の発光ラインは弱々しく明滅している。
いくら機械でできた体とはいえ、時速三百キロの慣性とエアブロウの直撃が合わさった破壊力の前には、どう考えても即座に動ける状況ではなかった。
「感心している場合じゃないわ、早く行きましょう!
あの化け物、またすぐにシステムを再起動させて動き出すかもしれないから」
カオリが長谷部の袖を強く引き、先を急いだ。彼女の白い肌は、まだ恐怖と緊張で粟立っている。
「おう、すぐに出しますよ! 皆さん、しっかり掴まってください!」
小室がハザードランプを点滅させたままの赤いカローラへと走り寄り、運転席へと滑り込んだ。
エンジンが再び狂暴な駆動音を上げ、タイヤが路面を噛む。
急発進したカローラのテールランプが、ナトリウム灯の光に紛れてトンネルの奥へと瞬く間に遠ざかっていく。
深夜の高速道路に残されたのは、理由も分からぬまま未曾有の爆発と大渋滞に巻き込まれた一般市民の怒号と悲鳴、そして、人狩りの獲物を完全に見失い、ただの無機質な鉄くずとして転がるサイボーグの残骸だけだった。




