File:062 可能な限り
夜が白み始める頃、一行はようやく人目を避けられる場所を見つけた。
人里にようやく漕ぎつけた。
すぐ近くには国道が通っていた。
そこの裏道、ここだけ時が止まったような。
数年前に廃業したきり放置されたチェーンの焼肉店だ。
錆び付いたチェーンで封鎖された駐車場を強引に抜け、建物の裏側にセダンを潜り込ませる。
「……トイレは、やはり流れませんね。
配管が死んでいるか、元栓が閉められているようです。
……用を足すなら、外ですることになりますが」
偵察から戻った長谷部が、疲労の色を隠せない顔で告げた。
「まあ、この状況だ。贅沢は言えん。
コンビニまで戻るには距離がありすぎるし、リスクも高い」
「……だったら、外の方がマシなんじゃねえか? 兄貴」
「カオリがいるんだ。配慮しろ、小室」
ジュウシロウはそう言い捨てると、店内の様子を見渡した。
長年放置され、空気は埃っぽく油の匂いが染み付いているが、ベルベットのソファ席は少し掃除をすれば十分に身体を横たえることができそうだった。
「……とりあえず、長谷部さんが限界だ。
今のうちに休ませよう」
「申し訳ない……。私としたことが、不甲斐ない……」
「気にするな。
深夜の山道を突破できたのは、あんたのゴールド免許運転のおかげだ。
今はしっかり休んでくれ」
「……そ、そうですか。では、お言葉に甘えて……」
長谷部の返答は、すでに半分夢の中にいるように微かだった。
彼は促されるまま、四人掛けのボックス席に身を沈めた。
「明日は、ちゃんとしたホテルに泊まりましょう。ジュウシロウ」
カオリが、固いソファを指でなぞりながら呟く。
「……できればな。だが、正規の宿は足がつく。
車は特定されているとみるべきだろうな……。
早く移動したいが……」
「いや、そうとも限りませんよ……」
虚ろな目を閉じかけたまま、長谷部が絞り出すように言葉を繋いだ。
「グレードの高い高級ホテルほど、顧客の秘匿性は鉄壁です。
プライバシーの保護に社運を賭けていますからね。
かつて市役所にいた頃、政治犯に近いような人物が、偽名を使って二年以上も最上階に匿われていた例を知っています。
彼らにとって、宿泊客が何者であるかよりも、規約を守ることの方が重要なんです」
「さすがは元公務員だな。行政の裏側や、組織の理屈には詳しいな」
滅相もないと長谷部は続けた。
「それに……移動はタクシーも検討すべきかと。
居場所はバレますけどね。
民間人の運転手を『盾』にできます。
Houndといえど、衆人環視の街中で一般人を巻き込む派手な殺戮には、相応のコストとリスクが伴うはずですから……」
「おぉー! おっさんどうした?
思考が急に犯罪者モード全開じゃねーか!」
小室が驚愕の声を上げた。
長谷部は弱々しく、だがどこか吹っ切れたような笑みを浮かべる。
「ハハ……。どうやら毒を食らわば皿まで、というやつです。
本当に、あなた方に染まってしまったようだ……。
ですが……すみません、少し寝ます。もう、瞼が……」
そう言い終える前に、長谷部の規則正しい寝息が埃っぽい店内に響き始めた。
「……俺、シッコ行ってくるわ。外でな」
「静かにしろよ」
「あいよ、兄貴」
小室は軽く手を振ると、店を出て車の陰へと消えていった。
朝日が昇り始めた廃焼肉店の裏手。早朝の刺すような冷気のなか、小室は車の陰でようやく一息ついていた。
「ふぅ……!!」
解放感に目を閉じた、その時だった。
「小室君? そこで何をしているの?」
「えっ!!!」
背後から響いたのは、聞き間違えるはずのないカオリの声だった。
よりによって、こんな無様な姿を見られるとは。
小室は心臓が跳ね上がるのを感じながら、慌てて背後を振り返る。
「えっ!! す、すみません!!
今、その、便所代わりっていうか……!!」
「そうか。元気そうで何よりだな、怜」
……カオリの声だった。
だが、その声色を纏って闇から這い出してきたのは、小室組のかつての客分――銀次であった。
「げぇぇぇぇぇ!! 銀次、お前……!!」
小室はあたふたしながら、震える手でズボンを上げる。
「な……なんだ!? 汚ねぇぞ!!
今、カオリさんの声で……むぐっ!!」
「騒ぐな、大人しくしろ。……首をへし折られたくなければ」
鋼鉄の如き力。
サイボーグ化された銀次の腕は、小室がどれだけ足掻こうとも微塵も動じない。
万力で締め上げられるような圧迫感に、小室の視界が火花を散らす。
(それになんだ!?こいつの見た目!!
前とは全く違うじゃねーか!!
SF映画みたいな見た目してやがる!!)
鎧のような装いをした黒いボディ。
顔で辛うじて分かったが、まるで別人のようだ。
「久しぶりだな、怜。
まずお前の疑問から答えてやる。……一方的だがな」
銀次は片腕で小室の喉元を掴み上げながら、空いた手の指を一本立てた。
「第一。この声はサンプルとしてもらったものだ。
変声機を介して獲物をおびき出す。
サービスとしてつけられたがな。
これが案外使い心地がいい。
……分かったら頷け」
小室は酸素を求めて必死にコクコクと頷く。
「第二。俺は前崎総統に仕えることになった。
お前たち一行を仕留めることが、今の俺に課せられた至上命題だ」
その冷徹な告白に、小室の瞳に絶望的な動揺が走る。
「だが、私としても恩のあった小室組の子息を無下に殺したくはない。
……それに、できれば穏便に済ませたい。
これからは可能な限り堅気として生きていきたいからな。
前崎総統次第……ではあるが。
だから俺に協力しろ」
(そんな身なりで堅気は無理だろ!!
サイボーグ野郎が!!)
小室が心の中で毒づいたことが察せされたのか、首を絞める力がさらに強まる。
言葉とは裏腹に、拒絶すればこの場で確実に殺すという明確な殺意。
小室は震えながら、さらに激しく頷いた。
「やることは簡単だ。
この先二百メートル地点、崖が切り立ち、下に川が流れている場所がある。
今日の二十一時にそこを通りかかった際、車ごと全員頭から川へ突っ込め」
「!?」
衝撃の提案。小室は目を見開き、言葉にならない困惑を露わにする。
「大丈夫だ。お前は死なない。
動きが止めればいいだけだ。
川へ水没した瞬間を狙って、私が確実に仕留める。
……お前はただ、ハンドルを握ればいい。
簡単だろう?」
小室の動きが止まる。
裏切るか、死ぬか。
あるいは仲間を道連れにするか。
「時刻は今日の二十一時。確実にやり遂げろ。
……他言は無用だ、もちろん分かっているな?」
銀次はそれだけ言い残すと、陽光に溶け込むように姿を消した。
「……どうしたら、いいんだよ……」
小室は、自分の失態と裏切りの重圧に膝を震わせながら、濡れたズボンを隠すようにして、静まり返った店へと戻っていった。




