File:051 あれから
あれから、沖縄の空には絶え間なくサイレンが鳴り響いていた。
上空を覆う重苦しい雲を突き抜け、前崎の軍事力の象徴である「空中要塞」から、数え切れないほどのHoundが降下してくる。
それはもはや警護という域を超え、一つの都市を物理的に塗り替えるほどの圧倒的な物量だった。
救急車の列が絶え間なく走り抜け、仮設の医療区画には、崩落した現場から次々と負傷者が運び込まれていく。
「結局、あのメキシコのカルテルの正体は分からずじまいか」
ジュウシロウが、沈痛な面持ちでエルマーに問いかけた。
「ロシアンマフィアのこともね……。
今は総当たりでデータベースを照合しているところ。
もし奴らが世界的に名の知れた組織なら、遅かれ早かれ正解には辿り着くはずだよ。
二人の組織が交わることなんてないのに。
絶対に何か裏がある」
普段なら軽快にキーボードを叩いているはずのエルマーが、珍しくデバイスも開かずに、深く考え込んでいた。
シカリオたちが残した異質な武力と、あの忌まわしいタトゥーの意匠、そして日本人にも関わらず香川というロシアンマフィアの一員は、彼らの常識を根底から揺さぶっていた。
「おや。まるで、ちょっとした同窓会の会場みたいだね」
静寂を破ったのは、ソウの声だった。
その足取りには、かつて死線を共にした仲間に向けるような感傷は微塵もない。
「……ソウ。お前も、前崎の飼い犬に成り下がったのか」
「否定はしないよ、シュウ。
それに、それを「恥」だとも思っていない。
僕は今の自分の立場に、絶対的な自信を持っている。
……はっきりとそう言えるよ」
不敵に微笑むソウの横顔。
シュウはその得意げな表情に、一瞬だけ抑えきれない苛立ちを覚え、拳を握り締めた。
しかし、ソウは構わず言葉を続ける。
「シュウ。君には最高のお客さんを連れてきたつもりなんだけど。
そんな怖い顔じゃ、出迎えも台無しだね」
「客だと……?」
「懐かしい顔だよ。――さあ、おいで」
ソウが視線を送ると、アリアに伴われて二人の人影が姿を現した。
その二人とはカノン、そしてユーリ。
「え……あ……」
シュウの喉から、掠れた吐息が漏れた。
まさか、あの絶望的な状況を生き延びていたとは。
時計の針が止まったかのような、空白の四年。
「シュウ……久しぶり、だね」
ユーリが意を決したように、一歩前へ踏み出した。
「ユーリ……お前、本当に……」
「ほら。カノン、あんたも!」
ユーリに背中を押され、隠れるようにしていたカノンが、震える足取りで姿を現す。
「え……うん。久しぶり……シュウ」
絞り出すようなその声を聞いた瞬間、シュウは理屈よりも先に体が動いていた。
迷うことなく、二人を力強くその腕の中に抱き寄せる。
「……生きていたんだな。本当に、生きていたんだな」
「まあ……ね。色々あったのよ、私たちも」
シュウの胸の中で、ユーリが微かに震えながら答える。
再会の喜びと、語り尽くせない苦難。
三人は、流れる時間を埋めるように、しばらくの間、言葉もなく抱き合っていた。
「……俺、少し席を外したほうがいいか?」
あまりに個人的で濃密な再会の空気に当てられ、ジュウシロウが居心地悪そうに身を引こうとする。
しかし、それをアリアの鋭い一喝が遮った。
「いなさいよ!あんた、それでもシュウの上司なの!?」
「……役職はアダルトレジスタンスの頃の話だろ」
叱責を飛ばすアリアと、頭を掻きながら所在なげに立ち尽くすジュウシロウ。
凄惨な戦場であったはずのその場所には、かつての「アダルトレジスタンス」が持っていた、泥臭くも温かな空気が僅かに戻っていた。
「というかお前たち、なんで生きていたんだ?」
シュウの震える問いに、ユーリが力なく笑う。
その視線はどこか遠く、四年前の「あの日」の地獄を彷徨っているようだった。
「こっちのセリフよ。
最後、あんたたちが蜂の巣になったって聞いた時は、絶望したんだから。
動画もちなみに見せられたわ。
信じられないほど体に穴が開いていたわよ」
シュウが死ぬ間際の瞬間のことを思い出して身震いする。
頭を振り払うように話を続ける。
「俺たちはアレイスターがなぜかバックアップを取ってくれていたから、九死に一生を得ただけだ。
……お前たちはどうやって?」
「……最期の瞬間にね。
ボスが全員分、座標もバラバラに強制転送してくれたの。
それからずっと、見つからないようにサバイバルを続けていたけれど……最終的に前崎に突き止められたわ」
「前崎に……?」
「ええ。そこではカオリさんがリーダーとして振舞って、ある”契約”を交わしたの。
生き延びるために、前崎の下に付くってね」
「……カオリが?」
ジュウシロウの喉が鳴った。
かつての仲間であり、彼にとって特別な意味を持つその名が出た瞬間、場の空気が一層張り詰める。
「ええ。まあ結局、カオリさんはあいつを裏切ったけれど」
「裏切った? どうして……一体何があったんだ」
「……私からは言えない。
それはカオリさんの信条を否定することにもなるから。
でも、どうしても理由を聞きたければ」
ユーリの瞳に鋭い憎悪が宿り、キッと一人の男を射抜いた。
「そこの”裏切り者”に聞きなさいよ」
その視線の先にいたのは、エルマーだった。
「……人聞きの悪いことを言うなよ。何もできなかった無能共が」
エルマーは一瞬こっちを向いた後、空を見上げ寝ころびながら言った。
「ふん……どうかしらね」
「ユーリちゃん……良くないよ」
カノンが窘めるのも気にせず、ユーリとエルマーの間に、火花を散らすような険悪な沈黙が流れる。
それを見かねたジュウシロウが、一歩踏み出した。
「なあエルマー、一つ聞かせてくれ。
お前、なんでドームの地下にいた?
助けを求めたのはなんだったんだ?」
「……監視カメラの映像で、奴らが来るのは明白だった。
本格的なパニックが発生すれば、僕の広域破壊兵器じゃ民間人諸共殺してしまう。
だから……泥臭い肉弾戦に強い、君たちが必要だっただけ。
それだけだよ」
「……そうか。民間人を守るために、俺たちを誘導したってわけか。
お前も変わったな」
「勘違いしないでくれ。民間人を守りたいわけじゃない。
前崎総統に、こんなところで方針転換されては困るから防いだ。
世論が変わるのを避けたい。
それだけだ」
「……お前は、本気で前崎についたのか?」
シュウが詰め寄る。
その瞳には、信じていた絆が泥に塗れたことへの怒りが燃えていた。
「そう思ってくれて構わない。
……ちなみに、ソウもアリアも同じだ」
「そうですね、ジュウシロウ。
僕たちには、もうこれしか手がないんだよ。
この世界で僕たちが調和して生きていくにはこれしかない」
ソウが静かに、だが拒絶を孕んだ声で告げる。
「なんでだよ……!
アダルトレジスタンスは、そんな奴に屈するような組織じゃなかったはずだろ!!
大人に飼いならされてそれでいいのかよ!!」
シュウの叫びに、アリアはただ哀しげに目を伏せた。
「……それは自分の目で確かめることよ。
あなたはもう20歳。十分大人よ。
大人になる時が来たの。シュウ」
「こんのっ……!!」
激昂するシュウを、ジュウシロウが手で制した。
「よせ、シュウ。……話は分かった。で、ユーリ、お前らもなのか?」
「うん……。ごめんね、シュウ。私たちは、そっちには行けない」
「お前たちまで……! なぜだ、なぜあんな男に従う!?」
「あんな男が、まだマシだからだ。シュウ。
お前たちよりよっぽどな」
背後から響いたその声に、全員の肩が跳ねた。
そこに立っていたのは、返り血を全身に浴びた前崎だった。
その姿は凄惨という言葉では足りず、瞳に宿る光は「怒り」という沸点を超え、絶対的な零度へと至っていた。
「よお。同窓会の最中に悪いが、次の目的が決まった。
――ロシアンマフィア、およびメキシコカルテルの殲滅だ。
一人残らず、だ」
前崎は手に持ったデバイスを無造作に放り出す。
画面には、壊滅した防衛ラインの無残な光景が映っていた。
「俺の元部下を唆し、この国を戦場に変えたバカが必ずいる。
そいつを、徹底的に、確実に、息の根を止めてやる」
その凍てつく視線が、ジュウシロウとシュウに向けられた。
「お前たちはどうする? ――俺と共に来るか?」
「何をふざけたことを!! お前に協力する理由なんて――」
「勘違いするな。はっきり言ってやる。
俺はルシアンの意志を継いでいるだけだ。
なぜあいつが子どもにやたらこだわったかはよくわからんが、俺があいつから受け継いだのは単なる知識の継承じゃない。
これほどの力があれば、誰だってこの歪んだ世界を変えたいと願う。
俺はその体現者になりたいだけだ」
「……アダルトレジスタンスを壊滅させたお前が、ボスの意志だと?」
「そうだ。継承者としてSG崩壊の時に俺が受け継ぐに相応しいと言われてな。
お前たちの誰でもない、俺にな」
「信じられるか、そんな話」
「そうだろうな。だがお前たちについてくる人間はいないぞ」
「……何!?」
シュウが怒りを露わにする。
「当たり前だ。お前たちに信用などない。
ガキどもの癇癪に付き合う物好きがどこにいる?
誰もついてこねぇよ。
……だが安心しろ。お前たちの『居場所』は俺が作ってやる。
そのために、その力を使え」
シュウは握りしめた拳を震わせ、最後までその提案に躊躇した。
裏切り、絶望、そして再会。
感情が混濁し、出口を見失いかける。
だがその時、ジュウシロウが重厚な一歩を踏み出し、前崎を真っ向から見据えた。
「――条件がある」
混沌とした沖縄の夜に、新たな契約の胎動が響いた。




